ワンダーな未知との出会いの旅ガイド

  • 台北の歴史と文化を楽しむスポットめぐり

    1895年、日清戦争の結果、下関条約により台湾は清から日本へ割譲され、台北に総督府が設置されて、台北は日本の台湾統治の中心都市となりました。そして道路・鉄道・上下水道など都市インフラが整備されて近代的な都市計画が進み、西洋風建築や公園が整えられました。教育・医療制度も整備され、台湾で日本語教育が実施されました。
    1945年、日本の敗戦により台湾は中華民国に「光復」されました。1949年、中国大陸での国共内戦に敗れた蔣介石率いる中華民国政府が台湾へ移転し、台北は中華民国の首都となりました。
    戒厳令下での政治的弾圧が行われる一方で、1960年代以降は「台湾経済の奇跡」と呼ばれる高度経済成長により、台北は政治・経済の中心都市として急速に拡大しました。
    1987年に戒厳令が解除されてからは、台湾で本格的な民主化が進みました。2004年には超高層ビル「台北101」が完成して台北の象徴になり、その後もIT産業の発展により、台北はハイテクの中心都市として国際的地位を高めています。

    台北駅は清朝時代の1891年に開業し、日本統治下での鉄道の発展を経て、現在の4代目駅舎は1989年に完成した

    中正紀念堂
    私たちが台北到着後、初めに訪れた中正紀念堂は、蔣介石総統を記念する、白い建物と青い屋根の大きなモニュメントで、台北市中心部にあるランドマークです。敷地は公園になっていて、建物内部には蔣介石総統の大きな像があり、その人生や台湾の近代史を伝える展示もあります。また、定期的に衛兵交代式が見られます。

    中正紀念堂の自由廣場門
    中正紀念堂は台北市中心部のモニュメント

    国立故宮博物院
    約70万点の所蔵品を有する、中国美術コレクションを誇る世界有数の博物館で、台湾での正式開館は1965年です。主に中国歴代王朝(宋・元・明・清など)の宮廷コレクションで、もともとは北京の紫禁城にあった清朝の皇帝コレクションでしたが、1940年代、蔣介石率いる中華民国政府が国共内戦で台湾へ移る際、重要な文物を台湾に運びました。

    「翠玉白菜」や「肉形石」は特に人気がありますが、他にも精巧な細工の美しい工芸品が数多く展示されています。

    龍山寺
    台湾で最も有名な300年近い歴史を持つ寺院です。色鮮やかな屋根飾りや彫刻など、南方中国風の伝統建築が、何度も地震や火災、戦争の被害を受けながら、その都度修復されてきました。仏教を中心に、道教や民間信仰の神々も祀る寺院で、観音菩薩・媽祖・月下老人などにお参りでき、願いごとを込めてお線香をあげたり、月下老人に縁結びを祈ったりとさまざまです。私たちが訪れた朝は、多くの人が歌うように祈っていました。

    龍山寺に近い剝皮寮では、レンガ作りを中心とした歴史的建造物による街並みの保存再生が進んでいます。

    孔子廟
    孔子を祀る廟です。台北の孔子廟は、清朝時代の1879年に建てられましたが、日本統治時代に旧孔子廟が取り壊されて再建され、1930年代に現在の孔子廟が完成しました。福建様式の伝統建築を採用した孔子廟で、門から中庭を経て最奥に大成殿がある軸線構成で、左右対称の配置です。大成殿は、孔子を祀る聖殿で、孔子の位牌や像、儒学者の牌位が安置されています。崇聖祠は孔子の祖先を祀る建物、明倫堂は儒学教育・講義・文化活動の場所です。

    大稻埕慈聖宮
    迪化街の近くにある歴史ある道教の寺院です。19世紀中頃に創建されたとされ、航海や商売の守護神「媽祖(まそ)」などが祀られています。周辺には屋台が立ち並び、台北に住む人々のグルメスポットになっています。

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  • 東日本大震災の伝承施設を訪ねる

    2011年3月に発生した東日本大震災の死者・行方不明者は計22,000人を超えますが、死者の9割以上が津波によるものです。

    なぜこれほど多くの人が命を落としてしまったのか、それを伝える施設が被災した各県にあり、震災の記憶を風化させないため、訪れた人に是非知ってもらいたいことを説明する語り部など、関係者が熱心な活動を続けています。すぐに逃げれば助かったはずなのに逃げなかった、逃げられなかったという悲痛な思いを、私たちはどう受け止めればよいのでしょうか?
    もちろん震災前、津波に関する記録や言い伝えがあり、沿岸部に住んでいる人の知識もありました。しかし実際にそれまでに大津波を経験してきたわけではありません。自分のところまで津波が来ないとの思い込みや津波についての誤解がたくさんあって、大きな災いを産んでしまったとも言えます。大きな津波が来るという情報が伝わらなかった事例もたくさんあります。地震直後に家族を探しに行って津波に遭ってしまった人も多くいます。津波による死は、自然災害であると同時に、判断と行動の問題でもあったということです。伝承施設で事実を知ることにより、後から考えれば合理的でない判断だとされる行動が極めて多くの命を奪ったことについて、深く考えるきっかけになります。
    ここでは、宮城県にある震災伝承施設を紹介します。

    南三陸311メモリアル〈道の駅さんさん南三陸 内〉
    宮城県本吉郡南三陸町志津川字五日町200番地1
    「防災減災について、自分ごととして考え続けるきっかけを提供する施設」がコンセプトで、町民たちの言葉や語りなどを震災伝承の柱にしながら、事実を知るだけではなく、「もし自分がそこにいたら、どう考え行動するか」を1分間の対話タイムで考えるラーニングプログラムなどを提供しています。また、行政の情報伝達の課題、防災無線の限界についても考えさせられます。

    南三陸311メモリアル
    館内の展示

    私は、メモリアル施設見学の後、南三陸さんさん商店街のフードコートで、新鮮な魚介の詰まった海鮮丼を頬張りました。

    南三陸さんさん商店街
    南三陸さんさん商店街の店舗
    フードコートにはこたつ席も
    海鮮丼と蟹だしの味噌汁

    石巻南浜津波復興祈念公園
    みやぎ東日本大震災津波伝承館
    宮城県石巻市南浜町2丁目1−56
    石巻市は約4,000人が亡くなった最大の被災市町村で、その中でも南浜地区は津波と火災に襲われ、500人以上が亡くなりました。この地区の集落の跡を整備した石巻南浜津波復興祈念公園は、亡くなられた方々を追悼し、記憶と教訓を伝承し、復興への強い意志を国内外に示す目的で作られました。

