ジオ日本 学びの旅

  • 山梨県立富士山世界遺産センター

    富士山の歴史、信仰と芸術を知る

    葛飾北斎「富嶽三十六景」の中で「赤富士」と呼ばれる有名な「凱風快晴」。そのイメージのように、天気の良い夏の早朝、太陽光は波長の短い青色光が散乱してしまい、赤色光が富士山の玄武岩にあたって赤く染めます。

    葛飾北斎「凱風快晴」
    夏の早朝、赤く染まる富士山

    富士山はなぜ、これほど整った円錐型の姿なのでしょうか?
    それは、富士山があちこちの山腹で噴火を重ね、新しい層は17,000年という短い期間に粘性の小さい流れやすい溶岩を積み重ねたためです。粘性が大きければ強い爆発はあっても広い裾野を作ることはできないし、長い時間がかかれば水によって山体が削られて急峻な山容に変化します。富士山の噴火は、山体を削っていく時間を与えずに何度も溶岩を流して、現在の姿を造りあげたのです。

    その前の古富士火山の活動によって、現在の山中湖・忍野八海と本栖湖・精進湖・西湖の地域に二つの湖ができましたが、噴火活動による消長を経て、平安時代に864年の貞観の大噴火と937年の噴火によって富士五湖になりました。山中湖の湖面が標高982m、本栖湖・精進湖・西湖は地下水がつながっていていずれも標高902m、河口湖は830mです。富士山に川はありませんが、水はけのよい新しい層の下に水を通しにくい層があって、その間の胎内に豊富な水を宿し、麓に湧き水をもたらしています。

    本栖湖
    精進湖
    西湖
    河口湖
    山中湖

    たびたびの噴火は、人間に大きな災害をもたらしながら、周辺の地形を作り変えました。恐ろしい富士山は、太古から信仰の対象でした。噴火は山の神の怒りと考えられ、朝廷は富士山の神「浅間神(あさまのかみ)」を鎮めるために駿河国に神社を建てて祭祀に努めました。しかし広大な青木ヶ原樹海の溶岩を流した864年の貞観の大噴火で被害の大きかった甲斐国にも、新しい浅間神を祀る祠が建てられました。11世紀頃からは、修験者が山中で修行するようになりました。
    最新の噴火は江戸時代1707年の宝永噴火で、M8.2の元禄関東地震の4年後、M8.7の宝永東海・南海地震の49日後に起きました。高温の軽石が麓の集落に火災や建物倒壊の被害をもたらし、西風に乗って大量の火山灰が江戸などに降り注ぎました。千葉県市原市で火山灰が8cm堆積したことが確認されています。また火山灰は酒匂川などを氾濫させたほか、農作物に深刻な打撃を与えました。

    なるさわ富士山博物館

    道の駅なるさわに隣接しているなるさわ富士山博物館の展示やシアターでは、富士山の成り立ちなどの基礎的な知識を得ることができます。また、山梨県立富士山世界遺産センターでは、富士山がどのように信仰の対象になり、芸術を育んだかなども学ぶことができます。

    富士山世界遺産センター外観
    富士山世界遺産センターの展示

    山梨県立富士山世界遺産センター
    山梨県南都留郡富士河口湖町船津6663-1
    TEL: 0555-72-0259
    富士山世界遺産センター山梨県立富士山世界遺産センターページ

  • 黒曜石体験ミュージアム

    蓼科山・八ヶ岳山麓のマグマの恵み

    八ヶ岳と富士山に背比べのために樋を渡したら水が富士山に流れて八ヶ岳の勝ちとなり、怒った富士山の神様が八ヶ岳の頭を叩き割ったので今の峰々が残ったという伝説があります。

    茅野市から望む八ヶ岳

    特に南八ヶ岳には主峰赤岳(2,899m)をはじめ急峻な峰が連なり、首都圏からのアプローチが良いこともあって登山者の人気を集めています。
    八ヶ岳は、日本列島を分断して南北に伸びる溝であるフォッサマグナの中で誕生した火山で、200万年という長い火山活動の歴史を持ちます。活発だった火山活動の後、特に南八ヶ岳の西側斜面は長い年月の間に風雨が山を削り、この急峻な地形を作りました。

