日本海の孤島・隠岐諸島の歴史とグルメ

・港の魚介料理「フィッシャーマンズ・ワーフ隠岐」
・後鳥羽上皇行在所跡
・ジオパークを体感するホテル「Ento」
・幻の黒毛和牛を楽しむ「隠岐牛店」
・後醍醐天皇が滞在した西ノ島
・サザエ丼の「コンセーユ」
・隠岐の食材を満喫する「dining翡翠」

今回の旅は人生初の隠岐諸島、半年以上前から計画を立てていた島旅+出雲を楽しむ予定です
隠岐は一つの島の様に思っていましたが、主に2つのエリアからなっていて、2日で巡るのは少しタイトなので、羽田出発はかなり早目の7:10分、スーツケースを預け手荷物検査を済ませてから朝食(タリーズ等が6:30前から開いています)、少し時間があったのでカードラウンジでゆっくりできました

上記のカードと搭乗案内の控えを見せると入れます
思ったより早朝から混んでいました
秋の長雨の東京、今日もスッキリしません、煙る羽田を眼下に出発です

電車や車なら1日がかりの移動になる隠岐諸島、フライトなら出雲空港まで1時間20分、そこから乗り継いで隠岐世界ジオパーク空港へ

出雲も雨曇、雲の隙間から海岸線が見えてきました
飛行機を降りて出口手前に、乗り継ぎカウンターが有ります
令和の時代にプロペラ機、初めて乗ったかも

正味のフライト時間は約20分、プロペラ機の揺れを心配しましたが意外と快適な乗り心地、船での移動なら数倍かかる隠岐諸島、羽田から隠岐まで約2時間半、やはり移動はJALがオススメ

隠岐空港からタクシーで島一番の港町『西郷港』の隠岐自然館へ、火山の噴火で出来た2つのエリアは成り立ちが違っていて、中ノ島や西ノ島がある島前は、カルデラが海に沈んで、外輪山と中央の山が島として見えているもの、湖底や海底になる太古からの複雑な変化と火山のユニークな成り立ちが、ユネスコのジオパークとして認定されています
この火山活動の恩恵で、隠岐は旧石器時代の3万年前頃から良質の黒曜石が採掘されていた場所、黒曜石はマグマが地上で急速に固まってできる岩石、鉄やガラスが人工的に製造出来ない時代、鋭利な狩猟の矢じりや調理道具を作れる天然の加工素材として珍重されました、隠岐の黒曜石は主に中国地方で使用され四国からも発見されていて、かなり昔から船での交易があったことを証明しています
この島のダイナミックな成り立ちや自然を詳しく知りたい方はこちらのブログ記事を参照

左下が隠岐の島、右上の島の一つがこれから向かう中ノ島

隠岐の島に『フィッシャーマンズワーフ』?

フェリー乗船前に日本海を眺めながら海の幸を頂きます、港町なので有名店は沢山有るのですが、乗り場の直ぐ側ハーバービューの『フィッシャーマンズ・ワーフ隠岐』へ
サンフランシスコで有名なフィッシャーマンズワーフ(Fisherman’s Wharf)、漁港埠頭すぐ近くで水揚げされる鮮度抜群の魚介を、水槽から取り出して豪快に料理するイメージですが、この店名勝手につけて良いのかなと疑問に

ハーバーサイドの洒落た外観
港は良く見えます

調べてみると日本の釧路や氷見にもあるらしく、漁港近くで水槽から直接取り出す魚介料理の条件で、取り敢えずOKなのかもとここでランチタイム、団体さん対応で忙しく時間がかかると言われましたが、オーダーして待つこと5分位

この水槽だけだと迫力不足ですが、サザエさんとアワビちゃん
海鮮丼
アカモク漬け丼

やはり鮮度ですね、どちらも隠岐の味覚を楽しめました、特にアカモクという御当地の海藻ですが最近健康に良いと話題に、このアカモクとブリをタレに漬け込んで酢飯に乗せた料理は、余り他では食べたことがない味覚でとても美味しいです、乗船前にサクッと隠岐の島味を楽しむのにオススメ