    石巻南浜津波復興祈念公園。震災前の街並みの写真も表示されている

    この公園の中に、みやぎ東日本大震災津波伝承館があります。この施設は、震災の記憶と教訓を永く後世に伝え継ぐとともに、宮城県内の震災伝承施設などへ誘うゲートウェイの役割を果たしています。リアルな津波の映像や被災者の証言等によって「逃げるしかない」ことを訴える映像や、震災伝承施設、語り部活動を行う団体、地域の取組みの紹介などにより、わかりやすく学ぶことができます。

    石巻市震災遺構門脇小学校
    宮城県石巻市門脇町4-3-15
    地震が起きた後、学校にいた児童や教職員たちは裏手にある日和山(ひよりやま)に避難しましたが、地震から約1時間後に巨大津波が襲来し、火災が起こりました。体育館や展示館では、津波で破壊された車両、再現された応急仮設住宅、震災の写真や映像、被災者の言葉や記憶表現(詩・絵)などが展示されていて、津波とそれがもたらす火災について知ることができます。

    日和山公園に逃げた人は無事だった

    東日本大震災慰霊碑(日和幼稚園被災園児慰霊碑)
    宮城県石巻市門脇町5-13-15
    日和幼稚園は山の中腹にあり、津波が来る場所ではありませんでした。地震発生時、園内にいた園児たちは全員無事でした。 しかし、揺れが収まった10~15分後、大津波警報が発信されているにもかかわらず、バスは園児を乗せ出発し、園児を保護者に引き渡そうと海沿いの街を走っていて津波に遭い、園児5人が犠牲になりました。

    宮城県石巻市震災遺構大川小学校
    宮城県石巻市釜谷字韮島94番地
    河口から約3.7㎞内陸に位置する大川小には、津波は到達しないと思われていました。地震発生後、児童たちは校庭に避難しましたが、避難先についての判断が定まらないまま時間が経過し、津波は川を遡上し、校舎の屋根(8.6m)までの高さとなって襲いました。児童74名、教職員10名が犠牲となりました。周囲には低い山もありましたが、そこへ直ちに避難する判断がなされなかったことが、後に大きな議論となりました。

    東松島市東日本大震災復興祈念公園
    東松島市震災復興伝承館
    宮城県東松島市野蒜字北余景56-36(旧JR野蒜駅)
    仙石線野蒜(のびる)駅で上りと下りの列車がほぼ同時に発車してすぐ、激しい地震が襲ってきました。非常停車した上り列車の乗務員は、直ちに梯子で乗客を降ろし、指定避難場所である野蒜小学校へ誘導しました。人のいなくなった駅舎も上り列車も、その後に襲った津波に飲み込まれ、大きく破壊されました。一方、下り列車の停車した場所は野蒜小学校まで距離があるため、そこまで歩いて行くのが危険であり、列車が止まったのがやや高い位置だったので、列車内に留まると判断しました。周囲は津波で水浸しになりましたが、幸いにも列車まで水が到達することはありませんでした。全員が列車内で一夜を過ごし、翌日、避難所に退避しました。
    震災後、野蒜駅を含めて仙石線の線路は高台に付け替えられ、旧駅舎が保存されて東松島市震災復興伝承館となり、また付近は東松島市東日本大震災復興祈念公園として整備されました。

    震災遺構仙台市立荒浜小学校
    宮城県仙台市若林区荒浜字新堀端32-1
    地域の指定避難場所だった小学校ですが、海岸から約700m離れた同校には、2階まで津波が押し寄せました。しかし、避難した児童や教職員、地域住民など320人全員が助かりました。校舎をそのまま遺構として保存・公開しています。どのような判断と行動が命を守ったのか、時系列で学ぶことができます。

    かつての荒浜を模型で展示

    名取市震災メモリアル公園
    津波復興祈念資料館 閖上の記憶

    宮城県名取市閖上東3-5-1
    かつて5,000人以上が暮らしていた閖上(ゆりあげ)地区は、津波で壊滅的被害を受けました。閖上中学校の14人の生徒を含む800人近くが津波の犠牲となりました。現在この場所は名取市震災メモリアル公園として整備されており、また日曜日には朝市が行われています。

    かつての閖上の航空写真
    閖上から望む蔵王連峰

    館内では、旧閖上中学校で実際に生徒たちが使っていたロッカーや、亡き生徒の遺品、痕跡から津波の高さが確認できるドアなど、震災の記憶をたどる展示物や映像資料を、館内常駐スタッフの案内で見ることができます。海と名取川河口に近い閖上地区に、どのように津波が押し寄せたのか、発災当日の時系列を、写真・映像・体験証言を通して具体的に知ることができます。館内の語り部ガイドのほか、出張語り部、オンライン語り部にも取り組んでいます。

    閖上では地震から津波到達まで約1時間あったにもかかわらず、なぜこれだけ多くの死者が出てしまったのか、名取市の東日本大震災第三者検証委員会が調査して報告書をまとめました。
    閖上を含む仙台平野では、三陸沿岸のような大津波の経験が少なく、住民の間に、津波はこの地域までは来ないという認識が広がっていました。地震直後に避難した人は2割程度で、多くの人は家族の安否確認、近所との情報交換、家の片付け、避難準備などをしており、避難の開始が遅れました。また、津波警報や避難情報が十分伝わりませんでした。地震で停電してテレビは見られず、防災行政無線が故障していたこともあって、市の避難呼びかけを聞いた人は2割程度でした。避難手段の約6割が自動車で、道路渋滞が避難の遅れにつながりました。また、避難場所の閖上公民館についての認識が「津波避難」ではなく「災害時の避難所」だったため、公民館のグラウンドで様子を見て建物の2階に上がらないという人も多くいました。さらに閖上中学校などへ移動する人は、移動中に津波に遭いました。多くの住民は、実際に津波、黒い水の壁を見て初めて危険を感じたと証言しています。

    山元町防災拠点・山下地域交流センター
    宮城県亘理郡山元町つばめの杜1-8
    防災情報コーナーではさまざまな媒体を通し、津波災害の伝承や防災教育への活用、防災意識を高めることを目指し、パネル展示などが行われています。また、震災関連書籍を多数所蔵しています。この施設は、内陸に付け替えられた常磐線の山下駅の隣にあります。

    現在の山下駅
    山下駅ホームから旧駅舎方面を望む

    伝承施設は各地に整備されていて、実際に災害を体験した方々の努力で、津波などへの被災の状況についてわかりやすく学ぶことができます。犠牲になった方々に祈りを捧げつつ、命を守る行動について考えるために、是非お出かけください。

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  • 熱海の海を見晴らす中国茶専門レストラン

    熱海の中心街を右手に見ながら、急峻な登り坂をしばらく上がっていくと、唐突に赤地に白文字の『営業中』というのぼり旗が目に飛び込んで来ます、一瞬こんな所に何のお店が・・・と思いますが、熱海には珍しい中国茶と飲茶の専門店『吉茶 松濤館』です
     一度訪れたらすっかりファンになってしまって、今回もランチにお邪魔しました(本当に友人の別荘に訪れたような空間なのです!)

