ワンダーな未知との出会いの旅ガイド

  • 箱根を彩る紫陽花(あじさい)を楽しむ

    山が虹色に染まる雨の箱根路

    一度は行ってみたかった梅雨の箱根路、何度も訪れていますが意外とこの時期の箱根を旅した事が有りませんでした、もちろんお天気には恵まれませんが、訪れた人達を七色の紫陽花が楽しませてくれるのがこの時期ならではの魅力
    箱根の深いグリーンを背景に雨に打たれる花々が、何処を切り取っても絵になる山の風景を演出してくれます
    先ずは旅のスタート地点、箱根湯本の早川のあじさい橋、元々違う名前だった橋が平成8年早川の環境整備を進めるタイミングで、箱根を代表する花の名前に改名されました
    紫陽花が如何に地元・箱根の人々に愛されているかが分かるエピソードです

    湯本でのグルメとカフェを楽しんだ後(その記事はこちら)、ガラスと本物の紫陽花の共演が楽しめる仙石原にある『ガラスの森美術館』へ 
    『ガラスの森美術館』は箱根の山と豊かな水を園内に取り入れ、イタリアのヴィラ風の建物が点在し、異国情緒とガラスの展示が美しくリピーターの多い美術館、私もとても好きな場所のひとつです

    入口に咲く?色褪せない七色の枝垂れ桜
    異国情緒あふれるガーデン
    有名な光のトンネル

    この時期の見所は1万5千個のクリスタルガラスのオルテンシア(イタリア語で紫陽花)と本物の花の共演

    晴れているとガラスのオルテンシアが虹色の光りを放ちます
    珍しい八重と円錐の形をした八重カシワバアジサイ
    この風景に溶け込むと野生の鴨も急にお洒落に見えます

    紫陽花のヨーロッパ名・オルテンシアはそのまま女性の名前にもなっていて、フランスルイ14世の治世で実質的宰相の地位にあったマザラン枢機卿の姪で、剣や銃を携える男装の麗人として名を馳せたオルテンシア・マンチーニ等が有名です
    もしかしたら小学生の頃流行した手塚治虫作品『リボンの騎士』のモデルかしら(年齢がばれますね)と思って調べると、宝塚歌劇団の舞台を見てインスピレーションを得てアニメ化されたようです、すべて日本のカルチャーから生まれた名作だったのですね

    徳島県の特産・藍色が鮮やかなその名も藍姫
    梅の花のような形が珍しいウズアジサイ、池の対岸にイタリア風のカフェレストラン
    花が終わった藤棚にクリスタルの簾
    早川を望むテラス近くにライトグリーンの群生

    園内のヴェネチアン・グラス美術館では当時の貴族たちを魅了した、門外不出のガラス工芸作品を見る事が出来ます
    中世ヨーロッパの東西貿易の中心地だったヴェネチア、ガラス工芸の原料が調達しやすい地の利を活かし、職人をムラーノ島に集め育成し、芸術的なガラス工芸品を作り出すことに成功しました
    緻密なレースガラスなどの精巧さと美しさは、現代のガラス工芸の技術者が知見を駆使して再現しようとしても出来ないと言われるほど、ロマンと歴史的価値に満ちています
    ヴェネチアに多大な利益をもたらすガラス工芸の技法は、その技術者達も含め島から出られないよう国の厳しい管理下に置かれていましたが、それでもその職人たちが連れ出され(多分密かに)ヴェルサイユ宮殿の鏡の間を造営したそうです
    人数も12人と分かっているので、ヴェネチアかフランスでしっかり記録が残っていたと思われる映画になりそうなエピソードです、撮影禁止マークを見て撮れないと思ったのですが、後で良く調べるとフラッシュをたかなければOKだったようです
    写真を撮り損ねてしまったのでここには載せられなかったので、ぜひ本物を見に行ってくださいね
    たまたま美術館で国際的に活躍する『アルベルト・デ・メイス』のヴァイオリンミニコンサートを聴くことが出来ました、知り合いの声楽家の方がヨーロッパ留学で石造りの建物でクラシックを演奏すると、その反響の妙で自分の声が急に素晴らしく聴こえて驚いたと語っていましたが、コンサートホールよりも距離も近くこの空間で共有される音楽が素晴らしかったです

    本人の写真はNGと言われたので会場の様子、音楽がますます美しく聴こえました

    中でもご本人が本当に美しい音楽ですと熱く語っていた、ピアニストのロルフ・ラブランドとヴァイオリニストのフィンヌーラ・シェリーの二人のデュオが奏でる名曲『ソング・フロム・ア・シーックレット・ガーデン』
    レクイエムを想わせるメランコリックな音色が、アルベルトさんの力強いビブラートに乗せられて会場に響き渡ると涙する方も、初めて聴いた曲なのですが本家の演奏がYouTubeにupされていたので、ぜひ聴いてみてください

    箱根路の二日目は強羅公園に紫陽花を訪ねてみました、大正時代から既に東京の避暑・別荘地として発展してきた箱根、そこに集う人々の交流の場所として1914年開園し100年以上の歴史があります
    強羅の急斜面を生かして作られた庭園は様々な花が咲き、季節ごとに来園者を楽しませてくれていますが、6月はやはり紫陽花が主役、入口の階段の左右から紫陽花の花が出迎えてくれている様でした

    珍しいツルアジサイ、岩に絡みつくように咲くのでその名の通りイワガラミと呼ばれ食用にもなるそうです

    この時期の一番の見所はローズガーデンから噴水池にかけての小道に、約300株の白い大輪の紫陽花・アナベルが咲き誇るアナベルロード
    アナベルは咲き始めのやわらかなグリーンから純白へと花開き、見頃を過ぎる頃には再び淡いグリーンへと変化する、そのうつろう花の姿がアナベルの魅力のひとつと言われています

    紫陽花は土壌の酸性度によって花の色が変わるので、同じアナベルだと思うのですが、時々ピンク色の花も有ります
    アナベルに似ていますがフレンチレースという紫陽花
    こちらはホワイトクリスマス、ネーミングに花への愛情が感じられます
    まだ薔薇も咲いていました、珍しい青薔薇系のノヴァーリス
    濃い紫が緑に映えます

    公園のお花を観て園内の『一色堂茶廊』(造園を手掛けた当時の第一人者の名前だそうです)へ、ランチの記事はこちらです

    ランチの後は強羅駅から紫陽花お花見列車に乗車しました、大平台まで線路の両側に群生した紫陽花を見ながら走ります

    走りだすと早速白、ピンク、水色の花々
    列車のスピードが速く、シャッターチャンスが難しい
    各駅には鉢植えの珍しい花も
    名前が分かりませんが、可憐な蝶が集まったような紫陽花

    大平台で降りると「あじさいの小径」という散策路が有り、とても背の高い紫陽花が線路際に咲いていて、都会の道端の可憐な姿とは違う生命力を感じました

    大人の背の高さほどの見上げるような花の群生
    こちらは赤とレッドパープルが鮮やかで情熱的な紫陽花
    鉄道ファンが喜びそうな一枚
    箱根登山鉄道の勾配は日本一

    何故箱根にこれほど多くの紫陽花が咲くのかと不思議に思って調べてみると、始まりはとても実用的な目的だったそうです
    河津桜の様に一人の篤志家の情熱がその地域を花の里へと変貌させたようなエピソードがあるのかと想像していましたが、登山鉄道の線路際に盛り土が多く、雨で流されるのを防ぐために幾つかの候補の中から紫陽花が選ばれたという事です
    鉄道のスムーズな運航の為の紫陽花の植栽でしたがその美しい風景が評判になり、シーズン前になると社員総出で草刈りや紫陽花のメンテナンスを行うことで、今では箱根の大切な観光資源となっています
    今回は見られませんでしたが、夜のライトアップで花を鑑賞できる列車も運行されるので、ここでしか見られない美しい景色を是非楽しんで下さい

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  • 箱根湯本の豆腐料理と強羅のアフタヌーンティー

    季節を変えると違う楽しみが有る箱根グルメ

    車でも電車でも箱根への出発点になる箱根湯本、早川の流れに何時も癒されますが、箱根の山そのものが独特の気候のおかげで豊かな水源になっていて、山そのものが広大で高性能な浄水装置、美味しい水は箱根のもう一つの大切な資源です
    その水源を生かして造られる美食の数々、特に水の美味しさがダイレクトに料理の味に影響する、手打ちそばや豆腐の名店が点在しています
    湯元で頂いたのは豆腐・山芋料理専門店の『知客茶屋(しかぢゃや)』、1938年湯宿として創業した老舗です
    名前の由来は禅寺で来客を接待する役僧のことを「知客」と言うそうで、お「客」様が何を望んでいるか「知」ると言う意味で『知客茶屋』と名付けたそうです
    今は旅館を閉めて茶屋として営業していますが、約90年の老舗の徹底したお客様ファーストの哲学で箱根湯本にしっかり根付いています

    老舗の趣を感じる入口
    旅館時代の看板が掲げてある店内
    平日限定メニューはこちら

    向かって右が生湯葉の刺身、左がワサビ味噌奴、胡麻・わさび・白みそのたれがかかっていますが、この組み合わせが濃い目の豆腐と合います

    次はこのお店のスペシャリテともいえる早雲豆腐、早雲寺の住職より聞いた精進料理にヒントを得て、混布だしの中で温めた木綿豆腐を引き上げ、温かいうちに田舎味噌で味付けしたとろろをかけています、初めて食べたお豆腐料理ですが専門店の心意気を感じた一皿

