野島断層保存館、人と防災未来センター
1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災は、戦後経験したことのない大きな災害でしたが、それでも鉄道関係者は最悪を免れたと感じました。地震発生は5時46分、激しい揺れによって兵庫県内では新幹線の高架橋も落橋しました。しかし新幹線の営業運転は6時以降となっているため、かろうじて大事故を免れたのです。この落橋の教訓により、その後新幹線を中心に耐震補強工事が大きく進みました。東北新幹線などの橋脚には、せん断破壊を防ぐ補強材が巻かれています。

この地震は、直下型地震でした。このタイプの地震は、海洋から動いて来るプレートによって大陸プレートが圧縮され、大陸プレート内部の岩盤が破壊されて起こります。そのプレート内で、長い間に繰り返し動き、これからも活動すると考えられる断層が活断層です。この地震は、淡路島北部の野島断層という活断層、深さ16kmが震源でした。動いた断層帯は、明石市、神戸市を通って西宮市まで伸びています。震源となった野島断層が地表に現れた部分はそのまま保存され、野島断層保存館として見学できます。






大地に横から加わる力は、長い間に地形を大きく変動させます。300万年くらい前からの変動により、隆起した部分は六甲山になり、沈下した部分は大阪湾になりました。
阪神・淡路大震災の地震で震度7となった地域は、ほぼ神戸市内に帯状に分布しています。この地域にも、戦前に建てられた木造家屋などが多く残っていました。震災による6,400人を超える死者のうち大きな割合を占めるのは、高齢者や女性を中心とした、家屋の倒壊や家具の転倒による圧死です。また、火災による死者も発生しました。


震度6から7の地震でも倒壊に至らないための建築基準が制定されたのは1981年でしたが、阪神・淡路大震災で倒壊した建物のほとんどはこの耐震基準を満たしていませんでした。しかし基準に満たなくても、基準の制定以前に建てられたものは「既存不適格」と呼ばれ、そこに住み続けることができます。これが大災害に結びついてしまったため、この反省から、耐震改修工事に補助金を出し、融資を行い、住宅ローンを減税するなど、耐震改修を促進する政策が強化されました。
日本には地震が起きない場所はありません。これからも、大地震への備えを怠らず、対策を進めていく必要があります。
神戸市にある「人と防災未来センター」では、大震災当時を追体験できるように、映像、ジオラマ模型、実物資料などが整備され、また体験フロアなどで防災の知識を幅広く習得できます。


野島断層保存館
〒656-1736
兵庫県淡路市小倉177
電話: 0799-82-3020
人と防災未来センター
〒651-0073
兵庫県神戸市中央区脇浜海岸通1-5-2
電話: 078-262-5050

















































































