    どこのお部屋からも素晴らしいオーシャンビュー

     約10年位仕事で台湾に行くことが多かった主人が、現地の老舗台湾専門店を勧められて、我が家でも台湾茶を飲む事が習慣になっていたのですが、こちらのお店はどれを選んでよいのか分からないほど、バラエティに富んだお茶のラインナップ
     オーナーに聞いてみるとお食事と一緒なら烏龍茶等の濃いめ、お茶だけなら清香と表示されているスッキリした軽めのお茶がオススメとのアドバイス
    お食事に合わせて『凍頂烏龍十五年老茶』、デザート替わりに食後にお願いしたお茶菓子とペアリングした『玉山高山烏龍茶』をオーダー

    台湾のデザートも充実

    台湾の玉山は標高3,952m、標高3,776mの富士山より高く、第二次大戦前まで日本統治の時代には「新しい日本の最高峰」として、明治天皇より「新高山」と名付けられたという歴史があります
    大きな寒暖差とミネラル豊富な伏流水の恵みで、肉厚でフルーティーな香りと長い余韻が楽しめる貴重な茶葉だとか

    食事が出るまで先ずは口当たりの良い『玉山高山烏龍茶』を楽しみました、急須も茶器も日本の標準の物の3分の1位の大きさ、熱湯を注いで少し待って、ピッチャーに移しそれぞれの小さな茶碗に注ぎます
    より香りを楽しむ為、オーナーがもう一つ背の高い茶器を出してくれました、まずはこちらでゆっくりお茶の香りだけを楽しみ、小さめのお猪口のような茶器に移し替えて、もう一度お茶がなくなった右の器の香りだけ楽しみます、日本の茶道の嗜みは無いのですが、中国茶にも様々なお茶を楽しむ作法が有るのは面白い発見でした

    どこかミニチュア感のある中国茶器

    お茶を味わっていると飲茶が届きます、まさしくお茶と頂く軽食中華なのでその名の通り飲茶なのですね、このタイミングで食事とのペアリング『凍頂烏龍十五年老茶』を頂きます
    凍頂烏龍茶は凍頂山という場所で収穫されるウーロン茶のブランド、その中でも良質なウーロン茶だけを長期熟成した茶葉が老茶と呼ばれ、定期的に乾燥させカビの増殖を防ぐなどとても手間がかかるために、中には親から子へと受け継がれる30年物もあるそうです
    凍頂烏龍茶は口当たりがよく飲みやすいので、ダイエット目的で水分補給代わりに飲む人がいますが、食事と一緒に摂らないと健康を損ないますと、オーナーから専門店ならではのご注意がありました

    飲茶はすべてオーナーの奥様の手作り、小籠包は包を割ると肉汁が溢れるジューシーな一皿、大きめに切られた素材の歯ごたえが味わえる焼売は手作りならでは美味しさ、スペアリブの豆豉(トウチ)蒸しは初めて食べました、豆豉とは大豆や黒豆を発酵させた調味料で、深い旨味と特徴的な香りが魅力、どのお料理もしっかりと香ばしい濃いめの烏龍茶にとても合いました

    湯気で焦点が合わない小籠包
    貝柱と海老の焼売
    スペアリブの豆豉蒸し 中華パン付き

    最後のお茶菓子で『玉山高山烏龍茶』に戻ります、小さな茶器で飲むのは煎を重ねるごとに、濃さ・香り・味が変化して行く事を楽しむためだそうです

    右上から時計回りで、梅寒天→チョコレート→月餅→きな粉餅

    オーナーは昔仕事で台湾を訪れて、同じ銘柄のお茶でもお店によって味が違う台湾茶の奥深さに魅了され、ご自身のご両親が建てたこちらの家でお店を始めたという事でした
    何度も来ないと全てのお茶を味わえないので、次は違うお茶を楽しみたいとまた1つ熱海に来る目的が出来ました

    熱海の海と台湾グルメを楽しみましたが、やはりコーヒー党の私達は最後のシメに美味しいコーヒーは欠かせません
    熱海の街中に最近オープンしたこちらは熱海で珍しいアフタヌーンティーも頂ける『熱海カフェ』、流石にもうお食事は入らないのでシンプルにコーヒーだけ注文
    こちらのコーヒーは東京から熱海に移住してきたご夫婦が、珈琲好きが高じて焙煎所を開いた『カモメ珈琲豆店』(こちらのお店は豆の販売とテイクアウトのみ)のコーヒーが頂けます

    時代の波の中で街は変容しながら、訪れる人々を温泉・グルメ・文化で癒してくれる、何度来てもまた訪れたくなる湯の街でした

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  • 熱海起雲閣の優雅なカフェとおすすめイタリアン

    神話の時代から令和まで、人を温める街・熱海

    毎年東京が寒さと乾燥に悩む頃、新幹線なら1時間弱で暖かさと湯けむりに癒される街・熱海、今年もその街の美食と温泉を楽しむために旅程を組みました
    熱海の歴史は古く、噴出するお湯を桶に入れて身を浸すと、諸病がことごとく治ったという神話時代の記述から、奈良時代に箱根神社を建立した万巻上人(まんがんしょうにん)が、海中から熱湯が噴き出たことで不漁が続き、大きな被害を受けている漁民を憐れみ、源泉を山里へ移したという伝説等が有ります
    戦国時代は大名の湯治場として特に徳川家康に愛され、江戸時代は多くの文化人の紀行文に登場し、明治時代になると政財界の重鎮、著名な文人墨客が熱海に別荘を建て賑わいます
    昭和39年、東海道新幹線が開通し熱海が停車駅になると、東京や大阪の大都市からのアクセスが飛躍的に向上し、1980年代後半バブル経済期、企業の保養所や大型リゾート施設の建設が相次ぎ、観光地として繁栄を極めましたが、バブル崩壊後の1990年代には観光客が減少し街は経済的な打撃を受けました
    しかし2000年代に入ると歴史的な建造物の保存や温泉街の景観整備、イベントの開催などを通じて観光地として再生を目指し、新たな観光資源の開発と魅力向上に努めた結果、近年観光地として再び脚光を浴びるようになってきています

