ワンダーな未知との出会いの旅ガイド

  • 台中 - リノベーションの街を散策

    旧き日本を訪ねて新しき台湾を知る街・台中

    台湾4日目は午前中に台南を後にして、台湾新幹線で憧れの日月潭のホテル送迎の待ち合わせ場所、台中へ向かいました
    台中周辺にはもともと平埔族などの台湾原住民が暮らしていましたが、17世紀後半になると、清朝の下で大陸の福建や広東などから漢人が移住して中部台湾の開発が進み、現在の台中市には大墩という町が形成されます
    日清戦争後の日本統治時代になると、台中は学校や官庁などの建設、公園や碁盤目状の道路、鉄道の整備などにより、台湾中部の中心都市としての基盤が作られました
    戦後の1960〜80年代には工業化が進み、機械・精密工業などの産業都市として発展し、現在は台湾第2の都市圏として、商業・文化・教育の中心地になっています
    市内中心部には日本統治時代の役所や医院、学校跡など多くの歴史的建物があり、旧台中駅舎や市役所(旧台中州庁舎)、宮原眼科などの多くがリノベーションによって、魅力ある施設に生まれ変わっているので、新旧の融合を楽しみながら街を散策出来る魅力があります

    新幹線(高鉄)台中駅から乗り換える在来線(台鉄)新烏日駅ホームの表示は「海線・山線」、台中駅へは「山線」に乗車

    日本にもありますが、新幹線駅は街の中心部の駅から離れた所に作られている事が多く、台中も新幹線駅から在来線台鉄に乗って15分ぐらいの場所に台中駅があります
    晴天で週末だったこともあり駅はかなりの人出、迎えの時間まで4時間ほどあるので、台中市内の散策を楽しむ事に、台中は台北よりも街がコンパクトな印象、その分日本統治時代の建物が大切に残されていて、どことなく懐かしいような感じさえします
    台中駅そのものが近代的でスマートな新駅舎の隣に、日本統治時代に建てられたレンガ作りの旧駅舎が残されている、まさしく旧き日本と新しい台湾が融合したモデルスポット

    向かって左が近代的な新駅舎、右が旧駅舎です
    旧駅舎は東京駅に似ていると思ったら、やはり同じ辰野式の設計

    旧駅舎と昔のプラットホームと役目を終えた電車が、小さなショップやフリーマーケット会場として再利用されていました、日本時代の遺構が目的を変えて活かされ、今の台湾の人達で賑わっている様子に和みます

    利用されなくなった旧駅舎のプラットホーム、電車の中にも沢山のお店が有りました

    魔法にかかった不思議な眼科

    台中駅から3分位歩いた所に、市内随一の人気スポット『宮原眼科』が有ります、宮原眼科は日本統治時代の台中で日本の眼科医、宮原武熊氏によって約100年前の1927年に建てられた眼科です
    しかし、1945年の日本の敗戦とともに宮原医師も日本へ帰国、宮原眼科の建物は台中衛生院として利用されましたが、その後1999年の台湾中部大地震や2008年の台風などで屋根と内部の損傷が激しくなり、台中市政府は取り壊すことを決めました
    その時同市で飲食店の経営やパイナップルケーキの製造販売で有名な、『日出集団』の創業者・頼淑芬氏が、この建物の解体を惜しんで購入を決め、現存部分を生かし新旧を融合させた建物として、再生することにしました
    例えば1階部分のアーチ型の門や2階の13個の窓などを残し、店内は廃材を利用して棚や屋根瓦で作った広告入れなどで趣を演出するという工夫をしています
    一歩店内に足を踏み入れるとそこはまるで映画『ハリーポッター』の主人公たちが通う魔法学校のよう、天井は高く商品棚は図書館の本棚のように分類表示がされ、商品には書籍のようなパッケージが施されています

    年代を感じさせるレンガ造りの上に近代的なビルが建っています
    パリーポッターの世界観のような店内のインテリア
    台中のお土産をディスプレイしている家具もアンティーク風で素敵
    入口のタイルにアリさんの絵が・・・千客万来の願掛けでしょうか
    ビルの外には同じ会社のテイクアウトメインのスイーツカフェ、確かに千客万来・アリさんのご利益があったようです

    ランチ時だったので2階の台湾レストラン『醉月樓沙龍』へ、詳しい記事はこちら

    もう一つ、台中市内には日本統治時代の1911年に建てられた旧市役所がリノベーションされて、レストラン・カフェ併設のアートな複合施設になっています
    この日は生憎レストランが貸切り(雰囲気的に結婚式のようでした)だったため、残念ながら見学できませんでした

    昔の市役所はホテルの別館のような風格が有ります

    市役所から2〜3分歩くと、赤レンガの建物の2階に『Hausinc 1035』というカフェがありました、こちらも1910年代に建てられ、最初はタバコ店としてその後鈴木病院として使われていた建物が、カフェ、ベーカリー工房、ギャラリー、建築事務所として再利用されています
    カフェの入口近くに4年の歳月をかけて、完全な再建築よりはるかに時間と手間のかかったリノベーションの説明があり、古い要素を模倣するだけでなく、新旧の違いを明確に区別して、二つの時代を際立たせることを目指したとの熱い思いが語られていました

    お店入口のハンドサインは1035、因みに鈴木医院だった頃の電話番号だそうです
    ベーカリー工房とテイクアウトコーナー、病院時代の受付?
    店内は若者で賑わっていて、台中市民の語り場のよう
    丁寧に作られた美味しいカプチーノ

    このカフェの本店はフードメニューのクオリティも高い人気店だとか、たぶんお食事もおすすめ出来ると思うので、台中に行った時は是非立ち寄ってみて下さい

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  • 台中 - 高コスパおすすめランチ

    台中の飛び込みミシュラングルメ

    素晴らしい料理は必ずしも高額である必要はない事を証明するため、1997年「価格以上の満足感が得られるレストラン」への評価、ミシュランビブグルマンが登場しました
    ビブグルマンは「ミシュランの星」と比べて知名度は低いですが、星付きレストランと同じように入念に調査をされ、ミシュランガイドのファンから長く愛されています、三つ星のように段階的な評価ではなく、ビブグルマンの定義は「価格以上の満足感が得られる料理」という1つのみ
    良質な料理であることは大前提ですが判定基準に厳密なルールは無く、ユニークでシンプルな調理法、気軽に食べられて良心的な価格で満足できる事、とにかくコスパの良いグルメ体験が出来るというのが、ビブグルマンレストランの特徴です
    台中の宮原眼科の2階には、そのミシュランビブグルマンのレストランが有りました
    リノベーションビル・宮原眼科の1階の奥へ行くと、2階に上がる手前に台湾レストラン『醉月樓沙龍』のメニュー表があり、あまり考えずに入店可能かどうか聞くと、少しぶっきらぼうに一人500台湾ドル(約2500円)以上の利用が条件で、そのシステムを理解していますかと質問され、塩対応に歩き疲れてなかったら退散するところでしたが、OKですとランチを頂く事に
    後で調べると台中ツアーに組み込む場合は、予約した方が良いと書かれていた人気レストラン、飛び込みで入れてとてもラッキーでした

