箱根の火山活動の歴史を学べる
江戸時代、湯本から須雲川沿いに畑宿、芦ノ湖畔の関所を通って三島に向かう街道は、多くの人が行き交い、今も箱根旧街道として知られています。しかし鎌倉時代、室町時代はこの道でなく、湯本から芦ノ湖までは湯坂道と呼ばれる尾根筋のルートが使われていました。

この湯坂道を登り切った精進池のあたりは、一面に溶岩が作った荒涼とした風景が広がり、天候が変わりやすい難所でもあることから、地獄や賽の河原と呼ばれていました。ここには溶岩を彫って作った地蔵など多くの石仏が見られます。賽の河原で救われるためには、地蔵菩薩にすがるしかありません。


父親を殺された曽我兄弟は恐らくこのルートを通り、かつて弟五郎が仕えていた箱根権現に祈願した後、富士の裾野で開催された鷹狩りに参加し、首尾よく敵(かたき)の工藤祐経を討ち取りました。戦いで死んだ兄十郎、処刑された弟五郎の兄弟の墓が精進池のほとりにあります。

正月の箱根駅伝の山登り区間では、この近くに標高874mの最高地点があって、ここから一気に芦ノ湖へと駆け下ります。

このほど近くの溶岩台地に、かつての箱根七湯の一つ、芦之湯があります。多くの文人や絵師などが湯治のかたわら、東光庵薬師堂に集まって句会や茶会を楽しみました。太田南畝、賀茂真淵、安藤広重も訪れました。また、12,000年~13,000年前の黒曜石の石器が発見され、恐ろしい火山のもとでの人間の営みが想像されます。

箱根40万年の間の活発な火山活動は、外輪山や中央火口丘、カルデラなどの複雑な地形を形成し、豊かな種類の温泉を作り出しました。4万年前には仙石原湖ができましたが、3,000年前の噴火が芦ノ湖を作り、火砕流が仙石原湖を埋めて湿地帯を作りました。


有史以来マグマ噴火は起きていませんが、大涌谷で噴き上がる水蒸気は、この山が活火山であることを物語っています。2015年には水蒸気噴火が起きました。

大涌谷にある「箱根ジオミュージアム」では、箱根がどのように形成されたかをわかりやすく説明しています。

箱根には湯本、元箱根、強羅など人気スポットが多く、訪日外国人観光客を含めて多くの人が訪れますが、このリゾート地を自然がどのように作って来たかを知るのも、楽しみのひとつではないでしょうか。
箱根ジオミュージアム
神奈川県足柄下郡箱根町仙石原1251
TEL: 0460-83-8140
箱根ジオミュージアム


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