    土日は沢山の人で賑わう熱海駅ビル・ラスカ

     熱海市街の中心地にある『起雲閣』は、明治大正時代を通して経済界と文化の時代の寵児を観続けた歴史的建造物で、大正8年当時『海運王』と言われた内田信也の別荘として建てられ、大正14年鉄道で財を成した根津嘉一郎が譲り受け、庭園や洋館を拡張整備しました
     昭和22年、桜井兵五郎が購入し旅館として開業、多くの文豪に愛され、平成12年熱海市が買い取り観光文化施設として一般公開されています

    旅館だった頃の雰囲気が偲ばれます
    起雲閣を愛した文豪達
    暖炉を備えた洋館
    和洋の文様が素敵です

     こちらのもう一つのオススメはティールー厶、建物の一部を改装しているので、大正モダンの空間を楽しみながら飲み物や熱海の名菓等が頂けます
     文豪達が散策したであろう庭園を眺めながら、日本の名作を手に取ってみたくなるような時間でした

    大きなステンドグラスの照明がおしゃれな店内
    根津嘉一郎が特に注力した庭園

    熱海の大地と海を頂くイタリアン

     熱海のなぎさ公園の端のあまり目立たない場所にあるイタリア料理の店『テール・エ・メール』、こちらも10年前から熱海に来れば必ず立ち寄るオススメのイタリアンです
     シェフは目白の老舗フレンチで修行を積んで、20代後半にはかつて熱海で名旅館と謳われた『蓬莱』の別館『ヴィラ・デル・ソル』のフレンチシェフとして腕を振るっていた経歴の方です
     熱海の自然と食材の豊かさに魅せられ、出来るだけ自宅近くの菜園で採れた野菜と地魚やジビエを使って仕上げるイタリアンは、この地域の恵みが一皿一皿に活かされています

    看板などが無いのでビーチ沿いのお店は sun port というビルが目印
    シンプルで居心地の良い店内
    ヴィラ・デル・ソルにあったステンドグラスのライト、開店のお祝いに頂いたそうです

     ディナーコースは3種類、Aコースはお魚メイン、Bコースはお魚お肉のフルコース、Sコースは季節のスペシャルコース、予約時にコースを選びます、私たちはAコースを選択

    アミューズは左から長期熟成の生ハム・パルミジャーノ・ペコリーノチーズのスライス・赤軸大根と赤キャベツのピクルス、イタリアンのオーソドックスな素材と調理法ですが、すべて良い塩梅(あんばい、昔の調味料は塩と梅の酸味が主な味付けだったので、そのバランスが絶妙という賛辞です)

    大根と自家製からすみをシンプルに頂きます、からすみが手作りなのでマイルドな塩味とサクッと食感の大根がマッチしています

    自家製カンパーニュも秀逸

    イタリアンにはあまり使わない野菜のオンパレード(大根・白菜・春菊・小松菜等)と地魚のスズキとヒラメのシンプルなサラダ、いつもその美味しさに感心して、一度ドレッシングの作り方を聞いて家で再現しようと試みましたが、やはり足元にも及ばない味だったので、こちらで頂くのを毎回楽しみにしています

    カブのポタージュはさらりとした食感ですが、少し泡立ててクリーミーさを+、緑の水玉はカブの葉っぱのオイルを散らしたもので、一緒に食べると風味が増します

    パスタは手打ちの細麺にシラスとブロッコリーと源助大根(加賀野菜の一つで水分が多く柔らかい)を煮込んだもの、シェフに聞くとこの大根は煮込むと美味しいのでパスタソースに加えたそうです、確かにシラスの味が大根に染みわたっていて、和洋折衷イタリアンの面目躍如の一皿

    メインディッシュのお魚は冬に珍しい鱧の素揚げにチーズ、お野菜は太葱のフリット、脂がのった鱧はそのままでも美味しい、付け合わせの葱はじっくり揚げて甘みが増し、衣の香ばしさと一緒に頂くと冬の恵みの有難さを噛みしめながら、今回もとても満足なディナータイムを過ごさせて頂きました

    デザートはサツマイモのプリン、穏やかな甘さです
    小菓子三種

    熱海の3日目の朝、ホテルのブログでオススメされていた魚市場へ競りの見学に行きました、豊洲のような大きな市場ではないので和気あいあいとした競りを見ながら、「スーパーの切り身や刺身しか見たことがない子供たちが、実物の魚に触れて興味を持つと、いつもは食べない魚も食べるようになってくれるんです」との事
    食育やフードロスに一役買っている取り組みの様で、静岡県出身力士として96年ぶりに三役になった熱海富士関の話題を出すと、案内役の方が関取のお母様と学校の同級生だそうで、先日もイベントに来てくれたと、地元思いの優しいエピソードを聞くことが出来ました
    関取は昔から体格が良かったそうで、海の幸・山の幸に恵まれた熱海の食育の良きお手本なのかも知れません、ちなみに好物は魚だそうです

    キンメダイの整列
    大漁旗の下に「熱海富士」
    二日前テール・エ・メールで頂いた、思っていたより大きい冬の鱧
    最後に振舞われる鮮度抜群のあら汁と鯵の刺身

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  • 東京大神宮参拝の後は飯田橋のフレンチの名店へ

    東京飯田橋にある東京大神宮は、1880年に東京で伊勢神宮にお参りできるように建てられた日比谷大神宮が関東大震災後に移転した神宮で、伊勢神宮内宮の天照皇大神と外宮の豊受大神が祭られています
    初めて神前結婚式を行ったこともあって、現在でも縁結びの神様として人気があります

    そのほど近くにあるホテルメトロポリタンエドモントには、かつて、日本人で初めてミシュランの星を獲得したフランス料理の巨匠中村勝宏シェフが育てた名店「フォーグレイン」がありました
    多くのファンに惜しまれながら2012年に閉店しましたが、ファンの熱い思いが叶って、2026年1月に、同じホテルメトロポリタンエドモント内にあらためて「フォーグレイン」が改装オープンしました

    新しいレストランの料理長となった池内英治氏は、中村勝宏シェフ、岩崎均シェフ(現ホテルメトロポリタンエドモント総料理長)のもとで修行し、「Dining & Bar TENQOO」料理長、「TRAIN SUITE 四季島」総料理長を歴任した実力シェフです
    私達も友人夫妻を誘って、早速ディナーに出かけました。池内シェフのお任せメニューは豪華ですが、若い頃と違ってあまりたくさん食べられないので、スモールポーションをお願いしました

    アミューズで期待が膨らんだ後、一瞬デザートと見間違えるほど美しい一皿、コーヒーで味付けされたフォアグラにまず舌鼓
    少し甘みと苦みのコーヒーにコーティングされて、濃厚なフォアグラがこれからのお料理の序曲にふさわしい味わいに