    次は海苔の上にすりおろした山芋を乗せ醤油で焼き上げた山芋磯辺焼き、おやつ感覚で家でも出来そうですが、良質な山芋が手に入るご当地ならではの美味しさです

    次は豆腐ステーキ、とろろ、麦ごはん、ステーキは淡白なお豆腐をバター焼きにしていて意外とコクがあり、とろろもかなりのボリュームでとても満足感がありました

    予約もできますが少し高めのコース料理からになるので、私達は予約せずに11時開店ちょうどに行ってすぐ座れました、道路を挟んで向かいのお店がお蕎麦の人気店の『はつ花』、お店を出るとこちらは長蛇の列、『知客茶屋(しかぢゃや)』もとてもオススメなので是非立ち寄ってみて下さい

    食事を終えたらまた川を渡って街の中心戻ると、こちらも箱根の老舗喫茶店『ユトリロ』へ

    コーヒー一杯が800円からとちょっとしたランチ価格ですが、自家焙煎したコーヒー豆を注文してからを挽き、箱根の湧水でドリップ、写真のような器に入れて持ってきてくれます、1杯半ぐらいと考えるとこのお値段でも納得でしょうか、もちろん美味しいコーヒーでした

    お食事にも力を入れていて、スタッフ達と顔見知りのようなお客さんがランチを楽しんでいました
    店名にもなっているユトリロの絵を中心に、オーナーの趣味で収集された絵画が飾られています

    アフタヌーティーも紫陽花づくし

    箱根の紫陽花巡りは強羅公園の紫陽花を楽しんだ後、公園内のサンドイッチ専門店『一色堂茶廊』へ、ランチでも紫陽花を楽しみました、期間・数量限定ですがあじさいアフタヌーンティー、行く前に予約をすると確実です

    一色堂茶廊の外観
    サンドイッチは一人一種類選べます
    ティーセットの器はイギリスのバーレイ社、お皿はティファニー
    八角形のドーム型の店内はどこからでも公園の景色が望めます

    二泊目は同じ箱根ですが芦ノ湖畔のホテルへ、なるべくご当地で個性的なグルメレストランを探すのが趣味なので、ディナーはレイクサイドの『芦ノ湖テラス』へ、人気店なので特に週末は予約をしないで行くと入店まで時間がかかります

    お店から芦ノ湖が良く見えます
    バジルとアーモンドのトラパネーゼ、イタリア・シチリアの郷土料理パスタ
    てんぷらの様に見えますが三島野菜のフリット
    鮮魚のアクアパッツア

    地元食材を使ったオーソドックスな味のイタリアン、ピザやアラカルトメニューも好評で、夜も営業しているお店が少ない元箱根で使い勝手の良いお店です

    箱根3日目のランチはお気に入りのイタリアン『ソラアンナ』(去年載せたこのお店の記事はこちら)だったので、夜はさっぱりとやはり元箱根でお店オリジナルのうどん店『絹引の里』へ

    元箱根の鳥居が目印、ここから歩いて直ぐ
    入口にうどんの製法が刻まれた看板が、かなりのこだわりが感じられます
    一見蕎麦の様に見える絹引きうどん、細麺でもしっかりした腰があり濃い目のつゆと相性が良いです、営業は夕方までなので早めの来店を

    食事を終えて通りに出ると夏至近くだったので6時ぐらいまで明るく、箱根神社の水中鳥居を見ることが出来ました、この景色を見ると箱根に来たと実感します

    まだまだ知らないお店が沢山ある箱根、これからも新しいお店を探訪してブログに載せたいと思います

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  • 足利フラワーパークとグルメ

    天下人の郷は花と学びの里

    4月は奈良の桜巡礼でしたが、5月は藤を観に足利フラワーパークへ、奈良吉野の記事はこちらです
    時間差で咲くように大藤のピークが過ぎても、様々な藤を楽しめるとの前情報だったので、混雑を避けてゴールデンウィーク明けに旅行計画を立てていました
    でも残念ながらやはり温暖化の影響なのか、藤の満開はゴールデンウィーク前で、今回はほとんどの藤が終わっていました
    それでもフラワーパークの名前通り、園内は薔薇とクレマチスが満開、見応えの有る花々の姿を楽しむ事が出来ました、それぞれの品種に名前や出身地の記載があって、一つ一つの薔薇に歴史や育てた人の思いが伝わって来ます

    インスタ映えする薔薇庭園
    クリーム色の白に淡いピンクがはかなげなマチルダ
    モーリス ユトリロに捧げられた薔薇、他にセザンヌやシスレーという画家の名を冠した薔薇もあるそうです
    黄色が眩しいほど鮮やかゴールドバニー
    ローズ・ポンパドゥール

    ローズ・ポンパドゥールはフランス革命前夜のルイ15世の治世で、王の寵妃でありフランス宮廷のファッションリーダーだったポンパドゥール夫人が好んだピンク色の花を咲かせる事で、この名前になったようです

    花のピラミッド
    晴天だと結構暑いので、ストロベリーティーで一休み

    薔薇と同じ季節に咲くのでイギリスでは薔薇をキング、こちらをクイーンと呼ぶクレマチス、日本ではカザグルマと呼ばれていた花が、江戸時代ヨーロッパに渡り、品種改良を重ねて大輪の花となり、再び日本へともたらされ総称『クレマチス』と呼ばれているようです、日本を飛び出しグローバルな経験を積んで大きく成長し、故郷に錦を飾った花のサクセスストーリーです

    一般的イメージはこちら
    薄紫が素敵
    同じクレマチスでもとてもゴージャス

    クレマチスの花言葉は『旅人の喜び』、その花言葉からインスパイアされたのかはっきりした資料はありませんが、復原された赤レンガの東京駅丸の内駅舎について勉強する機会があり、ドームの天井を彩る彫刻にクレマチスの花が採用されていました

    列車の車輪もイメージできる中央のクレマチスの彫刻

    足利フラワーパークは当地の名士が庭に大藤を植え、その藤を近隣の人たちに鑑賞してもらおうと『早川農園』として開園、その後パーク整備に膨大な投資をしましたが、花の季節以外来園者が少なく何度も倒産の危機に直面しました
    その度にここでしか見られない地域に根付いたオンリーワンの感動を目指して、質の高いサービスを社員全員で創意工夫を繰り返し、今では2014年にアメリカCNNが「世界の夢の旅行先10カ所」(日本としては唯一)として取り上げられ、国内だけでなく世界中の観光客をも魅了する一大観光施設となっています
    因みにこの時一緒に取り上げられた旅行先に、アマルフィ海岸の教会ホテル、オーロラ観測が出来るフィンランドのガラスドームホテル、世界最大のサンゴ礁グレートバリアリーフのヘイマン島等があります
    ここは大藤だけでなく早春の梅、チューリップや桜、藤が終われば薔薇、クレマチス、菖蒲、睡蓮と季節ごとの花で来園者を楽しませ、夜はイルミネーションが園内を幻想的に彩ります、今回大藤は見逃しましたが、また是非訪れたいと思う花の里でした

    足利は名前の通り源氏の末裔で関東武士の一族足利氏の出身地、日本で初めて武家政権を樹立した源頼朝と共に平氏を打倒、反幕府の承久の乱の時は幕府軍の中心となって戦さを勝利に導き、源氏が途絶えた後実権を握った北条氏と幾重にも婚姻を結び、有力氏族として鎌倉幕府を支え続けます
    しかし鎌倉政権が求心力を失うと、元々は主家筋源氏の出身である足利氏は北条氏に反旗を翻し、天下人として足利室町幕府を樹立します、京都を拠点とした足利幕府ですが、鎌倉幕府が滅亡した後も関東武士の中心地・鎌倉は重要な場所でした
    尊氏の次男が鎌倉公方として関東を押さえましたが、代が進むにつれ独自色を出して本家と対立、応仁の乱の前後になると関東武士もそれぞれ主君を変えて勢力争いが絶えなくなり、関東の足利氏は古河の地での公方職を最後に歴史の中へ消えていきます
    また武力だけではなく学問も重視する文化があった足利、室町時代には学徒3000人、明治維新まで続いた日本初めての学校『足利学校』が創設された場所、当時としては珍しく身分を問わず向学心があるなら入学が許可され、儒学だけではなく易学、史学、医学を自学自習とディベートを通して複数の領域を学び、実社会の問題解決を図る現在のリベラルアーツ大学のような学問所だったようです、源氏から足利、関東武士と足利学校の詳しい記事はこちらです
    徳川家康に重用され、江戸幕府創生期の参謀のような役割を果たし、齢100歳を超えて三代将軍家光の治世にも影響を与えた、日光東照宮の立て役者・天海僧正も、10代の頃この足利学校で学んでいました、日光東照宮の記事はこちら

    この足利学校から徒歩8分、美しい風景とグルメはいつもセットの私達は『京かのこ』でランチを楽しみました

    看板は小さめ、お店はビルの2階にあります
    すべて個室で昼夜共に予約のみの営業
    足利の支援学級の課外活動のブドウ畑から始まり、サミットやファーストクラスに採用されるまでになったココファームワイナリーも楽しめます

    まずはカリフラワーのすり流しと焼きゴマ豆腐、カリフラワーは西洋料理の食材というイメージですが、あっさりとした日本の出汁との組合せはなかなかのアイデア、焼くという調理法は初めてのゴマ豆腐、表面を少し硬さが出るぐらいに焼き上げ、煎りごまをふんだんにかけてさらに香ばしく、そこに練りゴマも加えるという一皿にゴマの美味しさすべてを凝縮したような一皿