    これに対してややなだらかな北八ヶ岳で、白駒峰が噴火し川を堰き止めてできたのが白駒池です。標高2,115mにある神秘的な池で、周囲には数百種類と言われる苔が群生しています。

    神秘的な天空の白駒池
    白駒池付近の苔の群生
    もののけの森

    八ヶ岳と蓼科山の北西、白樺湖の近くに位置する鷹山(たかやま)。ここに黒曜石原産地遺跡があります。旧石器時代の3万年前から縄文時代にかけて黒曜石を採掘した跡です。
    この辺りは星糞峠と呼ばれていますが、キラキラ輝く黒曜石は星のかけらのようで、中部高地で黒曜石が出土する遺跡は星糞峠のほか、星ヶ塔 、星ヶ台など星の名がつく高原地帯で発見されています。
    黒曜石は、マグマが地上付近で急速に冷えてできる天然のガラスですが、どの火山でもできる訳ではありません。石を加工して道具を作るのは大変な苦労だったと思われますが、鋭い切り口になる黒曜石は加工しやすく、ナイフ状の石器や矢じりなどに使われました。旧石器時代には川底などから拾うことが多かった黒曜石ですが、縄文時代には穴を掘って採掘しました。産地から遠く離れた場所でも使われた跡があります。掘り出された黒曜石は、ふもとのムラからムラへと運ばれていき、ムラを結ぶ道は「黒曜石の道」となりました。八ヶ岳の山麓には、大量の黒曜石が集められた大きなムラが点々と存在していました。そこは良質な信州産の黒曜石を求めて遠くの地域から訪れる縄文人との出会いの場となり、東西文化の交流のネットワークが結ばれていました。

    黒曜石体験ミュージアム

    黒曜石体験ミュージアムでは、石器などの展示や説明から最新の研究成果を知ることができるほか、石器づくりなども体験できます。また徒歩30分に「星糞館」があります。是非お出かけください。

    星くずの里たかやま黒曜石体験ミュージアム
    長野県小県郡長和町大門3670-3
    0268-41-8050
    https://hoshikuso.jp
    https://jomon.co/point/detail/55/

  • 箱根ジオミュージアム

    箱根の火山活動の歴史を学べる

    江戸時代、湯本から須雲川沿いに畑宿、芦ノ湖畔の関所を通って三島に向かう街道は、多くの人が行き交い、今も箱根旧街道として知られています。しかし、その前の鎌倉時代、室町時代はこの道でなく、湯本から芦ノ湖までは湯坂道と呼ばれる尾根筋のルートが使われていました。

    精進池

    この湯坂道を登り切った精進池のあたりは、一面に溶岩が作った荒涼とした風景が広がり、天候が変わりやすい難所でもあることから、地獄と呼ばれ、またいつの頃からか賽の河原とも呼ばれました。ここには溶岩を彫って作った地蔵など多くの石仏が見られます。賽の河原で救われるためには、地蔵菩薩にすがるしかありません。

    固い安山岩に彫られた地蔵菩薩
    巨大な安山岩を彫って作られた六道地蔵

    父親を殺された曽我兄弟は恐らくこのルートを通り、かつて弟五郎が仕えていた箱根権現(現・箱根神社)に祈願したことでしょう。富士の裾野で開催された鷹狩りに参加し、首尾よく敵(かたき)の工藤祐経を討ち取りました。戦いで死んだ兄十郎、処刑された弟五郎の兄弟の墓が精進池のほとりにあります。

    芦ノ湖畔にある箱根神社の鳥居
    曽我兄弟の墓

    正月の箱根駅伝の山登り区間では、この近くに標高874mの最高地点があって、ここから一気に芦ノ湖へと駆け下ります。

    国道1号最高地点。駅伝選手はここから駆け下る

    このほど近くの溶岩台地に、かつての箱根七湯の一つ、芦之湯があります。多くの文人や絵師などが湯治のかたわら、東光庵薬師堂に集まって句会や茶会を楽しみました。太田南畝、賀茂真淵、安藤広重も訪れました。また、12,000年~13,000年前の黒曜石の石器が発見され、恐ろしい火山のもとでの人間の営みが想像されます。