    この写真の中央下、見張り番の様に立っている人が説明と案内をしてくれます
    モダンチャイニーズな店内

    撮影時の影を消去しようとしたのですが、どうしても上手く編集できなくて読みづらいと思いますが、以下がそのメニューです

    点心
    スープ
    主食、チャーハン等のご飯類と麺類
    タピオカミルクティーとコーヒー
    デザートと台湾式アフタヌーンティー
    お茶菓子

    スープや炒飯は1000円前後、確かにホテルの中華と比べるとはるかにリーズナブル、取り敢えず飲茶3種を頼んでみる事に
    下調べをしてなかったので良く分からないまま注文、向かって右から点心のアスパラ焼き、左がクルミ干し柿、上がよもぎ餅

    クルミ干し柿は干し柿をペースト状にした餡の中に、香ばしいクルミを練りこんで固め、干し柿の自然の甘さと歯ごたえが絶妙の点心
    よもぎ餅は日本とは違っておかずのような具が入っていて、小籠包のお餅バージョンの様な食べ物でした

    それぞれのソースをつけると複雑に味変して楽しい

    日頃アイスティーを飲むことは稀ですが、台中発祥のタピオカミルクティー、ここに来たら頼まないのは野暮というもの、3月初旬の日本は冬が少し緩む季節ですが、台中は最高気温24度日本の初夏の陽気、半袖の人もいて歩き回ると喉が渇きます
    ミルクティーが好まれるのはこの暑さの中、甘くて口当たりが良く沢山水分補給が出来るからだと、大きめのグラスのミルクティーを飲み干す気持ちが分かりました、下に沈んだタピオカを食べるのはおやつと水分補給の二刀流という事でしょうか

    日本でのブームは温暖化の影響もあるような気がします

    台湾の国民的飲料の一つタピオカミルクティーですが、台湾の国際情勢を反映して次のようなお話が
    2004年台湾政府が国会で総額6108億台湾ドル(約3兆円)の武器購買の予算案を通過させようとした時、防衛省の宣伝文句で「全国民が毎週タピオカティーを1杯分(この日のミルクティーは200台湾ドル=約1000円)ずつ節約すれば何とかなる」と言ったことから、皮肉を込めて同予算案を「タピオカミルクティー武器予算案」と呼ぶこともあったとか
    甘いだけでは無い台湾の立場を思い起こさせてくれるエピソードです

    スープは甘いミルクティーとは真逆、しっかりした塩味が強いのが台湾料理の特徴、やはり熱い国なので水分と同時に塩分の補給も欠かせない食文化の様です、タケノコ・魚介・鶏肉等、スープに入れると旨味が増す食材のオンパレード、栄養のバランスも取れる一杯

    一人500台湾ドル×2で1000台湾ドル(約5千円)以上の注文に少し足りないとお店の人に言われて、追加注文したお茶菓子2つ、太陽餅は日本のようなお餅ではなくサクサクのパイ生地のようなお菓子で、台北がパイナップルケーキ、台中はこの太陽餅がお土産の定番だそうです

    とてもシンプルな見た目の太陽餅
    こちらは花まんじゅう、素朴な味でした

    入店までは敷居が高かったのですが、ミシュランビブグルマンの評価は伊達じゃないと感心しました、楽しい中華グルメ体験でとてもオススメなレストランです、出された点心類の中には「当店オリジナルです」と、説明するスタッフさんの雰囲気にこのお店への自信を感じました

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  • 九份の観光と穴場グルメ

    九份夜迷(九份の夜にさまよう)

     台湾二日目は午前中故宮博物館へ行って、一度ホテルに戻ってからJTB経由で依頼した九份夕刻ツアーに参加しました

    曇り空ですが移動中、台北の高層ビル101が見えました

    清代の九份は、台湾北部基隆山にある数十人規模の山あいの小さな寒村でした、土地はやせ農業には不向きで村の人口が少なく、主に山林資源や簡単な交易に頼るしかなく、村の9世帯の生活物資を「九つ分」まとめて買いに行っていたことから、「九份」という名前になったと言われています
    ところが1890年代に金が発見され街の様相は一変します、一説にはふもとの町で鉄道工事に従事していた作業員の一人が、基隆河の流れでお弁当箱を洗っていたら、その中に砂金を発見したとか
    おとぎ話のようなゴールドラッシュの始まりですが、九份は金鉱の町として急成長し、1895年から台湾が日本の統治下に入った後、日本政府や企業が大規模な金鉱開発を実施、近くの金瓜石とともに九份は「東洋一の金山」と呼ばれるほど大繁栄しました
    1896年には石見銀山を経営していた日本の藤田組が、この金山の経営に乗り出しましたが、日本の統治が始まったばかりの金山は治安が悪く、台湾人を採用し町の治安維持にあたらせる事になり、その中に顔雲年という人物がいました
    藤田組が後に経営権を手放した時、顔雲年はそれを引き継ぎ小さな請負業者に歩合制で自由に掘らせた結果、生産量は飛躍的に拡大、最盛期は155本の坑道に6000人が働いていたそうです
    ゴールドラッシュは長く続き、当時九份の町では「夜中には貧乏でも、夜明け前には金持ちになり、朝には立派な家が建つ」と正に一攫千金の夢が語られ、顔家はその後台湾の5大財閥に数えられるほど成長しました
    話はそれますが顔雲年には顔恵民というお孫さんがいて、そのお嬢さんが日本でも有名な歌手の一青窈さんです
    ゴールドラッシュ時には多くの金鉱労働者の為に、町には飲食店、遊興施設、行政施設がこの山間の町にところせましと建てられ、当時の日本式建築や石段の街並みが現在も残っています
    しかし第二次世界大戦後、鉱山は国民政府の管理下となりますが次第に金の産出量が減少、1970年代には閉山になりは一時九份はとてもさびれてしまいました
    ところが1989年公開の台湾映画『悲情城市』 のロケ地となった事で注目を浴び、その後赤い提灯が並ぶレトロな街並みが『千と千尋の神隠し』のモデル地ではないか話題となり、現在は台湾を代表する人気観光地として多くの人が訪れるようになりました
    九份は地形の関係で台北が晴れても九份は雨と言われ、一年の3分の2は雨が降る地域です、出かける時はレインコートと傘は必須、今日も九份に近づくにつれ雨が降り始めました

    台北16:30のピックアップで車を飛ばして約一時間、ちょうど九份に到着する頃夕暮れ時になり、夕日に照らされる海を眺めていると、日の光が消えるのと逆行するように、少しずつ九份の赤やオレンジ色の灯りが輝き始めます

    サンセットと海の見える展望台へ、ほんの少し夕日が拝めました
    まだ明るさ残る中、急な階段を提灯が照らし始めます

    街歩きを開始すると路地に並ぶ数々のお店の間を、本当に多くの人が行きかいます、多分ゴールドラッシュ当時と変わらないくらいの人出ではないかと思うくらい、今の九份は観光コンテンツという、ゴールドに代わる創意工夫の余地がある資源で、人を集め繫栄していました
    またオレンジ色の灯ろうがハロウィンのランタンの様で、ここに来ると通年お祭りを楽しめるような場所、ツァーコンダクターの方に聞くと、最近一番多いのは日本人ではなく韓国の観光客だそうで、確かに韓国語をしゃべる若い人たちが多いように思いました