    お造りはインドマグロ・スミイカ・シマアジ、出汁のジュレを添えて、お醤油だけだと味が平凡になりますが、ひと手間かけてさらに味わい深くなっています

    口取りは定番の玉子焼き、巻海老、穴子と青椒、山ウド、竹の子等の旬の野菜が縞模様の様に並びます、野菜はすべてがちょうど良い歯ごたえに調理されています

    ハマグリのしんじょう、蓬麩、木の芽おろし、海の幸と山の恵みの両方が頂ける嬉しさ

    山菜とちりめんの炊き込みご飯、山ウドと大根の漬物、豆腐とほうれん草の味噌汁、一つ一つ土鍋で炊いたご飯は日本人の郷愁を誘います、山菜とちりめんの組合せも絶品

    ほうじ茶アイスとコーヒー、どちらも焙煎系の味で食後の満足感をさらに高めてくれました

    味付けは全体的に優しく、京料理よりも素朴な和食という感じですが、一品一品とても丁寧に作られていて、足利の花を観賞した後ゆっくりとグルメが出来るオススメのお店です

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  • 日光のなりたちを知る

    日光には、東照宮、二荒山神社、輪王寺があり、訪れる多くの人がこの「二社一寺」を参拝します。このうち、東照宮は徳川家康を「東照大権現」という神として祀る神社ですが、二荒山神社と輪王寺は奈良時代に山岳信仰の社寺として創建されたもので、東照宮よりはるかに長い歴史をもっています。ただし、「二社一寺」がこのように明確に分離するのは明治初年の神仏分離令以後のことです。近世以前には、仏堂、神社、霊廟等をすべて含めて「日光山」と呼んで、神仏習合の信仰が行われ、山岳信仰の聖地となりました。

    日光東照宮
    日光東照宮

    日光山は、奈良時代の僧・勝道上人により、次のように開創されたと伝えられています。天平神護2年(766年)、勝道上人と弟子の一行は日光山の麓にたどりつきましたが、大谷川(だいやがわ)の激流に阻まれて向こう岸へ渡ることができずに困っていました。そこへ異様な姿の神が現われ「我は深沙大王(じんじゃだいおう)である」と名乗って2匹の大蛇を出現させると、それらの蛇が橋となって、一行は無事対岸へ渡ることができました。それが現在の「神橋」(しんきょう)のいわれです。深沙大王は、唐の玄奘三蔵が仏法を求めて天竺(インド)を旅した際に危機を救った神とされ、神橋の北岸には今も深沙大王の祠が建っています。

    神橋
    深沙大王堂

    勝道上人は、ふさわしい土地を見つけ、四本龍寺(しほんりゅうじ)を建てました。これが現在の輪王寺ですが、当初は現在の本堂(三仏堂)がある場所から1km以上離れた場所にあったとされ、現在そこには観音堂と三重塔が建っています。

    四本龍寺三重塔

    勝道上人は、四本龍寺に隣接する土地に男体山の神を祀りました。そして天応2年(782年)、男体山に登頂し、観音菩薩の住む補陀洛山(ふだらくさん)に因んでこの山を二荒山(ふたらさん)と名付けました。後に「二荒」を音読みして「ニコウ=日光」と呼ばれるようになり、これが日光の地名の起こりであるとも言われています。男体山頂からは、奈良時代にさかのぼる仏具などが出土しています。

    日光二荒山神社
    日光二荒山神社

    延暦3年(784年)、勝道上人は、男体山麓にある湖(中禅寺湖)のほとりに中禅寺を建立しました。立木観音の通称で知られる中禅寺は現存していますが、当初は湖の北岸にあった堂宇が明治時代の山津波で押し流されたため、現在は湖の東岸に移転しています。

    中禅寺湖と華厳の滝

    鎌倉時代には将軍家が帰依し、将軍の護持僧として仕える僧侶が輩出しました。神仏習合が進展して、三山(男体山・女峰山・太郎山)三仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)三社(新宮・滝尾・本宮)が同一とされ、山伏の山岳修行が盛んになりました。室町時代には、僧坊が建ちならび、隆盛を極めました。

    日光連山 左から男体山、太郎山、女峰山
    日光連山遥拝所

    徳川家康は自分が亡くなった後、江戸城から真北の当地へ埋葬するように言い遺していました、家康の臨終にも近侍した天海大僧正は、天台宗の教えで徳川家康を東照大権現として神格化し日光山に迎え祀ります
    自分が創り上げた江戸幕府を死してなお見守り続けられるようにという強い意志でこの地に埋葬された家康公、当初の墓所は家康らしく質素なものだったそうです、それから約20年、深く祖父を敬愛していた孫の三代将軍家光の代になり、1634~1636年の東照宮造替によって絢爛豪華な姿に生まれ変わりました
    幕府の威信をかけて延べ450万人を動員、当時の人口の約4人に1人がこの造営にかかわった計算になり、現在の貨幣価値に換算すると500億以上の一大プロジェクト、東照宮はこの時の姿を残しつつ平成の大修理を経て、江戸から東京へと変わった首都を今も見守ってくれているようです

    何度見ても感動を新たにする陽明門
    唐門の彫刻も素晴らしい
    9時開門の朝早参拝だったので、お勤めの僧侶たちの姿も
    陽明門の威容の合間に、箸休めのような三猿

    三猿の姿だけがいつもクローズアップされますが、その左右には儒教的概念で猿の一生が描かれています、威厳を示しながらこの辺りはとてもポップな表現が多く、造営の陣頭指揮に当たった天海僧正は堅苦しいだけでなく、遊び心のある文化人だったと思われます

    眠り猫は家康公の墓所に続く奥社参道の入口を護っています、牡丹の花が咲く日の光の中で裏側に描かれている遊び戯れる2羽の雀を、眠るような姿の猫が見守っているという構図です
    強いものが弱いものを虐げる事が無いよう共存共栄の平和な世の中を表現しているとも言われ、戦国の修羅を生き延びてきた家康公の最後に見たかった風景が、農家の軒先で繰り広げられる、ひなたぼっこの猫と安心して遊ぶ雀たちのありふれた日常の姿だったとは、ここに込められた思いを知ると、長閑な眠り猫の姿に平和への強いメッセージを感じます

    江戸幕府の重臣・酒井忠勝が奉納した五重塔、山の標高と建物を併せると634m、スカイツリーと同じ高さに、他の五重の塔では見られないぐらい多くの彫刻が施されています

    東照宮とセットで観たい輪王寺は江戸時代、天海大僧正(慈眼大師)が住職となり、輪王寺の称号が勅許されさらに慈眼大師と三代将軍家光が新たに祀られ、「日光門主」と呼ばれる皇族出身の僧侶が住んで宗門を管領され幕末に及びました

    日光山輪王寺三仏堂 千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音が安置されている
    日光山輪王寺大護摩堂
    日光山輪王寺大猷院 徳川家光を祀っている

    天海僧正の御廟も当寺にあります、一説によると東照宮の完成からなおも7年の歳月を生き、108歳の天寿を全うしたとか、今でも珍しい超高齢者ですが長寿の秘訣は以下のようなもの
    気は長く(気持ちを穏やかに持ってストレスを貯めない)
    務めはかたく(真面目に良く働く)
    色薄く(仏門の方にはご縁が無かったかと)
    食細くして(あまり食べすぎず)
    心広かれ(心を広く持ってこだわりすぎない)
    この地域全体が天下人のエネルギー溢れるパワースポット、当時の思想や文化芸術の粋を集めた建築・彫刻・壁画の数々、世界各国からの参拝者で賑わう日本を代表する観光地であるのも頷けます

    食は制限してとの慈眼大師の教えですが、せっかくこまで来て食細くするのも割に合いません、東京に帰ってから実践すると心に決めて、輪王寺近くの『明治の館』でランチを頂きました
    ここは明治時代のアメリカ貿易商の別荘をレストランとしてリノベーションした建物、日光の風景と西洋風建物が溶け合ってとても優雅な気分に

    趣のある石造りの館、予約は取らない11:00~開店なのでお早めに
    調度品など明治時代の建築時の物も残されています
    かぼちゃのポタージュ
    サラダ
    虹鱒のムニエル明治の館風
    ロールキャベツ
    こちらのレストランの一押しチーズケーキとコーヒー

    味はスタンダードな洋食ですが、日光と洋風の別荘の雰囲気を加味してオススメです
    またこちらのチーズケーキ『ニルバーナ』は、日光山輪王寺第81世門跡 柴田昌源大僧正が命名、仏教用語で”最も優れたもの”を意味する”ニルバーナ”、「日に輝く瑠璃の華の如し」という想いを込めて漢字で「日瑠華」と書きます
    材料は小麦粉を一切使わず、クリームチーズ・卵・砂糖だけといたってシンプル、味の決め手となるクリームチーズは酪農王国デンマークの中でも厳しい基準をクリアした最高級品を使用、季節や温度・湿度の変化を見極め、ベストな柔らかさで砂糖と卵を加えるというパティシエの勘と技が作り上げる逸品
    焼き上げて二晩ほど寝かせる事によって生地が落ち着き、さらにしっとりと風味もまろやかになる頃がベストなタイミング、仕上げにトッピングされる新鮮なレモンで作った特製サワークリームの酸味が絶妙なバランスとなって、チーズケーキの味をさらに引き立てます
    このレストランのスペシャリテとも言えるスイーツ、テイクアウトやお取り寄せも出来るので是非ご賞味ください

    入口のジャムやケーキの販売コーナー

    日光の帰り際、創業100年の歴史を感じる建物が目を引くお土産処『日光物産商会』へ、もちろんお土産はこちらです

    老舗の風格
    伊達巻のような形の味付け湯波

    今回日光を訪れて、京都と日光の湯葉が漢字や製法も違うものだと知りました、京ゆばは「湯葉」、日光ゆばは「湯波」と書き、京都は京料理を彩る名脇役として用いられ、製法も一重で引き上げ薄くて繊細な湯葉です
    一方、日光の湯波は含め煮や生湯波のさしみなど、料理の主役として用いられ、二重で引き上げるボリュームのある湯波、日光は男体山などを信仰対象とする山岳信仰・修験道の霊場でもあり、日光山で厳しい修行を行う修験者にとって、栄養豊富で消化吸収の良い『ゆば』は単なる食べ物ではなく、命をつなぐ貴重なライフライン
    そのような経緯を知って口に運ぶと日光の美味しい水と良質な大豆と職人の技が生み出す名物は、歯ごたえがしっかりしていて大豆ミートを彷彿とさせる味わいでした