    アミューズは池内シェフのスペシャリテ
    フォアグラ コーヒー

    冷前菜・アントレは蝦夷鮑とふぐ、一見するとサラダ風に見えますが、下にバーニャカウダソースが隠れていて、そのままでさっぱりと、次はソースにからめたりと、自分で味を様々変化させる面白さがありました
    もちろん冬の美食の王様、アワビとふぐのコラボも秀逸です。
    続く温前菜・アントレは茨木県産穴子と佐土原なす、どちらもオイルでしっかり焼いているので、冬にはうれしいハイカロリーな一品でありながら、素材そのものがあっさりしているのでとても良いバランス
    ここまで魚介系のお料理にペアリングしたのが、ほのかな柑橘系の香りが心地よいニュージーランド産ソーヴィニオンブランのヴィラ・マリア、抜群の相性です

    蝦夷鮑 ふぐ
    穴子 佐土原なす

    スープの後はいよいよメインの魚料理、甘鯛と白菜と舞茸、魚のうろこを残したまま皮目から高温の油をかけて焼き上げる、日本料理の技法笠松焼の技法を取り入れた一品
    うろこが松ぼっくり(笠松)のように見えて、パリッとした食感になることからこの名が付きました
    付け合わせの野菜はこごみ、うるい等日本の早春を思わせる鮮やかな緑で、見た目も楽しませてくれました

    メインの前のスープ
    甘鯛 白菜 舞茸

    そしてペアリングはメゾン・ブエが提供するボルドーの赤に切り替えて、メインのお肉料理は黒毛和牛のフィレ肉、焼き方は自由に選べます
    ミディアムレア派と固くならないギリギリまでよく焼いてもらう派、四人の食事で焼き加減の好みは2対2
    蓮根と木くらげ、菊芋が添えられた伝統的で正統派な一皿

    黒毛和牛フィレ 蓮根 木耳

    その後はデザート1、スプーンに乗っているのは『へべす』という柑橘系のアイスクリームとジュレ、初めて食べた食材ですが、宮崎県の平兵衛(へいべい)さんが山で香りのよい木酢を見つけて栽培したという経緯から、『平兵衛酢(へべす)』と名付けられたとか
    ビタミンCと必須アミノ酸が豊富で日向地方では嫁入り道具として、苗木を持っていく風習があるそうで食後がとてもスッキリします

    へべす

    デザート2、レアチーズと会津のはちみつ
    六角形のハニカム構造のシュガーの下は優しい甘さのレアチーズケーキ、私達も以前会津の養蜂家さんの蜂蜜が気に入って取り寄せていたので名前を聞きましたが、違う養蜂場でした
    でも同じ志で国産蜂蜜を守り続けているようです

    レアチーズ 会津のはちみつ
    最後はエスプレッソ

    友人夫妻の豊かで興味深い話に耳を傾けながら、本格的なフランス料理でありながら斬新さも備えた、池内シェフの意欲が見事に現れたコースを心ゆくまで堪能したひとときでした

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  • 東京湾の絶景とグルメの街・館山

    今日は勝浦を出発し日蓮聖人生誕地の安房小湊から、シーワールドのある鴨川を通り過ぎて、外海の海岸線をひたすら走り、東京湾の表玄関である館山に向かいます
     館山は約30年ぶりですが、東京から神奈川・千葉にも広範囲に残る関東大震災の取材が今回の訪問の目的の1つです
    その大きな地殻変動や災害の遺跡がここ館山に残っているとの事、館山を含む震災の記事はこちらです
     震災の取材と並行して訪れたのが、『南総里見八犬伝』でその名を知られた房総里見氏の歴史遺産
    房総里見氏は室町時代に鎌倉公方の要請で千葉に移り、勢力を拡大しながら上杉家や小田原の北条家としのぎを削った戦国大名でした
    徳川幕府の時代になると将軍のお膝元・江戸の至近距離に、館山を本拠地に東京湾を牛耳る水軍を持つ外様大名の里見氏は、あまり好ましくない存在と思われていたようです
     1614年、謀反の罪を告発され鳥取へ国替えを命じられ、1622年お家再興の夢も空しく、最後の君主里見忠義は29歳の若さで病死しました
    房総里見氏は断絶となり、8人の家臣が主君の死とともに切腹したといわれています、江戸の戯作者・滝沢馬琴はこのエピソードの忠義心に感銘を受け、それがきっかけであの『南総里見八犬伝』の創作へと開花していきます

    復元された館山城
    今は東京を遠望できる天守閣からの眺め

    今夜は旅館で和食なのでお昼は地元イタリアンで軽くランチです、海岸線ギリギリの場所にある『オステリア ベッカフィーコ』
    店内はJAZZが流れていて、夜はイタリアンとお酒を楽しめるお店です

    パスタ・リゾット・ピザと定番メニューも豊富
    ミックスサラダとフォカッチャ
    地魚のパスタ オイルベース
    イカスミのスパゲッティ

    パスタはどちらもしっかりしたアルデンテの麺に、スパゲッティソースがしっかりとからんでいて海辺のシーフードを味わえます

    今日の宿はホテル洲の崎『風の抄』、房総半島の突端にある洲埼灯台から歩いて行ける場所に有ります、全て畳敷きでスリッパを履かなくても歩ける配慮が嬉しいです

    チェックインの手続きは海が見えるロビーで
    お部屋は『梅東風』・ダイニングも広々
    リビング・寝室共に床暖房が、寒い季節は有り難いです

    近年増えている和室にツインベッドは、どんなライフスタイルでも居心地良い空間なので、旅の宿を探す時なるべくその条件で検索したらこちらにたどり着きました
     ほとんどのスペースがバリアフリーなのも高評価過です

    夕日の絶景スポット、徒歩10分の洲埼灯台へ
    夜の灯台ライトアップ・季節柄クリスマスキャンドルの様です

    お待ちかね、ディナータイムはお部屋で頂きます
    前菜はブリのグリル・フォアグラのパイ・帆立と春菊のお浸し

    温前菜はカブのリゾット・ 海老茶碗蒸し

    地魚の舟盛り、伊勢海老を中心に左からイサキ・金目鯛・アオリイカ・平目・カンパチ、全て活きが良いです

    帆立と肝ソースの陶板焼き、グラタンの様な味わいの中に、しっかりと帆立の出汁が効いています

    柚子釜・蟹真薯 湯葉とフカヒレ

    チョイスメニューは伊勢海老と国産牛と蒸し鮑の三択から選べます

    蒸し鮑をチョイス

    鰆と季節野菜の南蛮漬け

    釜炊きの鯛めしと漁師汁、どちらも海の恵みを感じる美味しさ

    デザートが柚子のチーズケーキとピーナッツのお汁粉

     フカヒレ等も館山産なので、ほぼ海のものは近海で水揚げされたと思われます、最近のトレンドなのでしょうか、会席料理の中に時々フレンチやイタリアンのレシピが織り込まれるスタイルで、意外性が楽しいです
     最後の千葉県特産のピーナッツをお汁粉で頂くのも面白い趣向でした