今回の隠岐諸島の旅の目的の一つ、中ノ島で話題のホテル『Entôエント』に行くためフェリーに乗船

隠岐の島西郷港からこのフェリーに乗って中ノ島へ
今日は波も穏やかノンビリと小一時間、中ノ島の港が見えてきました

悲劇の天皇・後鳥羽上皇の絶唱を聴く

隠岐は古代から島流しの対象地、大宝律令や養老律令では、五刑(笞・杖・徒・流・死)の一つとして流罪(るざい)が定められ、神亀元年(724)、聖武天皇は流刑地を「遠・中・近」に区分し、隠岐国を伊豆や佐渡などとともに「遠流」の地の一つに指定
ただ島流しと言うと悲惨なイメージですが、隠岐は離島で政治社会からの隔離が可能でありながら、陰陽道で京都より北西にあり縁起が良く、立地的に高い文化を持ち合わせていたという歴史がありました
特に中ノ島は湧き水が豊富で稲作が根付き、海に囲まれ食が豊かで生活に困らないという好条件で、主に政治闘争に敗れた天皇をはじめ皇族や神官、貴族、知識人などの政治犯の流罪場所とされる事が多かったようです
平安時代には文人官僚の小野篁(おののたかむら)が流罪となり、鎌倉時代には歴史を揺るがした大物天皇・後鳥羽上皇の配流場所になりました
一時は天皇家も凌ぐ権力を持った平氏一族、平清盛の娘・徳子と高倉天皇の皇子として生まれ、幼くして皇位に就いた安徳天皇が源氏との合戦で平氏と共に命を落とした後、様々な思惑が絡み即位したのが、天皇の異母弟だった後鳥羽天皇
戦中の混乱の中の即位時は三種の神器も揃わず、平氏の滅亡、鎌倉で源頼朝が開幕、幕府内の北条一族の台頭と目まぐるしく世情が動いた時代です
急遽位に就いた帝でしたが、学問にも優れ時代のうねりの中で、武家社会と渡り合うために乗馬や刀剣の修練に自ら参加するなど、およそ優雅な貴族社会の頂点らしからぬ行動力で、名君の呼び声も高かった人
しかし時の流れはこの帝の味方にならず、源氏亡き後幕府の実質的支配者になった北条義時と反目、1221年幕府討伐の追討令を出しますが敗北、「承久の乱」と呼ばれる歴史事件の首謀者として、ここ隠岐の中ノ島(海士町)に流されます
日本史の大きな出来事の当事者で有りながら、隠岐の島での日々はあまり知られていない悲劇の帝、中ノ島に上陸してすぐ路線バスに乗りこみ、この島ゆかりの後鳥羽上皇の足跡を訪ねてみました

後鳥羽上皇行在所跡、遠流になった後鳥羽上皇の行在所に充てられ、明治初期の廃仏毀釈により取り壊された中ノ島の「源福寺」
後鳥羽上皇陵で荼毘に付され遺骨が納められた「後鳥羽天皇御火葬塚」、明治初期に大阪の水無瀬神宮に合祀され、祠殿は取り壊されました
後鳥羽天皇700年祭の昭和14年(1939)に創建された「隠岐神社」
「村上家資料館」村上家は配流された後鳥羽上皇の世話をし、その後も上皇の祭祀に関わったこの地の有力豪族

地元有力者の手厚い庇護があったようですが、それでも上皇に取って19年に渡る配流の生活は厳しく、望郷と無念さが渦巻くその胸の内を、『遠島御百首』という和歌に込め詠んでいます

書かれている和歌は遠島御百首の一つ「いまはとて そむきはてぬる 世の中に なにとかたらふ 山ほととぎす」

和歌の意味は「今は自分からすっかり捨て去ったはずのこの世であるのに、いまさら私に何を語りかけ思い出させようというのか、山のほととぎすよ」
美しいほととぎすの鳴き声に、都での生活を思い出されたのでしょうか、上皇の帰京の願い虚しく、人生の約三分の一を過ごしたこの地で60歳の人生を閉じられました