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  • 足利氏のふるさとを歩く

    清和源氏の嫡流、前九年の役や後三年の役で活躍した源義家(八幡太郎義家)の子、源義国が、足利氏と新田氏の祖です。所領の地名をとって、義国の長男義重が新田、二男の義康が足利を名乗りました。
    足利義康が領有した地が、現在の足利市です。この地には、源義家が奥州合戦の戦勝祈願のために勧請した、下野国一社八幡宮があります。八幡宮は、応神天皇を祀る神社で、源氏の氏神です。

    下野国一社八幡宮
    下野国一社八幡宮

    足利義康の子義兼が居館を構えた場所が、足利氏の氏寺になる鑁阿寺(ばんなじ)です。義兼は、居館の中に持仏堂を建て、大日如来を祀りました。

    鑁阿寺は堀で守られている
    鑁阿寺
    鑁阿寺
    鑁阿寺大酉堂 足利尊氏を祀っている

    源頼朝が伊豆で挙兵した時、足利義兼はいち早く頼朝に従軍し、その後義兼は、北条政子の妹時子を妻に迎えて頼朝との関係を深めました。また義兼は身内の菩提のために樺崎寺を建て、その後3代目義氏が八幡神を勧請して義兼を合祀し、樺崎八幡宮となりました。

    樺崎八幡宮
    樺崎八幡宮
    樺崎八幡宮
    樺崎八幡宮の多宝塔跡
    法玄寺 足利義兼の長男義純は、義兼の正室北条時子の菩提寺として法玄寺を創建した
    法玄寺 北条時子姫五輪塔

    一方で、新田義重は頼朝挙兵の際に様子見をして頼朝の怒りを買い、その後許されたものの冷遇されました。もっとも、新田義重が平宗盛のもとに仕えさせていた孫の里見義成は、平家の館を脱出して頼朝のもとに駆けつけ、頼朝の信頼を得ました。

    時代が下って、室町幕府の初代将軍足利尊氏は、応安元年(1368年)に足利の地に善徳寺を創建しました。

    善徳寺
    善徳寺

    室町幕府は東の拠点として鎌倉府を作り、足利氏が勤める鎌倉公方と、それを補佐する関東管領を置きました。足利尊氏の子、基氏が初代の鎌倉公方となり、尊氏の母の実家上杉氏が代々の関東管領を勤めました。
    しかし、その後鎌倉公方は将軍家と対立するようになり、将軍家への反抗を関東管領上杉憲実に諌められた足利持氏は、永享10年(1438年)に挙兵して憲実を攻め、将軍の支援を受けた憲実軍に敗れて自害します。主君を死に追いやった憲実は出家しました。

    足利学校 創建には諸説あるが、上杉憲実が制度を整備し書籍を寄進して本格的な教育施設となった
    足利学校

    足利持氏と上杉憲実の子の代になって、鎌倉公方足利氏と関東管領上杉氏が関東の勢力を二分して争う享徳の乱が起きました。足利成氏が享徳4年(1455年)に鎌倉を撤退して古河に移り、それからは古河公方と呼ばれます。

    古河公方公園
    古河公方館跡
    東京新橋の烏森神社 足利成氏はここで戦勝祈願を行った
    尊勝院 古河公方が祈祷を行った真言宗の寺

    その後、平氏の子孫である伊勢氏が北条を名乗って関東で勢力を拡大し、足利家に干渉しました。北条氏康は縁戚となった足利義氏を強引に古河公方にさせ、自らを関東管領としました。古河公方は、事実上この義氏が最後となります。

    足利義氏の墓(古河公方公園内)

    北条氏康に関東を追われて越後に逃れた上杉憲政から関東管領職を譲られた上杉謙信は、古河公方として足利藤氏を戴き、度々関東に出陣して、源氏の子孫で代々足利氏を支えた安房の里見義尭・義弘親子などとともに北条氏と敵対しました。しかしその後、上杉謙信と北条氏政が武田信玄を警戒して越相同盟を結び、戦国の勢力争いのなか、関東で足利氏が影響力を示すことはなくなりました。

    関東足利氏の足跡をたどってあまりメジャーな観光地ではない古河を訪れましたが、きっと地元の人しか知らないようなグルメなお店が見つかるかもといろいろ検索してみるのも、宝探しみたいで楽しいものです
    今回訪れたのは『蕎苗』
    蕎は音読みでキョウ、ナエと合わせてキョウナと読みます、予約不可、小学生以下は入店出来ません、11:30~の開店間際に行きましたが既に車の中で待っている人が3組、先着順に案内されます

    普通の住宅街の中にあります、この看板が目印
    店内はリノベカフェのようなしつらえ
    メニューは多くありませんが、ランチには十分
    最初に提供された蕎麦豆腐、ゴマとは違う風味でダイレクトに蕎麦を楽しめます

    一組目の提供が10分ぐらいかかります、その間メニューの最初に書かれてある茨城や北海道の国産ブランド蕎麦にこだわり、挽き方も蕎麦の風味を損なわないよう工夫し、打つ水はアルカリイオン水、真心を込めた手打ちという説明を読みながら、4番目なので40分ぐらい待っていました、訪れる時は時間に余裕がある日が望ましいです

    ボードに今日の蕎麦の産地を表示
    舞茸せいろ、汁と天ぷら両方で舞茸を楽しめます
    主人は鴨つくねせいろ、こちらの鴨はハンガリー産との事

    つゆは濃い目ですが、舞茸の出汁も効いてのど越しの良い蕎麦と相まってとても美味しいです

    蕎麦湯は普通蕎麦のゆで汁ですが、こちらは別途そば粉から炊き上げ、独特の陶器で提供されます
    デザートの蕎麦寒天、黒蜜ときな粉との相性が抜群

    必須アミノ酸が多く、江戸時代白米が主食になってビタミンB1不足から脚気(江戸わずらい)に悩まされた江戸で、栄養不足を補うために流行した蕎麦、現代では蕎麦に多く含まれるカリウムが高血圧の予防に効果的であるとの報告もある栄養食、昔は飢饉に備える雑穀の一つでしたが、今の栄養学では日常の食生活に取り入れる事が推奨されています
    健康に良くてしかも高級食材ではない蕎麦、日本各地にお蕎麦屋さんはありますが、『蕎苗』はおススメできる古河の隠れ家的名店です

    美味しい蕎麦の後はご当地のコーヒーで締めなければ気持ちよく東京に帰れません、いろいろ探して見つけました、こだわりの自家焙煎コーヒーの『からきやコーヒーカフェ』

    メニューにもこだわりを感じます
    ロイヤルブレンドはバランスが良く美味しいコーヒーでした
    建物は別ですがショップではコーヒー豆や器具の販売もしていて、入れ方をレクチャーしてくれるそうです

    古河市のふるさと納税返礼品にもなっているコーヒーセット、珈琲好きな人なら古河に買いに行くのも大変なので、納税でお得に取り寄せるのもおススメです

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  • 最新ウォーターフロントと伝統文化が合流する江東区を歩く

    江東区は昭和22年(1947年)に深川区と城東区が合併して誕生した区です、深川地域は江戸時代初期の埋立て後、木材・倉庫、商業、文化の町として栄え、城東地域は農業によって江戸の暮らしを支えた地域、明治時代になると広い土地と水運を利用して、次第に東京の工業地帯となりました

    豊洲 ― 工業地域から観光地へ
    豊洲は1930年代に東京湾の埋立てによって誕生し、造船・ガス・倉庫などの工業地域として発展しましたが、1990年代以降工場の移転や閉鎖が進んで再開発が行われ、タワーマンションや商業施設が次々に建設されて、洗練された湾岸エリアに変貌、そして2018年に魚市場が築地から豊洲に移転したことにより、豊洲は全国的な知名度を持つ観光地になりました
    今日の日帰り観光は東京の巨大市場の食文化を支える豊洲の朝からスタートです

    東京BRT

    江戸の町を再現し和食グルメや足湯温泉も楽しめる、豊洲市場に隣接した『千客万来』には魅力的なお店が沢山ありますが、10:00開店なので豊洲で朝食をとるために、朝6:00に家を出るとまだ開いていません

    千客万来の街並

    千客万来を右手に見てデッキをまっすぐ歩いて行くと、海鮮仲卸売場棟3階に朝7:00スタートのお店が多い豊洲市場グルメがあります、この6街区の22店舗の内、お寿司屋さんが7店、海鮮丼が3店、海鮮中心の和食が2店、当たり前ですがおおよそ半数が魚中心のお店です

    意外とカレーや焼き鳥、牛丼屋さんも

    すでに行列が出来ているお寿司屋さんもあり、その中で明治42年創業海鮮丼専門店『大江戸 豊洲市場店』へ、活きが良いネタを安く食べるために言葉通り、早起きは三文の得(三文=約100円、体感的にはその20倍お得な感じがしました)