     朝は海辺の旅館らしい和食、急ぎの旅ではないのでゆっくりと朝食を頂いて、ギリギリ迄部屋で寛ぎました

    みそ汁の中に昨夜の伊勢海老がダイブイン
    目の前は小さな漁港、新鮮なお魚を届けてくれます

     東京へ帰る前に『洲崎神社』へ、神武天皇の御代に勅命により房総半島の開拓の拠点となり、石橋山の合戦に敗れた源頼朝が再起を祈願し、里見氏からも寄進を受けた由緒ある場所

    帰り道に立ち寄った海ほたるは、東京湾を隔てて左右対岸の風景があまりにも違う分岐点です
    東京・横浜の湾岸エリア方面は、無数の建物と羽田にせわしなく離発着するカモメのようなジェット機を見上げ、その後ろの展望デッキに行くとほとんど手つかずの海と山が広がる千葉を望めます
    アクアラインを走ればたった30分、東京・神奈川とは違う何処か懐かしい、昔の日本へタイムスリップしたような場所に辿り着けます、これからもっと千葉の魅力を知りたいと思った旅でした

    海ほたるから東京・神奈川のベイエリアを望む

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  • 勝浦朝市と房総の幸を味わうおすすめフレンチグルメ

    勝浦は2010年代、『勝浦タンタンメン』でB-1グランプリの常連、2015年には全国大会でゴールドグランプリを受賞、400年以上の長い歴史のある朝市や、壮観なひな壇と合わせて街興しの名物になっています

    数年前来た時のひな壇

    私達は朝市での食べ歩きが楽しみなので、ホテルを素泊まりにして朝から街へ繰り出します

    夕日のように見える朝日の中、ちらほら人が集まってきています
    海産物や地元の野菜に混じってケーキ屋さんも
    絵本屋さんまで
    やはり有ります、タンタンメン

     こちらの「いしい」は何でも美味しいのですが、朝から辛いものが食べられない人は、普通のラーメンもオススメです
     今日は漁港近くの『魚水』でモーニング!?です、普通の魚屋さんに見える店舗の奥は、そこそこ席数のある食堂になっていて入口で注文して席に着きます
    朝早く食事に来ているのは観光客だけでは無く、地元の漁港や朝市で働いている人が多いような印象でした

    インテリアが大漁旗なのが港町らしい

    それぞれマグロとブリの漬け丼を頼みました、ライスの量は多めさすが魚の鮮度は抜群です

    店先で豪快にお魚を捌いています

    朝食の後はやはり朝市の中のコーヒーショップへ、とても丁寧に淹れてくれるので、時間はかかりますが待つ価値のある一杯です
    コーヒーの出店前で近代的な七輪で焼かれている干物を、朝市のお仲間でつまみながら談笑している風景も、都会では見られない味わいが有りました

     午後のランチはこちらも数年前に出会った勝浦の名店『シェ・コデラ』へ、とても分かりにくい場所ですが電車の狭い高架下をくぐり抜けて、坂道を登ると房総の海を眼下に望む高台にお店が有ります

     小寺シェフは岡山の有名フレンチで腕を振るっていて、奥様の希望で那須高原へ移住、寒さがこたえて来たので暖かく海が見える場所を探して勝浦に辿り着いたボヘミアンシェフ
     予約があったらお店を開ける半リタイアのような状態でしたが、最近2階のお部屋を改装して、1日一組のオーベルジュも始めたらしいです

    和室にテーブルの宿泊ルーム
    クリスマスモードの店内

    前菜は茄子のプロヴァンス風、ソテーした茄子に勝浦のアサリや野菜のソースがたっぷり注がれて、海の青さを眺めながら頂くと気分は南フランスです

    テラスから望む勝浦の海

    スープはゴボウのポタージュ、サラッとしたスープをスプーンで口に入れると、まろやかなミルクの中に尖ったゴボウの風味が後から感じますが、この意外な組み合わせもなかなかの味わい

    メインは予約時にお魚 or お肉と聞かれますが、やはり土地柄で海の幸がオススメです、出されたのはアイナメのムース仕立て、付け合わせの野菜はマッシュポテト・椎茸のピザ・ブロッコリーのオイルサーディンペースト・人参のラペ

    デザートはサバイヨンソースのクレープとバニラアイス、日頃糖質制限でデザートを果物に変更するのですが、シェフ一押しのサバイヨンソース、今日は遠慮なく頂く事に
    卵黄とお酒・砂糖・レモンで作る甘くクリーミーなソースをかけると、クレープがしっとりとして何枚でも食べられそうです

    最後の飲み物は、コーヒーや紅茶では無くやはりシェフオススメのミントティー、一時フランス領だったモロッコ等の北アフリカの国民飲料で、多めの砂糖を入れて食事の度に何杯も飲むのだとか
     サハラ砂漠に隣接した暑い地域のなので、清涼感と甘さで水分補給をする生活の知恵のようです

    最後のミントティーはそれぞれの地域や家庭で淹れ方も様々で、日本の茶道の様に作法も有る生活文化、1日3度蒸らす時間を変えて異なる味わいを楽しみながら飲むことが多く、下記の格言が良く知られているそうです

    Le premier verre est aussi amer que la vie,
    le deuxième est aussi fort que l’amour,
    le troisième est aussi doux que la mort.

    一番煎じは苦いこと人生の如く
    二番煎じは強いこと愛の如し
    三番煎じは死の如く穏やかである

    葛藤の多い青春時代から青年期
    仕事や家族の為に全身全霊で生きる壮年期
    穏やかに人生を振り返る老年期
    のような人生訓を格言から読み取ってみましたが、皆様如何でしょう

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  • 健康を作り出す千葉市原・発酵熟成の和食

    日本は今年の漢字にもなった『熊』騒動に揺れた1年でしたが、そのあおりで観光客が増えたのが千葉県です、山がちな地形ですがそれほど高い山が無く、『熊』が生息するには難しい環境で、東京から近い事もあって近年人気が出ているとか
    私達は数年前勝浦へ旅行に行く機会があった事で、余りメジャーな観光地ではないと思っていた千葉県が海山共に食材の宝庫で、それぞれ工夫されたグルメなお店が多数点在している事に驚き、年に1回のペースで訪れています
    その中でもこちら『蔵精』は昔大多喜駅の近くにあった時から、旅行の行き帰りに必ず立ち寄らせてもらっているお店です
    新しいお店は市原市の高滝湖のほど近くにある、『ミュアヘッドフィールズ』という、古民家レストランを中心にコテージ風のホテル、カフェ、マーケットの集合施設の一角に有ります