    千と千尋のモデルと言われる九份ですが、その説を宮崎監督は否定しています、でもその世界観を体験できるという憧れに多く人が引き寄せられ、期せずして映画のアトラクションパークのような提灯の迷路を、みんなが楽しそうに歩いているのを見ると、ここは映画の聖地なのだと思わせられます
    こちらはこの料理を食べて千尋の両親が豚にされてしまったというエピソードを持つバーワン(映画の食べ物は違うらしいです)、サツマイモや片栗粉の皮に、豚肉やタケノコが定番の餡を包み揚げたり蒸したりしたもの、前記の経緯からジブリ飯の異名もあるようです
    台湾の人はもちもち食感の食べ物が大好きだそうで、屋台で売られたり専門店もあるとか

    日本では見かけない食べ物バーワン
    迷路のような細い路地の両側にお店が並んでいます

    ツァーコンダクターさんのお薦めで台湾ティーとお食事は、九份で一番有名な『阿妹茶楼』や『海悦楼茶坊』ではなく、『芋仔蕃薯茶坊』で頂くことに、当日雨だったので見晴らしの良いテラス席に屋根があるのがオススメポイントだとか

    お店に行くまで鉱山体験のようなこのトンネルをくぐります
    トンネルを抜けるとそこは浄土っぽいお店の前
    左に見えるお店が『阿妹茶楼』、見える景色はほぼ同じ
    お茶器は日本とはかなり違います
    お茶菓子三種
    左の器で香りを楽しみ、お茶を飲む時は茶碗へ

    お茶を楽しんでいると、お店のオーナーさんが力を入れているという台湾中華が出てきました、大きな鍋に入っているのは具沢山の海鮮ビーフン、キャベツ・人参・たけのこ・タロイモ(里芋やセレベスに食感が似ています)・干豆腐のスープの中に、丸ごとのエビやイカが入っていました
    写真を撮り忘れましたが、もう一つ『水連菜の炒め物』、水連菜は日本では手に入らない、台湾でも産地が限られている現地の高級野菜で湖に生える水草の一種です、絶妙な炒め方でシャキシャキの歯ごたえがとても美味しかったです

    珍しい中華鍋、帰国して家で早速作ってみました
    テラス席からの夜景、街の灯りが幻想的

    お店のトンネルをくぐるとすぐ有名な『阿妹茶楼』に出るので、映える写真を撮る人でごった返していて、入店も一苦労の様でした、訪れるときは予約をするのが無難です

    九份のシンボル・阿妹茶楼
    オレンジ色の灯ろうが異世界へ誘います

    ずいぶん前に観た『千と千尋の神隠し』ディテールを忘れてしまっていて比較できませんが、不思議な空間に迷い込んだような、でも楽しく美しい世界、世界中から人が集まるのが分かる気がします
    九份をゆっくり観光したいという要望が多いのか、新しくホテルもオープンするらしいです、九份夜迷(私が勝手に付けた標語です)皆様九份の夜を存分にさ迷って下さいね

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  • 台北の老舗商店街とおすすめの名店

    空の旅約3時間、親日の異国へ

    コロナの渡航規制から約5年、待ちに待った我が家の海外旅行解禁はとても親日の国・台湾です
    主人は仕事柄10回以上台湾に行っていましたが、時間がもったいないと観光はせずにひたすら取引先回りや打合せをしていたらしく、観光地『九份』も初めてと、ある意味台湾初心者でとても楽しみにしています

    出発日は青天、富士山と芦ノ湖がお見送りしてくれました

    フライトは約3時間、半分まで来ると鹿児島の桜島上空、後半分で台湾の首都圏人口約700万、日本の大阪位の大都市、台北の街並みが見えてきました
    地図で見た台北は山に囲まれているように見えますが、実は水に囲まれた街、街には淡水河と基隆河という2本の大きな川が流れていて、都市の大部分がこの川に面しています
    昔から文明は大河周辺に興りましたが、台北もこの2本の川を中心に発展し、17世紀にはスペイン人による侵略、後に中国人が移住を始めると水路を使った物資の運搬に利用され、地域に繁栄をもたらしました

    今も河を中心に街が広がっています

    今日の台北は生憎の曇り空、この時期大陸の冷たい風が吹くと、沖縄より南の国ですが意外と寒く、レインコートを羽織って来て大正解でした
    午前のフライトでランチタイムの機内食を頂いていたので、空港からホテルへ直行、お部屋のアップグレードで、着くなりテンションが上がります
    ホテル『JR東日本大飯店台北』とレストラン・ラウンジの詳しい記事はこちら

    夕食まで早速街歩き、地下鉄に乗って台北で最も古い問屋街のひとつ迪化街(ティーホアチエ)へ、茶葉や乾物、布地などを扱う店が所狭しと並ぶノスタルジックな街並みが人気
    最近では歴史的価値の高い商館や町屋をリノベした、スタイリッシュなカフェや雑貨店もオープンし街は活気づいています
    旅行者も多いですが、近隣の商店やまとめ買いの地元の人達が行き交い、また中華圏らしく何処の通りもカラフルにデコレーションされていて買い物をしなくても楽しい

    約100年前日本人が建て薬局だった建物を、雑貨やレトロカフェとして再生させた人気の商業ビル

    人気パワースポットは毎日がバレンタインデー

    街歩きの途中にあるのが道教寺院の『台北霞海城隍廟』、お祀りされているのは中国縁結びの神様『月下老人』、ここにご利益を求めて本当に多くの人が参拝しに来ます

    月下老人のエピソードは唐の時代の伝奇小説の中にある、次のようなお話だそうです

    一人の書生が月明かりの下、布袋を携えた老人に出会います、その老人が言うには、中の赤い縄で夫婦となる者の足を結べば、たとえ仇敵の家、貴賤の差、天涯の隔たりあっても、必ず婚姻が成就すると
    書生は気になって自分の将来の伴侶を聞いたところ、教えられた相手が貧しい少女だったので、その縁を嫌って避けようとしたが、14年後やはり運命の糸に手繰り寄せられ、その時の相手と結婚したというもの

    中国時代劇の結婚式のシーンで、新郎新婦の小指に赤い糸を結んでいるシーンをよく見かけますが、多分このエピソードから式の習慣になったようです
    これから運命の人に巡り合いたい人、結婚してお礼に来た人達でとても賑わっていました

    どの国の人も良縁は悲願のようです

    日本人の息吹を感じる珈琲カフェ

    迪化街は今も昔も多くの問屋でにぎわっていますが、その中で時折お洒落なカフェや雑貨店が点在するのも魅力の1つ
    昔のお店をリノベーションして、最近注目されている台湾コーヒーを楽しめるのが『森高砂珈琲館』、高砂(たかさご)という名前にとても日本的な親近感を覚えたら、1923年皇太子時代の昭和天皇が台湾を訪問した時、台湾原住民に『高砂』という名を提案し、台湾の別名として使われていたそうです、どうりで納得しました