    暖簾に築地を残す大江戸 豊洲市場店
    海鮮丼のみでも大江戸のメニューは多彩

    私達は海鮮と出汁茶漬け両方楽しめるメニューを選択

    食べ方は多言語で表示
    海鮮丼としてある程度食べたら魚介出汁をお願いします
    一瞬お酒のサービスに見えた徳利、中身は出汁です、お父さん残念でした

    朝食を摂った後仲卸売場棟を見学、本当の競りを間近で見たい人は、前もって予約が必要です

    上の階から市場を覗くことができる
    物販店街
    山海珍味の店
    真ん中は珍しい干し甘えび

    深川 ― 江戸東京のふるさと
    深川地域一帯は海や湿地が広がっていましたが、江戸幕府による大規模な埋め立てによって町が形成され、小名木川は徳川家康の指示で開削され、旧中川と隅田川を結ぶ水路となり、物資輸送の大動脈としての役割を果たします
    馬よりも多くの物資の運搬を可能にする水路はさらに縦横に整備され、江戸時代の深川は、ウォーターフロントの立地を活かして、商業と文化の中心地として発展しました

    小名木川
    仙台堀川 ― この堀を利用して仙台藩の深川蔵屋敷に米等を運び入れたことから「仙台堀(せんだいぼり)」と呼ばれた

    深川を語るうえで欠かせないのが富岡八幡宮、八幡宮は武家の守護神とされる応神天皇を祭神とし、源氏の氏神とされた神社、富岡八幡宮は寛永4年(1627年)に創建され、八幡大神を尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受けます
    同時に庶民の信仰も集め8月15日を中心に行われる富岡八幡宮の例祭は、「深川八幡祭り」とも呼ばれ、赤坂日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに「江戸三大祭」の一つに数えられています
    3年に一度、八幡宮の御鳳輦(ごほうれん)が渡御(とぎょ)を行う年は、本祭りと呼ばれ53基の町神輿が勢揃いして、連合渡御する盛大なものとなります

    富岡八幡宮のすぐ側には、弘法大師が不動明王像を開眼したと伝わる、成田山新勝寺の東京別院・深川不動堂があります、元禄16年(1703年)の開創で「深川のお不動さん」として親しまれています

    ご祈祷だけでなく、写経、瞑想等の体験講座も豊富

    また深川は松尾芭蕉ゆかりの地、芭蕉が人生の後半を過ごした芭蕉庵があり、その跡地付近に芭蕉記念館が建っています、芭蕉庵を引き払い、門人、杉山杉風(すぎやまさんぷう)の庵室である採茶庵(さいとあん)で門人たちと別れを惜しんだ後、船で隅田川をのぼり千住大橋のたもとから、「奥の細道」の奥州へと旅立っていきました

    芭蕉庵史跡展望庭園
    採茶庵跡
    芭蕉記念館
    芭蕉記念館の入口

    清澄庭園は大名庭園に用いられ明治時代の造園にも受けつがれた、泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」です、江戸時代は大名の下屋敷でしたが、明治に入って、岩崎弥太郎が荒廃していたこの地を買い取り、社員の慰安や貴賓接待の場所として庭園造成を計画
    明治13年に「深川親睦園」として一応の竣工をみましたが、弥太郎亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には伊豆など各地から取り寄せた名石を配して、明治を代表する庭園が完成しました、関東大震災後、比較的被害の少ない東側が、東京市に寄付され復旧整備されています

    池に浮かぶような涼亭、予約すればお食事やお茶が楽しめるようです

    清澄庭園から徒歩10分ぐらい、霊厳寺(れいがんじ)は浄土宗の寺院で、寛永元年(1624)に雄誉霊巌上人が霊巌島(現在の東京都中央区新川)に創建されましたが、明暦3年(1657)の大火事によって焼失し、現在の深川の地に移転し境内に松平定信公の墓があります

    松平定信公の墓

    また霊厳寺から歩いて2分、深川江戸資料館では深川にゆかりの江戸時代の文化人を紹介し、当時の地図や名所の浮世絵などを展示しているほか、江戸時代末期の深川佐賀町を実物大で想定再現し、一日の移り変わりを音響と照明で演出、当時の庶民の暮らしを体感できるようになっています
    ここにはもう一つ入館しなくても見学できるスペースがあり、江東区に在住し引退してから『大鵬部屋』を創設、名誉区民第一号となった昭和の大横綱・大鵬の顕彰コーナーも併設されています

    最近清澄白河駅周辺を有名にしているのが、ブルーボトルコーヒーのフラッグシップ店に代表されるサードウェーブコーヒー
    19世紀後半から1960年代にコーヒーが一般的な飲み物として急速に家庭に広まったファーストウェーブ、1960年代から2000年頃にかけて、スターバックスなどに代表されるコーヒーの風味を重視するセカンドウェーブ、そしてコーヒー本来の価値を重視し単なる生活必需品ではなく、ワインのような芸術性を兼ね備えた高品質な食品として提供する、第三の波が若者を中心に広がっています
    実際駅周辺はそれぞれお店のこだわりのメニューやコーヒーを楽しめるカフェがひしめいていて、カフェ巡りには最適の場所、その中で私達は隅田川の河岸にある『CLANN BY THE RIVER』を予約しました
    場所は地域や建物の歴史を活かしたリノベーションを得意とする、株式会社リビタが手掛けたTHE SHARE HOTELSの2階
    外のテラス席は“かわてらす”とよばれ、美しい隅田川の景色を一望できる特等席、朝7時からオープンしていてモーニングにも最適です

    一見ホテルに見えませんが、とてもスタイリッシュにリノベされています
    週間天気が晴れだったのでこのお店にして正解、スカイツリーを望む墨田川の風が気持ち良い
    ビールメニューも充実、利き酒の様に8種類並べて飲み比べしていた人も
    主人はピルスナー
    私はグァバジュース
    ビールのお供にフライドポテトとチキン
    ランチは大粒のアサリたっぷりのクラムチャウダー

    もちろんカフェメニューも充実、同じ隅田川から近い人気コーヒー店『LEAVES COFFEE ROASTERS(リーブスコーヒーロースターズ)』の豆を使用していて、甘さと香りにフォーカスしたクリーンでバランスのとれた味わいが特徴

    店の前の道路を渡ると、平賀源内がエレキテルを披露した場所の碑があります。

    ランチの後はタクシーで亀戸天神(亀戸天神社)へ、1662年、菅原道真を祀る太宰府天満宮を範として建立され、江戸時代には「東宰府天満宮」とも呼ばれて、庶民の行楽地として人気がありました、境内には池にかかる太鼓橋(男橋・女橋)があり、早春の梅のほか藤の名所として4月に「藤まつり」が開催されます

    天気も良かったので平日でも大勢の人がお参りに
    藤棚と赤い太鼓橋、歌川広重が浮世絵に描いています
    それからほんの約170年今はこの景色、改めて進化がすごい

    亀戸天神の境内で文化2年(1805年)に創業したのが船橋屋(初代が船橋出身)、小麦澱粉を約1年半かけて自然発酵させ、秘伝の黒糖蜜をかけて頂く、元祖くず餅(元祖かどうかは諸説あるらしいです)の老舗
    お土産用に境内の中でも販売していますが、老舗の風格が漂う本店が天神様から直ぐなので、芥川龍之介も足を運んだと伝わる、こちらに是非立ち寄って下みて下さい

    スカイツリーに見守られるように本店が
    無添加らしい雑みのないまろやかなくず餅でした

    東京に長く住んでいても、新旧の名所のほとんどが今日初めて訪れた場所、灯台下暗し、東京をもっと楽しみたいと思いました

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  • 飛鳥がはぐくむグルメ

    大和魂は伝統と進取の精神

    昔の都、奈良・京都を訪れるとどちらも古くからある生活文化を大切に守っていると感じますが、新しい物を取り入れて自分達の生活と上手に融合してしまう柔軟性にはっとさせられます
    2日目のランチの『Café ことだま』は、約200年前の造り酒屋をリノベーションした建物、この地域が古い町並みが残る保存地域のようです、

    向かって右が Café ことだま
    旧い建物らしく天井が高い

    メニューはことだまランチとハンバーグランチ、ことだまランチは数量限定、11:00と11:30スタートのみ予約可なので早目の予約をオススメします
    私達はことだまランチ、鶏のから揚げ・五香たれ、菜の花のレモンポテトサラダ、ひじきと野菜のナムル(韓国風ですが和食と親和性が高い)、お好焼き風オムレツ、厚揚げのピサ風(厚揚げの上にピザソースとチーズ、これもありです)、おかずみそご飯、ほうれん草と新玉ねぎのポタージュ、それぞれ他では無いような面白い食材の組み合わせと料理法、でもよくまとまっていてとても満足度の高いランチでした

    大和野菜よりもっと近隣の地物食材を使うというコンセプトで、とても成功していてインバウンドからの人気も高く、お店の人たちが片言の英語で接客を頑張っている様子に、大陸文化をいち早く取り入れた先祖のDNAを感じさせる姿も微笑ましい
    デザートは『くるんドーナッツ』をオーダー、オーナーの愛猫のしっぽがドーナッツのような形をしていたのでこの名前を命名、明日香村の果物、地元のほうじ茶やコーヒーを練りこんだ人気スイーツ

    甘さ控えめでパン生地のような抹茶チョコレートのくるんドーナッツ
    ドーナッツはお店の入口でも販売しています、テイクアウトも出来るので街歩きやお花見のお供にオススメ

    飛鳥の大地を頂くイタリアン

    2カ月前の同日9:00~予約スタートのミシュラン一つ星、明日香の人気イタリアン『ダ・テッラ』、時間ピッタリで電話をかけて予約出来ました
    ホテルから車で15分ぐらい走ると、周りには何もない田園の中にナビが案内してくれるので、車を止めて辺りをうかがうと店名が無くこんな暖簾だけがかかっています

    暖簾を潜ると旧家のようなたたずまいと、謎のヒキガエルちゃんの置物に怖気づきますが、ここであってます、JR東海のいざいざ奈良キャンペーンに登場したお店です(入口に鈴木亮平さんのポスターが貼ってありました)