    芦之湯の熊野神社に復元された東光庵

    箱根40万年の間の活発な火山活動は、外輪山や中央火口丘、カルデラなどの複雑な地形を形成し、豊かな種類の温泉を作り出しました。4万年前には仙石原湖ができましたが、3,000年前の噴火が芦ノ湖を作り、火砕流が仙石原湖を埋めて湿地帯を作りました。

    芦ノ湖と仙石原
    仙石原湿原。後方の森林は箱根湿生花園、背景は外輪山の金時山

    有史以来マグマ噴火は起きていませんが、大涌谷で噴き上がる水蒸気は、この山が活火山であることを物語っています。2015年には水蒸気噴火が起きました。

    水蒸気を噴き上げる大涌谷

    大涌谷にある「箱根ジオミュージアム」では、箱根がどのように形成されたかをわかりやすく説明しています。

    箱根ジオミュージアム

    箱根には湯本、元箱根、強羅など人気スポットが多く、訪日外国人観光客を含めて多くの人が訪れますが、このリゾート地を自然がどのように作って来たかを知るのも、楽しみのひとつではないでしょうか。

    箱根ジオミュージアム
    神奈川県足柄下郡箱根町仙石原1251
    TEL: 0460-83-8140
    箱根ジオミュージアム

  • やんば天明泥流ミュージアム

    八ッ場ダムで浅間山噴火の歴史も学べる

    軽井沢の矢ヶ崎公園から見る浅間山の勇姿。山頂からの景色はさぞかし素晴らしいでしょうが、この火山の頂上に行くことはできません。2004年の噴火の後は落ち着いているようにも見えますが、浅間山では現在も、1日数十回の火山性地震が観測されています。

    軽井沢の矢ヶ崎公園から見る浅間山の雄姿

    NHK大河ドラマ「べらぼう」に、浅間山の噴火で江戸の人々が恐れおののくシーンがありました。天明3年(1783年)に起きたこの噴火は、浅間山の歴史で最新の大噴火です。溶岩が流れて鬼押出しを作り、土石なだれ、泥流、火山灰は広い範囲に大きな被害をもたらしました。この年には岩木山が噴火したほかアイスランドで火山の大規模噴火があり、北半球で火山灰などの影響から極端な寒冷化が起こりました。これは天明の大飢饉に繋がっただけでなく、フランス革命の遠因にもなったと言われています。

    八ッ場ダムからの吾妻峡の眺望

    天明の浅間山噴火による死者の大半は、山の北側で発生した土石なだれが原因です。噴火の開始から3ヶ月近くが経った頃、溶岩が池に流れ込んで大きな水蒸気爆発が起こりました。江戸だけでなく、京や大阪でも爆発の音が聞こえたと記録されています。そして土石なだれが発生し、麓の鎌原村を呑み込みました。鎌原観音堂に駆け上がった人以外は助かりませんでした。さらに土石なだれが吾妻川に流れ込んで泥流を発生させました。これを天明泥流と呼びます。泥流は利根川、江戸川を下って東京湾にも達しました。無惨な遺体が流れてきたことが記録されていて、両国の回向院など各地に慰霊碑があります。

    やんば天明泥流ミュージアム全景

    群馬県長野原町には、吾妻川に2020年に完成した八ッ場(やんば)ダムに関連する様々な施設が整備されていて、川原湯温泉や吾妻峡とともに観光やグルメを楽しむことができますが、施設の一つに、「やんば天明泥流ミュージアム」があります。ダム湖の底になる前の発掘調査で見つかった縄文から江戸時代までの遺跡がここに展示されているなか、今のビルで20階の高さにも達するような天明泥流に覆い尽くされてしまった村々のそれまでの暮らしを、体感シアターなどでの被害の説明とともに展示解説しています。浅間山大噴火のすさまじい力を知るには欠かせないスポットです。

    ミュージアムのエントランス

    やんば天明泥流ミュージアム
    群馬県吾妻郡長野原町大字林1464-3
    TEL: 0279-82-5150
    長野原草津口駅から車で10分、道の駅八ッ場ふるさと館から徒歩10分
    https://share.google/Y3kgVKlMWTH2EQWaz


  • ジオ日本 学びの旅

    火山と地震の国日本における自然と人間の関わりを多面的に紹介します