    台湾コーヒーは日本統治時代、日本は工業、台湾は農業を担い、国策として国を繁栄させるという方針のもと、様々な農作物の栽培が奨励され、コーヒー豆もその1つ、日本の技術者が現地で活躍し台湾のコーヒー産業を発展させました
    一時は天皇にも献上された台湾コーヒーもその後衰退し、長らく栽培面積は縮小される一方でしたが、気候条件がコーヒー栽培に適している事もあり、近年その品質の良さが注目されています
    こちらのお店はスタイリッシュな珈琲店というだけではなく、台湾コーヒーを世界に通用する高水準なクオリティに押し上げる為に、農家への支援、技術の向上、地産地消のサプライチェーンを活かしたコーヒー文化の定着を目指し、日々努力を重ねているそうです
    日本の農業支援の芽が約100年の時を超えて、台湾の若者たちにバトンを引き継がれ、大きく花開く様子はとても頼もしく感じました
    能書きが長くなりましたが、このお店の特徴は同じコーヒーをアイスとホット両方で楽しめるメニューが多いという事、むしろこのスタイルがこのお店の主流、オーダーした森高砂ブレンドの味は果実味がありアイスはのどごしがスッキリ、ホットはコクのある珈琲でした

    リノベされたお店は入口あたりが豆の販売、奥がカフェになっています
    お洒落な店内
    試験管のような器にアイスコーヒーが入っていて、手前のガラスの器に入れて頂きます

    メニューがうまく撮れなかったので載せていませんが、森高砂ブレンドの他に南投県や雲林県(台湾コーヒーの産地の名前)等のブランド名コーヒーがあり、それぞれの特徴が日本語で説明されています
    面白いメニューに金木犀やローズのカフェラテ、シナモンりんごウィンナーコーヒ等バラエティーにコーヒーを楽しめるメニューと、軽食、デザートも豊富でした

    高級台湾茶をお手軽にしてくれる店

    こちらのカフェから10分ぐらい歩いた場所に、創業1883年、台北で最も歴史のあるお茶のお店があります、『林茂森茶行』という看板の新しい現代的な雰囲気のお茶屋さんが目的地かと思いきや、このお店に向かって路地を挟んで向かって右に20mぐらい歩くと、主人がいつも台湾茶を買ってくるお茶問屋の『林華泰茶行』がありました
    なぜ名前の似た2つのお店が?と思いますが、後で調べてみると『林華泰茶行』の創業家の次男、林茂森さんが独立して始めたのが新しいお店で、台湾茶に詳しい人のブログで同じお茶でもそれぞれのお店で味が少し違っているとの事でした

    誰でも入りやすい新店
    最初は詳しい人に勧められて来た本店、知らなければ入りづらい店構えです

    問屋ですが小売もしていて、販売しているお茶のリストには日本の業者さん向けなのか観光客向けなのか日本語での案内も書かれています

    日本語で読んでも知らないお茶が結構あります
    お店の人は製茶作業で忙しそう

    店舗の奥には製茶工場がありまさしく直売、高級品に感じる台湾茶ですが、ここに来ると新鮮で良質な茶葉がとてもお得な価格で手に入ります
    コーヒーも好きですがお茶も大好きな我が家で、数年前薦められて購入したこちらの台湾高山茶はティータイムの定番
    店内には銀色の茶筒がいくつも並びお客の注文に従って、実際このドラム缶のような大きさの茶筒を開けて、スコップのような道具で豪快に頼んだ茶葉を入れてくれます

    横綱級の茶筒

    いつも買うお茶は写真の300g、このお茶の特徴を今回の旅行で初めて使ってみたGoogle翻訳が訳してくれたのがこちらです、あまりにもおかしな翻訳は想像で文章を書き換えました

    このお茶は昼夜の寒暖差の大きい高地の原生林で収穫され、広大で霧に覆われて肥沃で汚染されていない豊かな土壌と、適度な降雨量のある優れた自然環境下で、手作業で摘み取った芽と2枚の葉から作られました、淹れたお茶は甘くまろやかな味わいで、繊細で上品な香りが漂い心地よい後味が残ります、その長く続く香りは最高級のお茶である所以です

    実際に買った高山茶、日本の緑茶とも一般的な烏龍茶とも違う味です

    このところ台湾茶に縁があり、先日熱海の専門店で飲茶を頂きましたが、そのお店のオーナーも『林華泰茶行』は素晴らしいと太鼓判を押してくれました、日本茶とはまた違ったお茶文化のある台湾、そのうちお茶器や飲茶の作り方も勉強してみたいと思いました
    熱海の台湾茶専門店の記事はこちらです

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  • 日本のおもてなしを再認識する台北ホテルと中華グルメ

    『ホテルメトロポリタン』といえばJR東日本グループが運営するホテルチェーンブランドのひとつですが、初の海外進出として台北に開業したのが『ホテルメトロポリタンプレミア台北』です
    現地表記はもうそのまま「JR東日本大飯店」、日本で大飯店というと高級中華店を思い起こしますが、台湾ではホテルの名称、日系ホテルの特徴で日本語対応が可能です
    ただ宿泊することでJREポイントが貯まるような、JR系列らしいメリットはありませんが、株主優待を利用すると割引になります
    最寄りはMRT松山新店線(Green Line)と文湖線(Brown Line)が交わる南京復興駅の1番もしくは2番出口を出てすぐ、駅直結ではないですが「エキチカで便利」というJR系共通のコンセプトを台北でも実現しています

    『JR東日本大飯店』という看板で日本人なら迷うことはありません
    最上階まで吹き抜けで、中に入ると開放感のある建物

    もとはウェスティンホテルの建物をリノベーションしたホテルなので、大きな空間でゲストを迎える外資系の雰囲気はその当時のまま
    やはり「JR東日本」の名前を冠した日系ホテルらしく、日本人のお客さんがとても多い印象、スタッフの方は華語、英語以外に話すことができる言語のバッジを胸に着けていて、全員では無いですが「日本語」を示す日の丸のバッジを着けている方も多く、もちろん日本から来ている日本人スタッフもいるので安心です

    スイートルームにアップグレード
    ホテル一押しの台湾菓子・パイナップルケーキ

    和と中が融合した高級レストラン『凱華楼』

    台北街歩きの後のディナーはホテル自慢の中華料理を頂きました、中国はとても広いので北京、上海、広東、四川と日本人に馴染みのある中華料理だけでもこれだけ思い浮かびます
    地域によって食材や味付けが違いますし、台湾の中華もそれなりに個性があり、人によって好き嫌いがあるようです
    こちらのJR東日本大飯店の『凱華楼』はそれぞれの地域の良さを取り入れながら、日本人にも食べやすい中華を工夫しているのだとか

    内装はシックで高級店の風格があります
    前菜は酸味・塩味が優しく食べやすい

    オススメメニューのからすみ入りの大根餅、台湾海峡で水揚げされるボラの卵を使ったからすみは台湾土産の定番、丁寧に何層にも重ねて作られた大根餅の穏やかな味に、からすみのコクが良いアクセントになっています

    いきなりメインな感じですが、ホテルのスタッフがこのホテルの北京ダックは絶品と太鼓判を押してくれていた、見ての通りのダックちゃんです
    台湾で長い時間をかけて育てられ、丁寧にローストされたチェリーダックは、黄金の衣をまとったようなつややかな様子から、『黄袍(皇帝の衣)北京ダック』と名付けられています
    パリッとした皮だけを頂いて身はどうなるのだろうと、いつも不思議に思っていましたが、普通はスープ等の煮込みに入れるのだとか
    とてももったいないような気がしていたのですが、こちらでは全て頂けるとの事、ますます楽しみになってきました