    多分レストランは母屋だった所かなと
    シェフのご実家をリノベーション、とても素敵な空間に仕上がっています
    キャンペーンを撮影した席では無いそうですが、ここもおしゃれ

    シェフと奥様で運営していている様子、その人手の少なさゆえかテーブルの引き出しを開けると、カトラリーが準備されていて、料理に合せて右端のスプーンでお召し上がりくださいと、一皿ごとに教えてくれます
    普通のレストランのようなメニューが無く、すべてお任せコース、その内容もメインで使う食材だけが書かれていて、どんなお料理か想像しながら待つ時間もコースの楽しみの一つ

    ほとんどの食材がレストラン近くの自家菜園で採れたもの

    一皿目のセロリ、セロリのコンポートと水だこ・セロリと八朔のグラニテを添えて、八朔の酸味を調味料として使っていると思われます、セロリの香味野菜の個性がシンプルな水だこと調和してさっぱりしたアミューズ

    二皿目の人参、塩のみの人参ポタージュ・赤ニンジンのピクルスと炙った貝柱・いりごま(自家製と思われます)と一緒に、余分な手間をかけない素材勝負のスープ、潔いです

    三皿目の大地から、こちらの店名にもなっている『ダ・テッラ』(イタリア語で大地から)、自家農園の二十種類の野菜を、採れたてのまま、焼く、煮る、炒める等一つずつ素材に合わせて、最適な料理法で下ごしらえ、それを一皿にまとめてサラダ仕立てにしたお店のスペシャリテ、ビーツと枇杷のビネガーソースをドレッシング代わりにかけて頂きます

    まさしく大地からの贈り物のような一皿

    四皿目の小麦、全粒粉パスタと干しエビとキャベツのアーリオオーリオ、パンも同じ小麦で焼かれています、どちらも少しざらついた食感が逆に良い味わいに

    五皿目・春菊、ヒラメのソテーの上に春菊とホタルイカをソースとして乗せ、食用キンセンカと春菊パウダーを添えて、早春の味わいが広がります

    六皿目の里芋、里芋をラビオリの具材として、地元の合鴨と自家製の味噌とふきのとうをソースに仕上げたパスタの二皿目、ふき味噌は和食で時々食べますが、意外な食材のコラボは大成功です

    七皿目の月桂樹、ローリエのグラニテ、温めたシロップに月桂樹の葉を沈めて香りを移し冷ましてから作ったもの、香りが素晴らしくメインの前の小休止

    八皿目の大和牛、イチボのマスタードソース・新玉ねぎのソテーを添えて、大和牛は奈良県のブランド牛、小高い山に囲まれているので牧畜に適した県東部の東中山で主に飼育されています
    650年の孝徳天皇の時代に大陸から牛乳が伝わって、700年には『蘇』(チーズのようなもの)作られていたとか、当時の飛鳥は食文化の先進地域でもあったのですね

    9皿目は米、こちらは想像通りリゾット・スモークシラス、お好みでオリーブオイルをかけてくださいとの事

    10皿目はさつまいも、焼きいもとカスタードを桜葉で巻いて薄皮で揚げたスイーツと桜のジェラード、一見春巻きのように見えますが面白い組み合わせ

    とても充実した内容のミシュランらしいしっかりした個性のあるイタリアン、こちらもとてもおすすめ、私達には少し量が多かったような気がするので、今度訪れる時は前もって一皿ずつの量を少なめでとお願いすると良いかなと思いました

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  • 飛鳥と吉野 - 桜の名所

    飛鳥・吉野 桜巡礼

    奈良から車で日本的な風景を見ながら40分ぐらい走ると、日本の始まりを物語る神社のひとつ、桜井市の三輪山のふもとに鎮座する『大神神社』に着きます
    「大神」と書いて「おおみわ」と読むところからもわかるように、この神社に祀られる神は、神の中の神でもっとも偉大な神様と言われています
    神社の創始にまつわる『古事記』や『日本書紀』の伝承では、大物主神という神が出雲の国の大国主神の前に出現し、自分を大和の東の山(三輪山)に祀れば国造りを成就できると告げたとのこと
    神社全体を包み込むように聳える三輪山そのものをご神体としているので、山や岩などの自然物を神として祀る、日本的で古い時代の信仰形態を感じられる場所です
    拝殿が簡素に感じられるのは、一般的にこの後ろにあるはずの神殿が無く、三輪山そのものが神様、自然崇拝とアミニズムのシンボルの様です

    king of 神社は日本の美意識そのもの)
     こちらを訪れた目的の一つが、やはり桜の絶景が望める場所だから
    この道を登って展望台へ、桜への道は険し

    でも登った甲斐がありました、大和の山々とのどかな平野が桜と一緒に一望できます

    大美和の杜展望台の景色
    後ろを振り返ると池に桜の雨が降り注ぐようです

    写真を撮って座っていると、鶯が素晴らしい音色を響かせてくれました、この景色と鶯を楽しめるのは、この時期ここまで来た人だけ、本当に訪れる価値があります

    次の桜巡礼は阿倍仲麻呂や安倍晴明を輩出した安倍一族の氏寺『安倍文殊院』、創建大化元年(645年)日本最古に近いお寺です、本堂の仏像も素晴らしかったのですが、この時期の見所は池に浮かぶ金閣浮御堂と桜、京都に匹敵するくらい雅な景色です

    中には弁財天・阿倍仲麻呂・安倍晴明が祀られています
    上から見た浮御堂
    浮御堂の側に阿倍仲麻呂の、天の原ふりさけ見れば春日なる〜の有名な歌碑
    浮御堂の外廊下、池と桜を眺めると万葉人になったような気持ちに

    ここは安倍晴明の生誕の地、しかも浮御堂が見える小高い丘に晴明が天文観測を行った場所が有ります

    天文観測の地の石碑と桜
    毎年干支をパンジーの花で描くジャンボ花絵も有名
    清明堂と桜、中央の黒い球体が魔除け厄除けの如意宝珠

    陰陽師は京都出身だと思っていましたが、こちらが本当の晴明のルーツのようで新しい発見でした

    次の桜巡礼の前に石舞台古墳からすぐの町家でランチを頂きました、その記事はこちらです

    何もないような山道を走っていると、桜に囲まれた『石舞台古墳』が現れます、飛鳥時代の絶対権力者・蘇我馬子のお墓、実際の形は方墳(四角形)であったと検証されています
    現在周りの丘は広い公園になり、石舞台を囲むように桜が植えられ、遺跡を見下ろしながらお花見が出来る、飛鳥の名所になっています

    この上にピラミッドのような石積があったようです
    今は遊歩道が整備されて市民の憩いの場に
    桜越しに見る石舞台もなかなかの味わい

    次の日が雨の予報だったので、石舞台から少し距離がありますが、やはり桜の名所『談山神社』へ、ここは石舞台の主・蘇我馬子の孫で祖父と父の築いた権力基盤を引き継ぎ、飛鳥朝廷に君臨した蘇我入鹿の政敵達の神社
    日本史で必ず習う大化の改新のきっかけとなった乙巳の変、蘇我氏の専横に危機感を募らせた中大兄皇子と中臣鎌足が、決して外に漏れてはいけない蘇我氏討伐の密談を、飛鳥からかなり離れたこの山の中で行ったので、談(かたらい)が名前になったもの
    飛鳥宮で暗殺の危機が迫るとも知らず宮中祭祀に列席していた入鹿を、中大兄皇子と鎌足が剣を抜いて討ち果たし、その知らせを聞いた父親の蘇我蝦夷も自害しました
    その後中臣鎌足は中大兄皇子の片腕となり、終生新しい政治体制を作り上げることに専念、最期は朝廷最高の位を授けられ、亡くなった後僧侶になった長男の定恵がここに父親をお祀りしました

    鳥居をくぐると満開の桜、お祭りの準備も進められています
    珍しい十三重の塔・木造の13層としては世界最古
    この時期夜桜とライトアップされる神社を観るためすぐ近くに1泊するツァーも
    白い桜が雲のようです
    拝殿と枝垂れ桜

    鎌足の息子達は藤原姓を与えられ、次男の藤原不比等の子孫達は紆余曲折有りながら、奈良時代から平安時代にかけて、皇室との縁戚関係を深め外戚として権力を握り続けます
    その子孫で一番隆盛を究めた人が藤原道長、『源氏物語』を書いた紫式部の支援者で平安時代の政治・文化の中心人物です

    談山神社を出る時に夕方になったので、飛鳥・吉野観光に便利な橿原神宮駅近くのホテルへチェクイン、ディナーはホテルから車で10分のミシュラン星のイタリアンへ、その記事はこちらです

    飛鳥・吉野 桜巡礼2日目、昨日から花散らしの雨風で午前中はあまり動けず、比較的近くの桜を訪ねました
    於美阿志神社は応神天皇(諸説有りますが西暦400年頃在位)の時代、渡来した帰化人の一族で、東漢氏(やまとのあやうじ)の氏神、技能に優れ織物や武器の製造等で朝廷に貢献し、その末裔の一人が蝦夷討伐で活躍する武人の坂上田村麻呂です

    於美阿志神社の桜

    藤原京は大化の改新の主役中大兄皇子を父に、その後の壬申の乱に勝利した天武天皇を夫とした持統天皇が完成させた都、中臣鎌足の息子の藤原不比等を重用して、大宝律令を施行、父親が目指した国家体制を作り上げます、行動力も政治手腕も親譲りの女帝でした