流刑地の立地が魅力となったホテル・『Entô』

ユネスコ認定の隠岐ジオパーク、普通はその現象が色濃く現れる場所に資料館を作り、その周りに飲食店や宿泊施設を配置し、地域振興のきっかけにという発想になりがちですが、こちらのホテルはジオパークの中心に資料館、そしてその上に宿泊施設をという意外なアイデアで創られました
ダイナミックな自然現象によって創生された島の造形そのものが、地球が設計した唯一無二の魅力溢れる建造物という考えです、公式ホームページがこのホテルのコンセプトを的確に表現しているので詳しい情報はこちら、旅の一日目はこの話題のホテル『Entôエント』に早速チェックイン

シンプルなラウンジ、中ノ島の入江のパノラマが目に飛び込んでくる
本館5階の和室ツイン、兎に角窓が広い

この孤島にあった国民宿舎の再開発に関わったスタッフの一人は、渋谷のオフィスから見える人工の世界から、初めて外部の太古の世界に行ったような、過去の空間を自分の目で直接触れている感動を覚えたと述べています

別館のジオルーム、島の成り立ちや歴史資料館になっています
ただの石に見えますが、古代の空気製造機・ストロマトライト、この微生物のお陰で酸素が地球を満たし、私達生物が生存可能に、言わば命の恩人です

隠岐の島々を心ゆくまで楽しみ、その豊かさを体験してもらいたいという目的で、この地の利を活かしたアクティビティも豊富、ホテル主催のジオパークウォーキング、島巡り、船釣り体験、夜光虫の神秘的な海を体験できるナイトクルーズ、ホリスティックケア等多岐に渡り島の魅力を満喫出来きます
あいにく大好評のディナーは半年以上前に予約をお願いしたのですが既に満席、年末年始の特定日以外夕食付きのプランは無く、朝食付きの宿泊予約が出来たら、直ぐにレストランも押さえる事を勧めます
(予約サイトは下記)

Ento(一休) Ento(エクスペディア)

幻の和牛を島で頂ける口福、『隠岐牛店』

上記の経緯で『Entôエント』宿泊の夜はホテルスタッフさんオススメ、歩いて3分の隠岐牛のお店へ、店名もそのまま『島生まれ島育ち 隠岐牛店』、月曜の夜でもほぼ満席状態、出かける時は必ず電話予約を、隠岐牛についての熱い思いが伝わる公式ホームページはこちら

焼肉店と思えない渋い建物
生産飼育販売まで手掛けるので、店頭でも販売しています
半個室的な席×4とカウンター席
肩肉、ばら、ももの三品盛
どの部位もかなりの厚さで提供されます
やはりこの時期が旬の島特産の白いか、焼いても身が柔らかく箸が進みます

焼きあがったお肉の写真を撮り忘れてしまいましたが、出荷量が少なく幻の黒毛和牛と言われる隠岐牛、ミネラルたっぷりの牧草と健康的な環境で育てられた和牛は、赤身もサーロインも適度な柔らかさと歯ごたえがあって、旨味が口いっぱいに広がります
単純比較は出来ませんが、銀座で隠岐牛を提供しているお店の値段を見ると、100gのステーキがこちらの約7倍、隠岐に行ったら頂かないのはもったいない、東京への出荷が多いようですが、直接取り寄せたいならふるさと納税がオススメ

次の日朝食付きにしたので、ホテルのモーニングを頂きます

朝食会場のレストラン、目の前が海
メニューは日本的な和食
とてもシンプルな和食ですが、一つ一つ島の山海の滋味が詰まっていて、満足度は高い
朝食後の島散策、4年の歳月をかけて砂浜を整備したレインボービーチ、町民の清掃活動に支えられ美しく保たれています
何気ない灌木に見えますが、フクギという沖縄で良くみられる木、この小さな島に多種多様な植物が生息する不思議

団体客も居ましたが一人旅の若い方も散見し、何もないけれども人を惹きつける魅力がある島、人口減少に悩む離島が多い中、中ノ島は若い移住者が増えているのだとか
移住者のアイデアや取り組みが、また新たな人々をこの島に引き寄せているという、その好循環をもっと深堀すれば、大都市の過密と地方の過疎化の問題を解決する糸口が有りそうです

