なぜ法隆寺五重塔は地震で倒れないのか

3世紀後半以降、ヤマト王権が権力を伸ばし、飛鳥・奈良は古代の政治の中心として栄えました。

飛鳥宮跡
聖徳太子生誕の地・橘寺

奈良の斑鳩にある法隆寺は、7世紀初に聖徳太子によって創建されたと伝えられています。

法隆寺金堂と五重塔
法隆寺境内

法隆寺五重塔は、一度焼失しましたが、7世紀後半に再建されました。金堂とともに現存する世界最古の木造建築で、地震の多い日本で1300年以上にわたって倒壊を免れてきました。飛鳥時代、奈良時代だけでも、684年の白鳳地震(南海トラフ地震)、734年の畿内七道地震、745年の天平地震などの大地震があり、その後も平安時代や南北朝時代の地震、江戸時代の大和地震(1854年)などの記録があります。昭和・平成の時代にも大きな地震がありました。しかし、法隆寺五重塔は現代に至るまで、倒壊せずにその荘厳な姿を保っています。

倒壊しない理由は、地盤の硬い立地にあることに加え、構造の工夫・木材の特性・伝統技術にあると指摘されています。それは、地震の揺れを吸収・分散させる構造、しなやかで折れない構造、ゆるゆるの構造です。強い揺れを受け流すための仕組みが組み合わさっています。
屋根は上に行くほど小さくなり、重心が低く保たれています。そして、五重塔は1本の固い建物ではなく、層ごとに独立して動く構造であるため、揺れが分散されます。各層の庇は独立して動き、上の庇と下の庇が反対方向に揺れるなどにより、揺れ同士が打ち消し合います。

また、使用されているヒノキなどの木材は、軽くしなやかで衝撃を吸収しやすいもので、石やコンクリートとは違って、曲がって力を逃がす性質があります。
法隆寺五重塔は、大陸の技術にはない地震に強い建築の匠が最大限に活かされた建物なのです。

法隆寺だけでなく、各地の五重塔や三重塔の基本的な設計は共通していて、火災で焼失した記録は多くありますが、倒壊の記録がほとんどありません。
釘を使わずに木と木を組み合わせる継手や仕口は、部材の取替え、修理を容易にしています。

興福寺五重塔の修繕
長谷寺五重塔の修繕

これまでの説明のほか、心柱(しんばしら)の役割も注目されています。多くの五重塔で、中心にある太い心柱は、基壇の礎石に固定されているのではなく、宙に浮いたように設置され、塔の最上部から吊るされています。この構造は、大きな揺れが生じたとき、まるで振り子のように塔全体の揺れを心柱が吸収・緩和するようです。スカイツリーの中央階段は、心柱を参考にしたとのことです。
また、重い庇を支える16本の柱が礎石の上に置かれていますが、固定されずに乗っていて、地震の際には建物全体がわずかに滑るように動き、力が分散されることもあるようです。これはまるで免震装置です。

薬師寺東塔(奈良)
醍醐寺五重塔(京都)
池上本門寺五重塔(東京)
飛騨国分寺三重塔(高山)

古代の技術者は、大陸から伝わった技術に捉われず、頻繁に起こる地震を経験することによって積み重ねてきた木造建築の匠を五重塔、三重塔に結集させ、倒壊しない搭を見事に作り上げたのでしょう。

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