    急な坂道を下りて小さな橋を渡った2階が店舗です
    シンプルな店内、窓の外は柿や野菜が干してあります

    後で聞いてみると、野菜を干すと水分が抜けて旨味が凝縮されるそうで、こちらの野菜が美味しいのはこういう一手間のお陰です、今日は季節のランチコース予約
    飲み物も既に『蔵精』ならではのこだわりが
    私は貴重な山ぶどうを3年間真空で熟成させた果汁100%ジュース、主人は自家栽培のお米、さつまいも、素粒水だけで作った御神酒の原点の乳酸発酵飲料水、自家製ミキ、1ccに約一億個の乳酸菌が入っているそうです

    山ぶどうは酸味が抜けたまろやかな味わい

    先付は温められたもみ殻の中に入って運ばれて来ました、確かにただ温めるよりも優しい温もりが持続するようです

    先付は蓮蒸し、蒸した蓮根と出汁の効いたあんかけの調和が素晴らしく、定番の銀杏に千葉の特産ピーナッツが添えられているのも新鮮です

    前菜は向かって左の陳皮(漢方薬の材料にもなる柑橘類の皮)を干して、お煎餅の様に食べます
    その他キノコのおろしあえ・キクラゲの山葵添え等、多分近くの秋の里山で収穫されたと思われる食材を、出汁や昆布という和の味付けの王道で丁寧に調理されています

    メインは野菜の陶板焼、様々な地物野菜の下にこだわりの味噌と海老芋のペーストが隠れていて、野菜はそのままでも、ペースト状の味噌と一緒に味わったりといろいろ楽しめます

    お食事はきのこのせいろ蒸し、玄米に秋の味覚がしっかりと染み渡っていて、長期熟成の味噌汁と頂くと和食の素晴らしさを再確認します

    最後は焼き柿と安納芋、素材の甘さだけで完成させたデザートです

    化学調味料、白砂糖、小麦粉、乳製品不使用、精進料理に近い和食ですが、夜のコースには魚やジビエも取り入れて、絶対菜食主義ではないようです
     お食事が終わった後、料理長さんが挨拶に出てこられたので、プロフィールを聞くと、お店を開く前はニューヨークの『なだ万』で修行をしていたとの事、開業当時は天ぷら等の和食メインだったそうですが、旨味を感じやすい油分やお肉に頼ることなく、素材の味を引き出すための料理
    方へシフトされたとか
     今のお店のコンセプトは身体の弱かった奥様が、自分の健康のために食事を工夫し始めた事がきっかけで、健康に良い料理を試行錯誤しながらお二人で作り上げたレシピだそうです
     そのお陰で今はとても元気になられたとの事、夫婦愛溢れるエピソードでした

    和洋中とどの食事の後でもコーヒー党の私達は美味しいコーヒーが飲みたくて、勝浦に車を走らせます、田んぼから少し入った普通の住宅のように見える建物が『とき々堂|Tokidokido』
    基本週末+ときどき営業(インスタで告知)なので、店名にもなっていると店長さんから聞きました

    店内では陶芸等のワークショップも開催されるようです
    こちらで1カップずつハンドドリップで淹れてくれます

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  • 関東大震災を学ぶ史跡めぐり

    東海道線根府川駅は、相模湾に面した標高45mの風光明媚な駅です。大正12年9月1日、ここは開通したばかりの熱海線の駅でした。この駅に差しかかった下り列車は、関東大震災となる大正関東地震の激しい揺れに襲われて非常停車しましたが、地震が引き起こした土砂崩れでホームもろとも流されてしまい、最後尾の2両を残して客車6両と機関車が海の中に沈みました。死者は110人とも130人とも言われています。また、付近の白糸川の河口付近の集落は、山からの土砂と海からの津波によって壊滅しました。激しい揺れは各地に大きな土砂崩れを引き起こしました。

    風光明媚な根府川駅
    根府川駅にある関東大震災慰霊碑

    この地震は、首都直下型ではなく海溝型です。相模湾を中心とした震源域、マグニチュード7.9と推定されています。高い津波があっという間に伊豆半島、相模湾沿岸、房総半島などを襲いました。
    当時日本一の高さを誇ったレンガ造り12階建ての浅草の凌雲閣は、地震の揺れによって8階で折れてその上が大破し、多くの死者を出しました。東京では堅固に見えた西洋建築の多くの建物が倒壊しました。その激しい揺れに耐えたのは、辰野金吾博士が設計して震災の9年前に完成した、赤レンガの東京駅舎でした。辰野博士は、地震の多い日本では欧州の建築方法は通用しないと考え、レンガに鉄筋を埋め込んだのでした。

    復原された東京駅丸の内駅舎
    レリーフに飾られたドーム天井

    揺れの激しかった房総半島南部の被害は大きく、館山ではほとんどの家屋が倒壊しました。震災1年後に館山市腰越の延命院に建てられた碑には、「大きな震えに見舞われ、山は崩れ家屋は悉(ことごと)く倒れ、人が死に負傷した。天皇陛下は御下賜金を賜いこれを救った。」と記されています。

    館山の見物海岸。上段が元禄地震、下段が大正関東地震による隆起
    関東大震災の記録を伝える館山市立博物館の企画展

    関東大震災は10万人を超える死者が出た大災害ですが、死者の9割以上は火災によるものでした。

    両国駅(当時は両国橋駅)北方にあった陸軍被覆廠は震災前年に移転し、そこは広い空地になっていました。地震が起こり多くの人々がここに避難しました。そこへ火災旋風が襲い、避難者たちが持ち込んだ家財道具などに着火し、台風の影響による強風に煽られて火の海になってしまいました。被服廠跡地で3万8,000人もの命が奪われました。

    両国の回向院
    回向院境内にある関東大震災碑

    神田和泉町・佐久間町の住民は、川の水をバケツリレーで運んで建物に水をかけ、燃えやすい建物を取り壊すなど、協力して必死に消火・防火作業を行ったため、広範な被災地域の中にあって島のように町が残りました。この話は紙芝居になって語られましたが、戦争中にこの紙芝居が教材として使われたため、戦後は忘れられました。
    昭和5年には陸軍被覆廠跡に横網町公園が開園し、震災慰霊堂が建てられて遺骨が収容されています。また翌年には関東大震災とその復興を後世に伝えるための復興記念館が完成しました。その後戦災による身元不明の遺骨を合祀する形で慰霊堂は「東京都慰霊堂」と改称され、復興記念館とともに当時の悲劇を現在に伝えています。