    照りが素晴らしい北京ダック
    定番の甘めのたれと
    辛子や薬味を添えて、歯ごたえがしっかりして美味です

    1羽丸ごとの威力で、流石に2人だと食べ切れ無い感じを察してくれて、残りはお部屋で夜食かおやつ代わりに(北京ダックがおやつなんて一生に一度あるかないかです)と包んで下さいました
    海老の中華炒めは大ぶりの海老団子がパンのような衣にしっかりと包まれサクッと揚げていて、辛めのソースで頂きます

    スープは秋田のいぶりがっことタラのつみれスープ、大根をいぶした秋田の特産がつみれの味の主役になっていて、秋田の郷土の味が広がり懐かしくも新鮮な一品、日本の食材を取り入れる事にも熱心なシェフの和洋ならぬ和中折衷の中華です

    私はお酒が飲めないので、桂花(キンモクセイ)烏龍茶をポットで頂きました、花の香りが豊かでお食事のペアリングにピッタリ、台湾茶は種類も沢山有るので滞在中にいろいろと味わいたいです

    今回はお邪魔しませんでしたが、こちらの日本料理『はや瀬』は、日本人料理長が腕を振るっているので、台湾グルメの合間に本格的な日本料理も楽しみたい人達にとても好評だそうです

    宿泊者のQOLを高めるエグゼクティブラウンジ

    2階にはエグゼクティブフロアやスイートルーム宿泊者専用のラウンジがあるので、ディナーの後はそちらのクラブラウンジでゆっくりしました
    こちらのエグゼクティブラウンジは利用者がいつでも楽しめるよう、時間帯によってプレゼンテーションが変化します

    1日5回のフードプレゼンテーションは以下のスケジュール
    ■受付時間     10:00~22:00
    朝食         6:30 〜 10:00(別途朝食はブッフェ会   場レストラン有り)  
    スナックタイム   10:00 ~ 14:00
    アフタヌーンティー 14:00 ~ 16:00
    ハッピーアワー   17:00 ~ 19:00
    ナイトスナック   19:00 ~ 22:00

    朝10時から夜10時までホテルメイドのパン、ヨーグルト、シリアル、フルーツなどの軽食と、各種お飲みもの、ソフトドリンク、ビールは終日楽しめます
    専用のラウンジなので混みあうことがなく、昼は明るい自然光に包まれ、屋外の緑を感じられる空間で快適、ミーティングルームもあり宿泊者は1日1時間、無料で利用できるのでビジネスにも最適です、ビジネス利用の人は仕事がはかどるとの口コミも
    そして台湾はカフェのドリンクやスイーツが、日本と比べて意外と高いので、ホテルのラウンジで何時でも軽食やドリンクをフリーで頂ける事が、滞在中の生活の質を高めてくれました
    今回は2日目に夜の観光プランを予定に入れていたので、ホテルに戻ってから外に出かけずに、お酒や軽食でゆっくり出来たのもラウンジのおかげ
    そう考えると少し高めのお値段でも、『メトロポリタンプレミア台北』のエグゼクティブラウンジアクセスのついた部屋はむしろお値打ちです!

    他のホテルに比べて席数が多く、空間に余裕が有ります
    ワインの赤・白とシャンパンも
    おつまみも豊富
    食事を軽く済ませたいタイミングが有れば、こちらの軽食で十分

    次の朝は午前中の台湾新幹線で台南に向かうので、オールデイダイニング『ブリリアント』で早めの朝食、6:30から開いているので朝早く旅立つ観光客や多忙なビジネスマンにも有難いです
    真ん中のロの字のキッチンを中心に和洋中のビッフェが並んでいて、席数も多くゆったり回れます

    三月でもスイカが有ります、さすが亜熱帯の国

    ホテルメトロポリタンを運営するJR東日本ホテルズは、伝統的に創業当時からミシュラン星付きで腕を磨いていたシェフをスカウトし、ホテルの滞在だけでなく美食も楽しんでもらいたいという企業文化があります
    『ホテルメトロポリタン エドモント』に、一度は閉店になった高級フレンチレストラン『フォーグレイン』を2026年1月に復活させ、次世代の若手シェフの学びの場として再オープンしました
    その時の記事はこちらです、是非立ち寄ってみてください

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  • 台湾の古都 台南の史跡をめぐる

    台南周辺には、西拉雅族などの台湾原住民が暮らしていましたが、1624年、オランダが現在の台南市内の安平にゼーランディア城(熱蘭遮城)を築き、台湾南部の拠点としました。台南はこの頃から国際貿易の港として発展します。1662年、明朝の遺臣で長崎平戸生まれの鄭成功がオランダを追放し、台湾を反清復明の拠点とし、台南が政治の中心となりました。近松門左衛門の「国姓爺合戦」は、これを題材にしたものです。

    「民族英雄」鄭成功の銅像

    その後、清により台湾府が設置されました。天津条約に基づいて1865年に安平が開港すると、英米独などの商社が進出し、商業都市として発展しました。
    日清戦争後の日本統治時代、次第に政治経済の中心は台北へ移りましたが、台南は戦後から現在に至るまで古都、台湾最古の都市として文化的存在感を保ちました。現在は歴史都市・グルメの街として人気があります。

    高鉄(新幹線)台南駅

    安平古堡(ゼーランディア城)
    17世紀にオランダ東インド会社が築いた要塞跡で、台湾最古の西洋式城跡。鄭成功の攻撃でオランダ勢力はここから退去しました。清代には荒れ果てましたが、日本統治時代に再建されました。

    安平樹屋
    1865年の安平開港によってイギリスの「徳記洋行」など外国商社が安平に進出しました。安平樹屋は、もともと「徳記洋行」の倉庫だったものが、日本統治時代に「大日本塩業」の倉庫になりました。現在は、建物や庭、水車などが保存されており、ガジュマルが繁っています。

    私たちは安平を歩いて喉が乾いたので、ここの敷地内にあるカフェに立ち寄り、美味しいジュースを飲んでリフレッシュしました。

    サトウキビのレモンジュースは甘さと酸味が絶妙のバランス
    果物の宝庫が生み出すパッションフルーツのグリーンティー

    赤崁樓
    プロヴィンティア城と呼ばれたこの城は1653年にオランダ人が築き、行政・商業の中心となりました。清朝時代に地震もあって倒壊しましたが、文昌閣と海神廟は、光緒帝の時代に再建されました。日本統治時代は陸軍衛戊医院とされ、その後も修築が重ねられました。

    台南孔子廟
    1665年建立、台湾最古の孔子廟(孔子を祀る学問・文化の寺院)。かつては教育・行政の中心として機能し、台湾の儒教文化の重要拠点でした。

    国立台湾文学館 (旧台南州庁)
    日本統治期の行政庁舎として建てられた建物で、現在は文学の博物館として使われています。東京駅丸の内駅舎などを設計した辰野金吾の弟子である森山松之助が、この建物を含め、台南の重要な近代建築を設計・監修しました。赤レンガに白い花崗岩の帯状模様を入れる設計は辰野式と呼ばれています。

    林百貨店
    1932年に山口県出身の林芳一により台南の銀座と呼ばれた場所に創立された百貨店。当時としては珍しいエレベーター付きの5階建てビルで、戦争で損傷した後、工場や事務所にも使われましたが、復元されて2013年に完成し、土産物や雑貨などのお洒落な店舗が並んでいます。屋上には神社があります。

    エレベーターは5人乗り、5階まで行って階段で屋上へ、それから1階ずつ階段でおります
    どの階もインスタ映えしそうな小物やスイーツで、観光客も地元の人もショッピングを楽しんでいます