ホテル全景、別館の方がより中ノ島の景色を楽しめそうでした
もう少しこの島を楽しみたかったですがフェリーに乗って西ノ島へ

上皇の無念を晴らした後醍醐天皇と絶壁の西ノ島

後鳥羽上皇が中ノ島に流されて約100年、後鳥羽上皇から5代目、祖先の無念を晴らすような天皇が現れます
1331年、同じ様に鎌倉幕府に反旗を翻した後醍醐天皇、この元弘の乱に敗れた責任を取って、1332 年に隠岐(西ノ島など諸説あり)に流されます、しかし上皇と同じ轍は踏まずそれから1年後、土地の豪族達の支援を受けて脱出に成功(因みに脱出経路がツァーになっています)
権力を回復し再度倒幕の旗印となって、それに呼応した新田義貞が鎌倉幕府を滅亡に追いやります、しかし政権を取り戻したのも束の間、新たに政敵となった足利尊氏に敗れ、位を譲った後に吉野に逃れ、あくまで自身が正統な天皇であると主張、南北朝時代の幕開けを主導しました
足利尊氏、新田義貞、楠木正成という武将達を巻き込み、歴代天皇の中でも極めて異彩を放つ歴史物語『太平記』の主人公の一人、自分亡き後北側(通常墓所は南向きに建てる)の京都に向かって、墓を建てよとの遺言を残してこの世を去ります、自分こそがこの国の統治者であると言う矜持を、苛烈に生き抜いてみせた帝王でした

後醍醐天皇が滞在した場所とされている「 黒木御所跡」
黒木御所跡から望む中ノ島
「碧風館」後醍醐天皇関係の資料が展示されています
島後の隠岐の島にある「隠岐国分寺」後醍醐天皇滞在地の候補のひとつ

隠岐諸島は後醍醐天皇が在所した時代の後も、高貴な身分の流人が訪れたことに加え、独特の地形から良好な港が整備され、江戸時代には北前船の寄港地となったこともあって、日本海側の物資や情報が集約され豊かな文化が根付いていきました
後醍醐天皇の足跡を訪れた後は、日本海の荒波に長い年月浸食され日本とは思えない、一見の価値ある西ノ島の雄大な自然造形を巡りました、その記事はこちら

ドライブの途中こんな一幕も、子牛が柵の間をすり抜けて道路に出てきてびっくり
黒毛牛は昨日美味しく頂いた和牛の親戚かも

西ノ島のサザエ丼 『コンセーユ』

隠岐二日目のランチグルメはサザエ丼発祥と言われる『コンセーユ』フランス語で忠告という意味、魚介やカキの定食メニューが多いですが、元はフレンチ出身のシェフ、ステーキなどもお勧めだそうです
この店の名物「サザエ丼」は味付けした「アラメ」や「メカブ」と言った、サザエの餌となる海藻をご飯に敷き詰め、その上に醤油で甘辛く煮付けたサザエの身や肝を盛り付けるという、丸ごとサザエを味わう一品!半熟卵との相性もgood

メニューはバラエティに富んでいます
西ノ島フェリー乗り場から5分の好立地の人気店
アラメは歯ごたえがあって、サザエと良くあう

このサザエ丼、「ご縁の国しまね」の島根観光プロモーションを引き受けてくれた、俳優の玉木宏さんもこちらで頂いたもの、その時の写真ポスターもありましたが撮影禁止でした
何のご縁があってと調べると、なんと隠岐・西ノ島はお祖父さまの出身地、物心ついた頃から何度も訪れ、成人しても時間ができると遊びに来ていた場所
お祖父さまは中国大陸を転戦、シベリア抑留と大戦に翻弄されながら生き延び、故郷に帰って102歳まで生きた方で、強く生き抜いてくれたからこそ今の自分があると、リスペクトして止まない気持ちをインタビューで語っていました
そんな島根県の魅力といえばやはり隠岐の雄大な自然、目まぐるしく風景が変わる街とは違い、何も変わらずそこに自然が在ることに安心するのだそうです
そんなご縁があったのなら、ぜひ大河ドラマで『後醍醐天皇 荒波を超えて太平を統べる』の主人公を演じてもらいたいです(タイトルは私が勝手に付けました、スミマセン)