    藤原京跡、耳なし山と菜の花も興を添えてくれます

    今年の夏世界遺産登録が予定されている飛鳥、これを機に観光地として更に発展するポテンシャルを感じました、午後は雨風が収まって来たのでやはり桜の名所長谷寺へ
    長いこの階段は上登廊・中登廊・下登廊と3廊に分かれていて、総数はなんと399段、一段一段煩悩を落としながら登り、最後の400段目の四(死)を越えたところで、本尊の十一面観音像と対面する事が出来るようになっているのだとか
    平安時代から参籠や祈願場所として、『枕草子』や『源氏物語』にも登場する由緒あるお寺です

    ここは桜の絶景に続く天国の階段?!
    途中時々踊り場のような場所の桜に励まされ登ります
    天国の景色でした

    飛鳥・吉野 桜巡礼の旅行の最終日は大本命の吉野山へ、高校生の時に訪れて以来約50年ぶりの桜の聖地、人込みを見越して早めに出かけるために、6:30スタートの朝食バイキング会場に行くと、同じ事を考える人たちで広い会場は満席
    兎に角お花見の優雅さも忘れ、競争のように吉野山を目指します
    吉野駅近くに駐車場があり、この季節は平日でも車の規制がかかるので、ロープウェイ、バス、徒歩の組合せになります
    不思議と登っている時は何処に桜があるのと思うくらい、緑の林を抜けていきますが山の上の展望台に着くと、麓から下千本、中千本、上千本と言われる景色が広がりました

    花矢倉展望台から上中下の千本桜を望む
    花矢倉展望台からの眺望

    一目千本の上中下で三千本ですが、実際の桜の数はその10倍の約三万本、この山の桜はもちろん元からあったものではなく、1300年前修験道の開祖・役行者が桜の木で本尊を造った事で、信者たちがお供え物として桜を山に植え、神木として大切に守ってきた歴史があります
    吉野の桜は多くの人の信仰心に支えられて、毎年見事に山を覆うように咲き誇る花は祈りの姿でもあります

    山桜の花は白く可憐
    青紅葉と桜のコントラスト、絵になります
    青い空に広がる白い雲と薄桃色の花雲

    もっとゆっくり楽しみたかったのですが、急いで山を下りて後は徒歩です、やはりゆっくりこの景色を楽しみたいなら、近くのホテルに一泊するのをお勧めします
    金峯山寺の参道には定番の柿の葉寿司や吉野葛等のお店が軒を連ね、多くの観光客が食べ歩きや買い物を楽しんでいました

    金峯山寺の本堂・蔵王堂、この中に日本最大の秘仏・金剛蔵王権現立像が、ちょうど御開帳の期間で幸運でした
    本堂の西に南朝妙法殿、足利尊氏に京都を追われた後醍醐天皇が南朝を開き、皇居とした場所

    桜のある風景を訪ねて、奈良・飛鳥・吉野を巡った3泊4日、改めて桜は日本人の心の花なのだという思いを強くして、特急から見える太極殿に見送られながら旅の帰路につきました

    読んで頂いて有難うございました、このブログが皆様の素敵な旅のお役に立てば幸いです

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  • 奈良は花とグルメの都

    美しい桜を楽しんだら同時に美食も楽しみたい、そんな希望を叶えてくれるのが、京都・奈良の素晴らしいところ
    知り合いが若い頃長くヨーロッパで暮らしていて、その時の友人達から桜の季節になると京都案内を頼まれるそうですが、あまりの混雑で風情がかき消されてしまうので、奈良を提案すると旅行が終わる頃にはすっかり奈良派になるそうです(近鉄CMのサクラではありません)
    日本食の王道は京懐石だと思いますが、今回の旅でなかなか奈良の美食も捨てたものではないと再認識、奈良に都が置かれたのもこの地域の土地が豊かで、その時代の食糧生産性が高かった事が理由の一つだったとか

    法隆寺の参拝前ランチに立ち寄った参道近くのカフェ「グリーンサンフード」
    精進料理に近いワンプレートランチ、普通食べづらい玄米が美味しい、食材と炊き方が良いのでしょう
    カフェなのでコーヒーも手抜きなし

    奈良一日目のホテル・老舗旅館をリノベーションした『飛鳥荘』はお料理旅館としても有名、興福寺・奈良公園・奈良町は歩いて数分、地の利の良さは抜群です

    見た目はホテルですが、創業1938年の料亭旅館
    リノベーションで和洋室も多い、お部屋は萩の十五
    興福寺の五重塔が見えるはずですが改修中で少し残念
    猿沢の池も眼下に望めます
    ホテルを出た道路を普通に歩いています、声をかけると振り返ってくれました

    お食事は個室で頂けます、街に出かける必要が無いのがお料理旅館のメリット、主人は早速オススメの地酒3種をオーダー

    どのお酒も美味しかったとの事

    先付けはほたるいか・新若芽・行者大蒜・辛子ジュレ・花弁大根、爽やかな酸味で始まりました

    八寸は右上から、桜鱒桜葉寿司・酢取りミョウガ・一寸豆(そら豆が一寸・3cm大のもの)・蒸鮑とふきのとう味噌・蕗と新玉葱の浸しと桜えび、すべてシンプルで優しい味です

    煮物椀は左から油目(アイナメ)葛たたき・たらの芽・花柚子・玉子葛豆腐の清汁仕立て、小骨が多い白身魚が丁寧に下ごしらえされて、ほろほろの食感と葛の薄い衣に出汁の味が閉じ込められ、花柚子の香りと苦みが良いスパイスに

    お造りは天然鯛と初鰹、スタンダードなお造りですが、濃いめの土佐醤油が一味違う仕事をしてくれて、それぞれ皮だけ炙って添えてくれているので、焼きの香ばしさも味わえるという、料理長さんのアイデアが光ります

    焼肴は福子(セイゴ→フッコ→スズキとなる出世魚)ヨモギ味噌焼き・新馬鈴薯とびこ和え、脂ののった白身にヨモギの風味が味噌と調和して春を頂く感じです、添えてあるのは瑞々しい新じゃがをソーメンのように細く切ってとびこと和えたもの、どちらも初めての斬新な味覚

    油物はうすい豆のかき揚げ・稚鮎の薄衣、グリーンピースを改良した春から夏にかけてが旬なうすい豆はホクホクの食感、このかき揚げは山椒塩で、稚鮎は一般的な蓼ではなく木の芽酢で頂きます、全て春らしい素材がより美味しくなるように、香辛料や調味料のチョイスが素晴らしい

    名代は黒毛和牛と山菜鍋、多分この近くの里山で採れた、竹の子や芹・うるい・蕨等の新鮮な山菜を出汁の中に入れて、山菜の苦味や香りが味付けにもプラスされた鍋に、和牛を潜らせます
    意外な組み合わせは秀逸で、こんな食べ方があったのだと感心しました

    お食事は奈良県産ヒノヒカリ、香の物は名前から分かる通り奈良県特産の奈良漬け、留椀も美味しいです

    水物は桜香大福とせとか、大福というメニューですが古都華(ことか)という奈良県の糖度が高い高級イチゴを、薄い求肥のような皮で巻いた和菓子風デザート、せとかは様々なオレンジを掛け合わせ、それぞれの良い特徴を受け継いだ品種、その濃厚なコクと甘みは「柑橘の大トロ」と呼ばれるフルーツ、確かに手を加える必要が無い美味しさでした

    お料理もお部屋も大変オススメの『飛鳥荘』ですが、興福寺の五重塔の修理は2033年まで続くそうで、やはりホームページの景色を見るとお部屋から興福寺を眺められる眼福は捨てがたい魅力が有ります
    まだ約7年かかりますが、タイミングが合えば奈良も『飛鳥荘』も是非再訪したいと思いました

    もう一つ街歩きのランチにオススメのレストランは、『るるぶ奈良』に載っていた奈良町元興寺近くの『旬菜ひより』、大和野菜の美味しさに魅せられたオーナーが開業したお店で、自家農園で丁寧に育てられた素材を一品ずつ提供してくれます

    大和野菜中心ですが、メインに魚やお肉をチョイス出来るメニューも多い
    店内はシンプル
    出汁の効いた生姜汁、シャキシャキのレタスと
    吉野葛等でとろみをつけたホワイトソースのじゃがいも和風グラタン
    左から胡麻豆腐・大和野菜のお浸し・人参とセロリのきんぴら・春菊と田舎コンニャクの白和え・ほうれん草の胡麻和え、スタンダードな和食ですが、味付け鮮度の良さで満足度が高い
    上が南瓜・新玉ネギ・ぜんまいの天ぷら、下がさつまいも団子のキビあんかけ、甘みの強いさつまいもに濃いめの醤油味が良く合います
    岩魚の塩焼き
    古代米・なすの味噌󠄀炒め・奈良漬
    自家製のわらび餅

    旅行最終日東大寺南大門前近く、明治2年創業奈良漬の老舗『森奈良漬店』に立ち寄りました、それぞれの素材の特徴に合わせて、時間や漬け方を変えているという徹底した品質管理、東京に帰ってからもしばらく奈良の味を楽しめました、奈良の大和グルメ本当にご馳走様でした