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  • 台北の歴史と文化を楽しむスポットめぐり

    1895年、日清戦争の結果、下関条約により台湾は清から日本へ割譲され、台北に総督府が設置されて、台北は日本の台湾統治の中心都市となりました。そして道路・鉄道・上下水道など都市インフラが整備されて近代的な都市計画が進み、西洋風建築や公園が整えられました。教育・医療制度も整備され、台湾で日本語教育が実施されました。
    1945年、日本の敗戦により台湾は中華民国に「光復」されました。1949年、中国大陸での国共内戦に敗れた蔣介石率いる中華民国政府が台湾へ移転し、台北は中華民国の首都となりました。
    戒厳令下での政治的弾圧が行われる一方で、1960年代以降は「台湾経済の奇跡」と呼ばれる高度経済成長により、台北は政治・経済の中心都市として急速に拡大しました。
    1987年に戒厳令が解除されてからは、台湾で本格的な民主化が進みました。2004年には超高層ビル「台北101」が完成して台北の象徴になり、その後もIT産業の発展により、台北はハイテクの中心都市として国際的地位を高めています。

    台北駅は清朝時代の1891年に開業し、日本統治下での鉄道の発展を経て、現在の4代目駅舎は1989年に完成した

    中正紀念堂
    私たちが台北到着後、初めに訪れた中正紀念堂は、蔣介石総統を記念する、白い建物と青い屋根の大きなモニュメントで、台北市中心部にあるランドマークです。敷地は公園になっていて、建物内部には蔣介石総統の大きな像があり、その人生や台湾の近代史を伝える展示もあります。また、定期的に衛兵交代式が見られます。

    中正紀念堂の自由廣場門
    中正紀念堂は台北市中心部のモニュメント

    国立故宮博物院
    約70万点の所蔵品を有する、中国美術コレクションを誇る世界有数の博物館で、台湾での正式開館は1965年です。主に中国歴代王朝(宋・元・明・清など)の宮廷コレクションで、もともとは北京の紫禁城にあった清朝の皇帝コレクションでしたが、1940年代、蔣介石率いる中華民国政府が国共内戦で台湾へ移る際、重要な文物を台湾に運びました。

    「翠玉白菜」や「肉形石」は特に人気がありますが、他にも精巧な細工の美しい工芸品が数多く展示されています。

    龍山寺
    台湾で最も有名な300年近い歴史を持つ寺院です。色鮮やかな屋根飾りや彫刻など、南方中国風の伝統建築が、何度も地震や火災、戦争の被害を受けながら、その都度修復されてきました。仏教を中心に、道教や民間信仰の神々も祀る寺院で、観音菩薩・媽祖・月下老人などにお参りでき、願いごとを込めてお線香をあげたり、月下老人に縁結びを祈ったりとさまざまです。私たちが訪れた朝は、多くの人が歌うように祈っていました。

    龍山寺に近い剝皮寮では、レンガ作りを中心とした歴史的建造物による街並みの保存再生が進んでいます。

    孔子廟
    孔子を祀る廟です。台北の孔子廟は、清朝時代の1879年に建てられましたが、日本統治時代に旧孔子廟が取り壊されて再建され、1930年代に現在の孔子廟が完成しました。福建様式の伝統建築を採用した孔子廟で、門から中庭を経て最奥に大成殿がある軸線構成で、左右対称の配置です。大成殿は、孔子を祀る聖殿で、孔子の位牌や像、儒学者の牌位が安置されています。崇聖祠は孔子の祖先を祀る建物、明倫堂は儒学教育・講義・文化活動の場所です。

    大稻埕慈聖宮
    迪化街の近くにある歴史ある道教の寺院です。19世紀中頃に創建されたとされ、航海や商売の守護神「媽祖(まそ)」などが祀られています。周辺には屋台が立ち並び、台北に住む人々のグルメスポットになっています。

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  • 東日本大震災の伝承施設を訪ねる

    2011年3月に発生した東日本大震災の死者・行方不明者は計22,000人を超えますが、死者の9割以上が津波によるものです。

    なぜこれほど多くの人が命を落としてしまったのか、それを伝える施設が被災した各県にあり、震災の記憶を風化させないため、訪れた人に是非知ってもらいたいことを説明する語り部など、関係者が熱心な活動を続けています。すぐに逃げれば助かったはずなのに逃げなかった、逃げられなかったという悲痛な思いを、私たちはどう受け止めればよいのでしょうか?
    もちろん震災前、津波に関する記録や言い伝えがあり、沿岸部に住んでいる人の知識もありました。しかし実際にそれまでに大津波を経験してきたわけではありません。自分のところまで津波が来ないとの思い込みや津波についての誤解がたくさんあって、大きな災いを産んでしまったとも言えます。大きな津波が来るという情報が伝わらなかった事例もたくさんあります。地震直後に家族を探しに行って津波に遭ってしまった人も多くいます。津波による死は、自然災害であると同時に、判断と行動の問題でもあったということです。伝承施設で事実を知ることにより、後から考えれば合理的でない判断だとされる行動が極めて多くの命を奪ったことについて、深く考えるきっかけになります。
    ここでは、宮城県にある震災伝承施設を紹介します。

    南三陸311メモリアル〈道の駅さんさん南三陸 内〉
    宮城県本吉郡南三陸町志津川字五日町200番地1
    「防災減災について、自分ごととして考え続けるきっかけを提供する施設」がコンセプトで、町民たちの言葉や語りなどを震災伝承の柱にしながら、事実を知るだけではなく、「もし自分がそこにいたら、どう考え行動するか」を1分間の対話タイムで考えるラーニングプログラムなどを提供しています。また、行政の情報伝達の課題、防災無線の限界についても考えさせられます。

    南三陸311メモリアル
    館内の展示

    私は、メモリアル施設見学の後、南三陸さんさん商店街のフードコートで、新鮮な魚介の詰まった海鮮丼を頬張りました。

    南三陸さんさん商店街
    南三陸さんさん商店街の店舗
    フードコートにはこたつ席も
    海鮮丼と蟹だしの味噌汁

    石巻南浜津波復興祈念公園
    みやぎ東日本大震災津波伝承館
    宮城県石巻市南浜町2丁目1−56
    石巻市は約4,000人が亡くなった最大の被災市町村で、その中でも南浜地区は津波と火災に襲われ、500人以上が亡くなりました。この地区の集落の跡を整備した石巻南浜津波復興祈念公園は、亡くなられた方々を追悼し、記憶と教訓を伝承し、復興への強い意志を国内外に示す目的で作られました。

    石巻南浜津波復興祈念公園。震災前の街並みの写真も表示されている

    この公園の中に、みやぎ東日本大震災津波伝承館があります。この施設は、震災の記憶と教訓を永く後世に伝え継ぐとともに、宮城県内の震災伝承施設などへ誘うゲートウェイの役割を果たしています。リアルな津波の映像や被災者の証言等によって「逃げるしかない」ことを訴える映像や、震災伝承施設、語り部活動を行う団体、地域の取組みの紹介などにより、わかりやすく学ぶことができます。