    東京都慰霊堂
    東京都慰霊堂内
    東京都復興記念館
    東京都復興記念館の展示

    東京都復興記念館
    東京都墨田区横綱2-3-25
    電話: 03-3622-1208

    ジオ日本学びの旅 記事一覧

  • 西伊豆 富士山絶景の温泉宿

    旅行2日目は秋色の箱根からご褒美ステイ先の『富嶽群青』へ、伊豆にはよく訪れますが、熱海・伊東・下田のある東海岸ばかりで西伊豆に泊まるのは初めてです
    夜はフレンチ会席と決まっているので、移動途中の沼津で夜と被らない地元イタリアン「コンレマーニ」で簡単パスタランチ

    しらすとブロッコリーのオイルパスタ
    マッシュルームとほうれん草のクリームパスタ

    沼津からホテルに向かう途中、最近ゴールドの高騰でニュースにも取り上げられた土肥金山に立ち寄りました
    土肥金山は室町時代から発掘が始まって、徳川家康の江戸時代に本格的に開発され、一時は海岸の狭い場所に『土肥千軒』と言われるほどの賑わいを見せます
    佐渡金山に次ぐ2番目の産出量で、小判に代表される江戸時代の金貨として、当時の貨幣経済を支えました

    土肥金山坑道の入口
    総延長100キロもあったそうです
    当時女性も働いていたのは驚きでした

    土肥金山の話題はギネス認定されていた250kgの巨大金塊の展示、以前はお金のご利益が有るようにと触れる事も出来たのですが、時価約44憶を超えることもある「金塊とのふれあい」は、盗難に備えた保険料の高騰や安全上の懸念から2025年7月末で展示を中止、模型だけが置かれています
    長らく世界一の金塊でしたが、2024年ドバイで300.12kgの金塊が展示され世界一の座を明け渡してしまいました
    栄枯盛衰の土肥金山ですが、その役目を終えて現在は観光地として賑わい、この地の人達に今でもお金!?で貢献しているようです

    チェックイン前にもう一つこちらは日本一という場所へ立ち寄りました、日本一があるとは思えない一見地味な本堂に、高さ5メートル重さ3トンの“ダルマ座像”が安置されています

    本尊の達磨大師、優しげな仏像には無い気迫

    達磨さんのマスコットで親しまれている中国禅宗の開祖である達磨大師、ユーモラスなお顔と違ってその人生は苛烈で波乱万丈、お堂にはインドの王族に生まれ釈迦の再来と謳われた前半生から、西暦520年中国に渡り布教と座禅に明け暮れ、最期は対立していた僧の毒により亡くなるまでが墨絵と文章で語られていました
    不屈の人生にあやかって七転び八起きのシンボルになったご本尊、これからのシニアライフの健康長寿を祈願しました

    生憎の雨の中『富嶽群青』に到着です、全8室スィートルーム、その全ての部屋から世界遺産を眺めながら贅沢な時間が過ごせます
    2024年に新たに創設された「ミシュランキー」は、レストラン星と同じホテル版の指標として誕生、特に優れた滞在体験を提供するホテルに授与される評価です
    2年目を迎えた2025年10月8日にパリで開催されたミシュランガイドの発表で、『富岳群青(ふがくぐんじょう)』はレストラン評価の一つ星に相当する1ミシュランキーを受賞しています
    予約したお部屋は『波の風(なみのふ)』、今日は曇っていて霊峰を望めませんが、明日に期待して美食と温泉を楽しむことに!

    お食事処はフロントの横、お部屋の名前を伝えるとそれぞれ個室に案内されます

     今日のコースのコンセプトは『大地と潮の薫る旬菜な味覚の奏膳』、こちらは自家農園と漁船を所有する網元の顔も持つ当ホテル、食材を可能な限り自給自足している経営姿勢もミシュランに評価されたポイントかも知れません

    先ずはアミューズ、カリフラワーのブランマンジェ・ズワイ蟹・キャビア・コンソメジュレ
    主張し過ぎない旬の素材カリフラワーに、やはり季節の蟹を合わせたあっさりとしたスタートの一皿

    前菜は土肥の原木椎茸とフォアグラのテリーヌ バルサミコソース・蜜柑・胡桃サラダ・ブリオッシュを添えて
     伊豆は椎茸狩り等の看板が目に付くきのこの山里、肉厚で旨味の濃い椎茸とフォアグラの組み合わせが美味、ブリオッシュの軽さが前菜にぴったりです

    フレンチ会席なので次は御造りの登場、向かって右がハギの薄造り、キモを添えてスダチやこねぎと頂きます
    向かって左が本鮪と地魚2種、山葵も塩も地元産、安定の美味しさです

    魚料理は、地元伊勢海老・鮟鱇(あんこう)・牡蠣のブイヤベース
    素材の味を楽しめるようスープの味はサフランが効きながらも控えめな感じ、自宅でこの食材のブイヤベースは作れません、料理長さん、有り難うございました

    肉料理は白糸牛フィレステーキ トリュフソース 地元野菜のロースト
    富士の名水と山裾に広がる牧草地で育てられた白糸牛はとても上品な味わい、甘みや苦味のある地元野菜と一緒に食べると様々な味に変化します

    お食事は和に戻ります、浜名湖鰻白焼き茶漬け
    最初はそのままで、次に出汁や薬味と一緒にひつまぶし風に頂きます、白焼きとご飯の組み合わせは珍しいですが、とても美味しかったです

    前もってデザートを果物に変更希望を出しておいたので、ハーブティーと一緒に

    次の朝、達磨寺参拝のご利益があったのか晴れてくれました、群青の海の上に白い雪をかぶった富士山が拝めるのは、西伊豆海岸を訪れた人達の特権です

    6︰36分 暗闇に紛れていた山の姿が現れてきました
    6︰42分 ほんの数分で雪の頂きがはっきりと
    6︰49分 朝日を浴びて神々しい霊山

    朝食までの時間、ホテルの裏山を登って行くともっと素敵な御姿を見せてくれました、先日北斎美術館に行ったので、ここからのアングルの富嶽三十六景を探してみましたが見当たりませんでした、まさしく唯一無二の海に浮かぶ富士の姿がここに有ります

    歩き疲れた後は和の朝食、品数が多いと思いましたが早朝の富士見ウォーキングの後でしっかり完食

    食後の珈琲タイムはお部屋のウッドデッキで、富士を観ながらとにかく贅沢な一刻

    帰り際主人が部屋の露天風呂にお盆とお酒を浮かべて飲めたら最高の気分だろうなぁと、如何にも昭和のお父さんの様な事を言ってましたが、半島全てが温泉地の伊豆、『富嶽群青』のお湯も最高でした

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