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  • 古都奈良の桜めぐり

    美桜の都に世界が集う

    温暖化の影響で桜の満開予想が毎年大きく変わってしまう昨今、桜を観るための旅行計画は半ばギャンブル、半年前から4月の5日前後と予想してこの日に賭けてみました
    先週各地で雨風が強かったのもあって、満開のピークとは行きませんでしたが、それでも奈良・飛鳥・吉野の桜は頑張ってくれていて素敵な姿を見せてくれました
    日本特有の桜の花見は平安時代貴族の間で催されるようになり、その習慣が武士の間に広まり、有名な豊臣秀吉の吉野や醍醐の花見へとつながります
    それと並行して特権階級のような豪華なうたげでは無く、春が訪れた喜びと田植えの準備の前祝いのように、農村での花見も各地で行われていたようです
    江戸時代になると上野の桜に代表されるお花見スポットが整備され、武士も庶民も楽しめるような観光コンテンツになって行きます
    近年この桜の季節を楽しむのは日本人だけではありません、日本を訪れるインバウンドの約50%が美しい桜を見て、写真におさめて帰りたいとのデータもあるほど、桜は今や日本最大の観光資源となっています
    桜観光の良いところは古来からの日本の季節習慣になっているので、比較的全国各地にお花見の場所があり、観光客が分散されながらインバウンド需要を取り込んで、リピーターになってもらえるチャンスがあります
    今回はお花見の王道吉野山へも行きますが、京都よりは混雑が少なくて古都の風情も楽しめる、奈良の都に桜を訪ねる事にしました
    東京から新幹線で京都経由、近鉄特急で約30分(山手線半周ぐらい意外と近い)奈良へ到着しました

    京都で東寺の五重塔がお見送り
    奈良の朱雀門がお出迎え

    既に古都・奈良モードになって来て期待が高まりますが、先ずは今年の大河ドラマ『豊臣兄弟』に沸く大和郡山城へ、桜の名所だと書かれていて10時前後なら大丈夫かもと考えて出かけましたが甘かったです
    交通規制がかかっていてどの駐車場も満車、天守閣跡地の石垣からの桜は絶景と言われる景色を諦めました

    お城の周りの桜、一瞬車を降りて撮りました

    次に天下人秀吉の弟で右腕として活躍した豊臣秀長の墓所へ、ここはほとんど人が来ない住宅街の中にひっそりと建っていました、秀吉が関白になると大納言としての位を授けられ大和大納言と呼ばれた秀長
    大和・紀伊・和泉の110万国の大大名として地域の発展にも心を配り、関係性の難しい各戦国大名とも信頼関係を築く人格者
    晩年失政が多く世情を混乱させた兄・秀吉と違って、いろんな資料を読む限り為政者として欠点のない人、秀長が長命なら徳川の世は無かったとの意見も、秀吉より早く亡くなった事が豊臣氏滅亡への分岐点だったとも言えます
    徳川の時代になると元々兄の出世を陰から支えていた秀長は忘れ去られましたが、この史跡の説明には素晴らしい功績が記されていて、地元の人々にとって名君として記憶に残っているようです

    お供えの花は満開の桜
    質素ですがしっかりこの地域に守られている大納言塚

    斑鳩の里は元祖ダイバーシティ

    次に訪れたのは修学旅行以来の斑鳩の里・法隆寺へ、主人は防災の視点から地震大国日本で、約1300年以上この地に立ち続ける五重塔の建築の妙に関心があり、その内容の記事はこちらです
    また広い境内を散策する前後のエネルギーチャージに、美味しい法隆寺ランチと珈琲、奈良の老舗旅館の和会席を頂きました、その記事はこちら
    法隆寺は用明天皇が自身の病気平癒を祈るために、寺と仏像を造るよう請願しながら完成を見ることなく亡くなった後、その妹で日本初の女帝・推古天皇と、天皇の甥で用明天皇の皇子であった聖徳太子が607年に建立したお寺
    聖徳太子は皇太子として推古天皇の治世を支え、当時の先進国中国の隋に遣隋使を派遣、先進技術とそれを活かす社会整備に人生を費やして、現在も連綿と続く天皇家の基礎を作った人です
    太子は幼少期から聡明であったエピソードも多く、当時異国の宗教とみなされ受け入れる事に反対意見が多かった仏教を尊び、朝鮮の高句麗から渡来した僧の恵慈を仏教の師と仰ぎました
    仏法だけでなく大陸の情勢に詳しい恵慈は外交顧問のような役割も果たしていたといわれ、その考えにインスパイアされた太子は、大和朝廷が日本の一地域の政権として存在するだけではなく、当時の世界情勢の中でどのように国を創って行けば良いのか、グローバルな視点を持った国際人として飛躍したようです
    聖徳太子は当時としてはかなり長命だった推古天皇在位30年に、帝位に就くことなくこの世を去ります、推古天皇亡き後太子直系の山背大兄王は皇位継承争いに巻き込まれ、蘇我入鹿に追い詰められ自害します
    そして2年後皇位継承問題で発言力を強め専横を極めた蘇我氏も、乙巳の変で滅亡へと追いやられていきます、約500年後の平家のように「奢れるものも久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」ですね
    でも夢では無いのがここ法隆寺、多様性を認め大陸の最先端の技術を取り入れながら建立され、今も当時の姿を保つ世界最古と言われる木造建築群です
    境内に入ると歳月に洗われ色彩が無く古色蒼然としていますが、権力の流転を観続けながら毅然とした姿を現してくれる五重塔、この姿と桜を一緒に撮りたくてお堂の枝垂れ桜の前で撮影していると、同じようにスマホを構える人が続出

    言葉通り五重塔に花を添える

    大宝蔵院では歴史の教科書で目にすることが多い『聖徳太子二王子像』の絵図や、スレンダーなお姿が美しい『百済観音像』を拝観し夢殿へと向かいます

    夢殿へと続く桜回廊
    夢殿には聖徳太子等身大の観音像が安置されています

    夢殿の隣が太子の母君ゆかりの中宮寺、お母様をモデルに創られたと言われる、飛鳥時代の最高傑作国宝・『菩薩半跏像』、神秘的な微笑みを浮かべるお姿は、美術界でモナリザのアルカイックスマイルに匹敵すると言われるそうです

    美しい夢殿の桜を母君に見せるように、壁を越えて枝が差し伸べられています
    山吹の黄色が鮮やかな中宮寺

    旅行3日目東大寺と奈良公園の近くに立ち寄った時は、団体客でごった返していましたが、法隆寺は少し離れているのでそこまで人は多くなく、ゆったりと拝観できるのがとてもオススメのポイントです 

    東大寺の対極・女帝が愛した西大寺へ

    聖武天皇が建立した東大寺、その西に平城京を守るよう建てられたのがこの西大寺、今はほとんどの観光客が東大寺に集中し、こちらのお寺を訪れる人はまばらです
    西大寺は聖武天皇の皇女で二度の帝位に就いた称徳天皇が建立したお寺、恵美押勝の乱の後鎮護国家を願って、765年から15年の歳月をかけて造営され、当時は約48ヘクタール(東京ドームの10倍)の大伽藍で、東西に五重塔を配置する広大なものでした
    二度目の位に就く前大病を患った女帝に近侍してその病を癒したのが、その時の東大寺別当(お寺の最高位)の立場にあった良弁の推薦を受け、その後異例の出世を遂げた僧侶・道鏡、女帝の寵愛を盾に最後は皇位を譲るようそそのかし、日本の歴史に残る悪人の一人とされています
    現代の研究では道鏡にそこまでの野心や権力はなく、その後の皇位継承者が自分たちの立場を正当化するために、過度に悪評を書き立てた可能性が高いとも言われています
    近年道鏡の出身地・八尾の市民団体が今風に言えば、政敵からのネガティブキャンペーンに晒され、ファクトチェックされないまま1200年以上も風評被害を受け続ける道鏡に同情し、名誉回復を図ろうと地道な活動を続けています
    2020年その活動の一つとしてこの西大寺に道鏡の座像が奉納されました、実際の座像は悪人とはかけ離れた目元涼やかなイケメン、どちらにせよ絶えざる権力闘争に悩まされ常に緊張を強いられた女帝にとって、道鏡と西大寺の建立が心の支えになっていたのは事実のようです

    撮影禁止ですが本堂の歴史を感じる仏像や菩薩像は一見の価値あり
    南門から見た本堂、桜が美しい

    この日は斑鳩から奈良へ戻り興福寺至近の宿へ、その記事はこちらです
    ホテル近くの藤原氏の庇護で大いに栄えた興福寺の周りも桜が満開でした

    興福寺本殿と桜
    興福寺南円堂
    鹿たちもお花見

    日本仏教発祥の古刹・元興寺

    旅行最終日に立ち寄ったのは日本仏教界の起点ともいえる元興寺、今まで仏教伝来は552年と言われていましたが、ここ『元興寺縁起』には538年朝鮮半島の百済王が日本の朝廷に仏像や経典を贈ったと記されています
    仏教は単に宗教の枠にとどまらず、文字や建築・彫刻・絵画といった当時の最先端の文化と技術、そして国家統治の思想を伴って伝わって来ました、この仏教に対して飛鳥時代の権力者達はそれぞれの思惑で対応を決めます
    最も積極的に仏教を取り入れたのは豪族の中でも発言力のあった蘇我氏一族、元興寺は排仏派の豪族を滅ぼした蘇我馬子が588年、日本で初めて本格伽藍を備えた仏教寺院として建立した飛鳥寺が起源です
    当時の飛鳥寺は仏教の本拠地であり、蘇我氏を通じて輸入される大陸文化の発信地、飛鳥時代の政治外交の中心でした
    奈良の平城京に都を移す際はその歴史的重要性ゆえに、飛鳥寺(元興寺)も共に奈良の地へと移されたという経緯があり、天平元年(749年)東大寺に次ぐ格式を与えられています
    その後お寺の広大な敷地は隆盛と衰退を繰り返しながら、お寺的な町名を残し奈良町の一部へと変容していきました

    極楽殿と禅室、屋根瓦の一部は1400年前の物、サステナブルの最先端は飛鳥時代だった
    名前が分かりませんが、濃いピンクの花が満開

    平安京よりも歴史が深い奈良の平城京、京都とはまた違う魅力がある日本の古都、京都も大好きですが、奈良もまたこれから季節を変えて度々訪れたいと思いました

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