    石巻市震災遺構門脇小学校
    宮城県石巻市門脇町4-3-15
    地震が起きた後、学校にいた児童や教職員たちは裏手にある日和山(ひよりやま)に避難しましたが、地震から約1時間後に巨大津波が襲来し、火災が起こりました。体育館や展示館では、津波で破壊された車両、再現された応急仮設住宅、震災の写真や映像、被災者の言葉や記憶表現(詩・絵)などが展示されていて、津波とそれがもたらす火災について知ることができます。

    日和山公園に逃げた人は無事だった

    東日本大震災慰霊碑(日和幼稚園被災園児慰霊碑)
    宮城県石巻市門脇町5-13-15
    日和幼稚園は山の中腹にあり、津波が来る場所ではありませんでした。地震発生時、園内にいた園児たちは全員無事でした。 しかし、揺れが収まった10~15分後、大津波警報が発信されているにもかかわらず、バスは園児を乗せ出発し、園児を保護者に引き渡そうと海沿いの街を走っていて津波に遭い、園児5人が犠牲になりました。

    宮城県石巻市震災遺構大川小学校
    宮城県石巻市釜谷字韮島94番地
    河口から約3.7㎞内陸に位置する大川小には、津波は到達しないと思われていました。地震発生後、児童たちは校庭に避難しましたが、避難先についての判断が定まらないまま時間が経過し、津波は川を遡上し、校舎の屋根(8.6m)までの高さとなって襲いました。児童74名、教職員10名が犠牲となりました。周囲には低い山もありましたが、そこへ直ちに避難する判断がなされなかったことが、後に大きな議論となりました。

    東松島市東日本大震災復興祈念公園
    東松島市震災復興伝承館
    宮城県東松島市野蒜字北余景56-36(旧JR野蒜駅)
    仙石線野蒜(のびる)駅で上りと下りの列車がほぼ同時に発車してすぐ、激しい地震が襲ってきました。非常停車した上り列車の乗務員は、直ちに梯子で乗客を降ろし、指定避難場所である野蒜小学校へ誘導しました。人のいなくなった駅舎も上り列車も、その後に襲った津波に飲み込まれ、大きく破壊されました。一方、下り列車の停車した場所は野蒜小学校まで距離があるため、そこまで歩いて行くのが危険であり、列車が止まったのがやや高い位置だったので、列車内に留まると判断しました。周囲は津波で水浸しになりましたが、幸いにも列車まで水が到達することはありませんでした。全員が列車内で一夜を過ごし、翌日、避難所に退避しました。
    震災後、野蒜駅を含めて仙石線の線路は高台に付け替えられ、旧駅舎が保存されて東松島市震災復興伝承館となり、また付近は東松島市東日本大震災復興祈念公園として整備されました。

    震災遺構仙台市立荒浜小学校
    宮城県仙台市若林区荒浜字新堀端32-1
    地域の指定避難場所だった小学校ですが、海岸から約700m離れた同校には、2階まで津波が押し寄せました。しかし、避難した児童や教職員、地域住民など320人全員が助かりました。校舎をそのまま遺構として保存・公開しています。どのような判断と行動が命を守ったのか、時系列で学ぶことができます。

    かつての荒浜を模型で展示

    名取市震災メモリアル公園
    津波復興祈念資料館 閖上の記憶

    宮城県名取市閖上東3-5-1
    かつて5,000人以上が暮らしていた閖上(ゆりあげ)地区は、津波で壊滅的被害を受けました。閖上中学校の14人の生徒を含む800人近くが津波の犠牲となりました。現在この場所は名取市震災メモリアル公園として整備されており、また日曜日には朝市が行われています。

    かつての閖上の航空写真
    閖上から望む蔵王連峰

    館内では、旧閖上中学校で実際に生徒たちが使っていたロッカーや、亡き生徒の遺品、痕跡から津波の高さが確認できるドアなど、震災の記憶をたどる展示物や映像資料を、館内常駐スタッフの案内で見ることができます。海と名取川河口に近い閖上地区に、どのように津波が押し寄せたのか、発災当日の時系列を、写真・映像・体験証言を通して具体的に知ることができます。館内の語り部ガイドのほか、出張語り部、オンライン語り部にも取り組んでいます。

    閖上では地震から津波到達まで約1時間あったにもかかわらず、なぜこれだけ多くの死者が出てしまったのか、名取市の東日本大震災第三者検証委員会が調査して報告書をまとめました。
    閖上を含む仙台平野では、三陸沿岸のような大津波の経験が少なく、住民の間に、津波はこの地域までは来ないという認識が広がっていました。地震直後に避難した人は2割程度で、多くの人は家族の安否確認、近所との情報交換、家の片付け、避難準備などをしており、避難の開始が遅れました。また、津波警報や避難情報が十分伝わりませんでした。地震で停電してテレビは見られず、防災行政無線が故障していたこともあって、市の避難呼びかけを聞いた人は2割程度でした。避難手段の約6割が自動車で、道路渋滞が避難の遅れにつながりました。また、避難場所の閖上公民館についての認識が「津波避難」ではなく「災害時の避難所」だったため、公民館のグラウンドで様子を見て建物の2階に上がらないという人も多くいました。さらに閖上中学校などへ移動する人は、移動中に津波に遭いました。多くの住民は、実際に津波、黒い水の壁を見て初めて危険を感じたと証言しています。

    山元町防災拠点・山下地域交流センター
    宮城県亘理郡山元町つばめの杜1-8
    防災情報コーナーではさまざまな媒体を通し、津波災害の伝承や防災教育への活用、防災意識を高めることを目指し、パネル展示などが行われています。また、震災関連書籍を多数所蔵しています。この施設は、内陸に付け替えられた常磐線の山下駅の隣にあります。

    現在の山下駅
    山下駅ホームから旧駅舎方面を望む

    伝承施設は各地に整備されていて、実際に災害を体験した方々の努力で、津波などへの被災の状況についてわかりやすく学ぶことができます。犠牲になった方々に祈りを捧げつつ、命を守る行動について考えるために、是非お出かけください。

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  • 熱海の海を見晴らす中国茶専門レストラン

    熱海の中心街を右手に見ながら、急峻な登り坂をしばらく上がっていくと、唐突に赤地に白文字の『営業中』というのぼり旗が目に飛び込んで来ます、一瞬こんな所に何のお店が・・・と思いますが、熱海には珍しい中国茶と飲茶の専門店『吉茶 松濤館』です
     一度訪れたらすっかりファンになってしまって、今回もランチにお邪魔しました(本当に友人の別荘に訪れたような空間なのです!)