島根食材の宝石箱 『dining 緋翠』

西ノ島の自然を堪能した後、フェリーで隠岐の島の港に戻ってレンタカーで島内観光した後、隠岐プラザホテルにチェックイン、夕食は評判の良いホテルの『dining 緋翠』へ

ヒオウギ貝の柚子胡椒と季節のゴマ豆腐、ヒオウギ貝はホタテのお兄さんのような貝、歯ごたえがしっかりしています
旬のお造り盛り合わせ、お刺身はさすが漁港町ならではの鮮度

岩ガキと白バイ貝が特にオススメ、初日のタクシーの乗務員さんが、サザエより美味しいとアドバイスしてくれた白いかとバイ貝、白いかは初日に頂いたので、バイ貝をどこかで食べたいと思っていたら、こちらのお造りに乗っていてうれしかったです、上品な甘さと歯ごたえでなるほどサザエより美味かもと納得

地獲れ海鮮と地野菜の宝楽焼き

宝楽とは素焼きの平たい土鍋の事で、そこに松葉や小石・塩を敷き詰め魚介や野菜を蒸し焼きにしたもの、元は淡路島の漁師飯だったものが、遠赤外線の加熱効果、敷き詰めた松葉や昆布の香りの密閉効果、余分な脂が小石や松葉に吸収されるヘルシー効果等、見た目の華やかさと素材の風味を生かす調理法として、京料理の献立でも重宝されています
提供された海鮮は海老、サザエ、蟹等魚介の定番ですが、調理法がマッチして海の幸が凝縮され、薄い味付けだけで十分な美味しさ

和牛の豆乳しゃぶしゃぶ、隠岐牛ではありませんがやはり島根名産の和牛、安定の美味しさです
豚角煮玉締め、冷やした茶碗蒸しですが、角煮との取り合わせでどことなく中華風味に、このバランスが面白い一品
隠岐名物爆弾おにぎりとアカモクの赤だし
蕨餅と旬果盛り合わせ

隠岐は岩ノリの産地、冬の荒れる日本海の岩場で採れる岩のりを乾燥させ、軽く焼いて醤油を塗り、包み込むと爆弾状のおにぎりに、地元の方は子供の頃の昔を懐かしく思い起こすソウルフード、名前がコミカルなのですが、岩海苔採取の労力を考えると笑っていいのかなと、でも磯の香りに包まれて思い出深い味わいのおにぎりでした
隠岐の山海の珍味を十分に堪能させて頂いたディナーでした、ホテルは築年数が経っていて、レストランやレセプションを除いてリノベーションが必要と思われましたが、隠岐にはなかなか新しいホテルが無いようで、トータルで満足度の高い宿泊先を見つけるのが難しいと思いました
(宿泊予約は下記)

隠岐プラザホテル(じゃらん)

ただ席に余裕があればレストランだけの予約も可能だとの事で、もし隠岐旅行を計画するなら是非電話予約してみて下さい

旅の3日目、隠岐の島西郷港、素晴らしい晴天で海の青さが際立ちます
ホテルの目の前に漁船が停泊、鮮度の良い魚介はこの距離だからこそ

出雲旅行とセットで周る予定で隠岐諸島は2日間の日程で計画を立てましたが、とても変化に富んだ魅力のある場所、島前(中ノ島や西ノ島)と島後(隠岐の島)の船での移動を考えると、それぞれ2泊ずつの日程でゆっくり楽しむことをお勧めします

最後に恒例隠岐の自然をお楽しみください

中ノ島のおじいちゃんに声を掛けられ東京からと言うと、遠いとこからよく来てくれたねと採ったばかりの栗をプレゼント、茹でると自然な甘さでホクホク
後鳥羽上皇行在所の跡地に咲く彼岸花
中ノ島の海岸を彩る白い花
西ノ島の展望台に釣り鐘状の小花

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