    どこのお部屋からも素晴らしいオーシャンビュー

     約10年位仕事で台湾に行くことが多かった主人が、現地の老舗台湾専門店を勧められて、我が家でも台湾茶を飲む事が習慣になっていたのですが、こちらのお店はどれを選んでよいのか分からないほど、バラエティに富んだお茶のラインナップ
     オーナーに聞いてみるとお食事と一緒なら烏龍茶等の濃いめ、お茶だけなら清香と表示されているスッキリした軽めのお茶がオススメとのアドバイス
    お食事に合わせて『凍頂烏龍十五年老茶』、デザート替わりに食後にお願いしたお茶菓子とペアリングした『玉山高山烏龍茶』をオーダー

    台湾のデザートも充実

    台湾の玉山は標高3,952m、標高3,776mの富士山より高く、第二次大戦前まで日本統治の時代には「新しい日本の最高峰」として、明治天皇より「新高山」と名付けられたという歴史があります
    大きな寒暖差とミネラル豊富な伏流水の恵みで、肉厚でフルーティーな香りと長い余韻が楽しめる貴重な茶葉だとか

    食事が出るまで先ずは口当たりの良い『玉山高山烏龍茶』を楽しみました、急須も茶器も日本の標準の物の3分の1位の大きさ、熱湯を注いで少し待って、ピッチャーに移しそれぞれの小さな茶碗に注ぎます
    より香りを楽しむ為、オーナーがもう一つ背の高い茶器を出してくれました、まずはこちらでゆっくりお茶の香りだけを楽しみ、小さめのお猪口のような茶器に移し替えて、もう一度お茶がなくなった右の器の香りだけ楽しみます、日本の茶道の嗜みは無いのですが、中国茶にも様々なお茶を楽しむ作法が有るのは面白い発見でした

    どこかミニチュア感のある中国茶器

    お茶を味わっていると飲茶が届きます、まさしくお茶と頂く軽食中華なのでその名の通り飲茶なのですね、このタイミングで食事とのペアリング『凍頂烏龍十五年老茶』を頂きます
    凍頂烏龍茶は凍頂山という場所で収穫されるウーロン茶のブランド、その中でも良質なウーロン茶だけを長期熟成した茶葉が老茶と呼ばれ、定期的に乾燥させカビの増殖を防ぐなどとても手間がかかるために、中には親から子へと受け継がれる30年物もあるそうです
    凍頂烏龍茶は口当たりがよく飲みやすいので、ダイエット目的で水分補給代わりに飲む人がいますが、食事と一緒に摂らないと健康を損ないますと、オーナーから専門店ならではのご注意がありました

    飲茶はすべてオーナーの奥様の手作り、小籠包は包を割ると肉汁が溢れるジューシーな一皿、大きめに切られた素材の歯ごたえが味わえる焼売は手作りならでは美味しさ、スペアリブの豆豉(トウチ)蒸しは初めて食べました、豆豉とは大豆や黒豆を発酵させた調味料で、深い旨味と特徴的な香りが魅力、どのお料理もしっかりと香ばしい濃いめの烏龍茶にとても合いました

    湯気で焦点が合わない小籠包
    貝柱と海老の焼売
    スペアリブの豆豉蒸し 中華パン付き

    最後のお茶菓子で『玉山高山烏龍茶』に戻ります、小さな茶器で飲むのは煎を重ねるごとに、濃さ・香り・味が変化して行く事を楽しむためだそうです

    右上から時計回りで、梅寒天→チョコレート→月餅→きな粉餅

    オーナーは昔仕事で台湾を訪れて、同じ銘柄のお茶でもお店によって味が違う台湾茶の奥深さに魅了され、ご自身のご両親が建てたこちらの家でお店を始めたという事でした
    何度も来ないと全てのお茶を味わえないので、次は違うお茶を楽しみたいとまた1つ熱海に来る目的が出来ました

    熱海の海と台湾グルメを楽しみましたが、やはりコーヒー党の私達は最後のシメに美味しいコーヒーは欠かせません
    熱海の街中に最近オープンしたこちらは熱海で珍しいアフタヌーンティーも頂ける『熱海カフェ』、流石にもうお食事は入らないのでシンプルにコーヒーだけ注文
    こちらのコーヒーは東京から熱海に移住してきたご夫婦が、珈琲好きが高じて焙煎所を開いた『カモメ珈琲豆店』(こちらのお店は豆の販売とテイクアウトのみ)のコーヒーが頂けます

    時代の波の中で街は変容しながら、訪れる人々を温泉・グルメ・文化で癒してくれる、何度来てもまた訪れたくなる湯の街でした

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  • 熱海起雲閣の優雅なカフェとおすすめイタリアン

    神話の時代から令和まで、人を温める街・熱海

    毎年東京が寒さと乾燥に悩む頃、新幹線なら1時間弱で暖かさと湯けむりに癒される街・熱海、今年もその街の美食と温泉を楽しむために旅程を組みました
    熱海の歴史は古く、噴出するお湯を桶に入れて身を浸すと、諸病がことごとく治ったという神話時代の記述から、奈良時代に箱根神社を建立した万巻上人(まんがんしょうにん)が、海中から熱湯が噴き出たことで不漁が続き、大きな被害を受けている漁民を憐れみ、源泉を山里へ移したという伝説等が有ります
    戦国時代は大名の湯治場として特に徳川家康に愛され、江戸時代は多くの文化人の紀行文に登場し、明治時代になると政財界の重鎮、著名な文人墨客が熱海に別荘を建て賑わいます
    昭和39年、東海道新幹線が開通し熱海が停車駅になると、東京や大阪の大都市からのアクセスが飛躍的に向上し、1980年代後半バブル経済期、企業の保養所や大型リゾート施設の建設が相次ぎ、観光地として繁栄を極めましたが、バブル崩壊後の1990年代には観光客が減少し街は経済的な打撃を受けました
    しかし2000年代に入ると歴史的な建造物の保存や温泉街の景観整備、イベントの開催などを通じて観光地として再生を目指し、新たな観光資源の開発と魅力向上に努めた結果、近年観光地として再び脚光を浴びるようになってきています

    土日は沢山の人で賑わう熱海駅ビル・ラスカ

     熱海市街の中心地にある『起雲閣』は、明治大正時代を通して経済界と文化の時代の寵児を観続けた歴史的建造物で、大正8年当時『海運王』と言われた内田信也の別荘として建てられ、大正14年鉄道で財を成した根津嘉一郎が譲り受け、庭園や洋館を拡張整備しました
     昭和22年、桜井兵五郎が購入し旅館として開業、多くの文豪に愛され、平成12年熱海市が買い取り観光文化施設として一般公開されています

    旅館だった頃の雰囲気が偲ばれます
    起雲閣を愛した文豪達
    暖炉を備えた洋館
    和洋の文様が素敵です

     こちらのもう一つのオススメはティールー厶、建物の一部を改装しているので、大正モダンの空間を楽しみながら飲み物や熱海の名菓等が頂けます
     文豪達が散策したであろう庭園を眺めながら、日本の名作を手に取ってみたくなるような時間でした

    大きなステンドグラスの照明がおしゃれな店内
    根津嘉一郎が特に注力した庭園

    熱海の大地と海を頂くイタリアン

     熱海のなぎさ公園の端のあまり目立たない場所にあるイタリア料理の店『テール・エ・メール』、こちらも10年前から熱海に来れば必ず立ち寄るオススメのイタリアンです
     シェフは目白の老舗フレンチで修行を積んで、20代後半にはかつて熱海で名旅館と謳われた『蓬莱』の別館『ヴィラ・デル・ソル』のフレンチシェフとして腕を振るっていた経歴の方です
     熱海の自然と食材の豊かさに魅せられ、出来るだけ自宅近くの菜園で採れた野菜と地魚やジビエを使って仕上げるイタリアンは、この地域の恵みが一皿一皿に活かされています

    看板などが無いのでビーチ沿いのお店は sun port というビルが目印
    シンプルで居心地の良い店内
    ヴィラ・デル・ソルにあったステンドグラスのライト、開店のお祝いに頂いたそうです

     ディナーコースは3種類、Aコースはお魚メイン、Bコースはお魚お肉のフルコース、Sコースは季節のスペシャルコース、予約時にコースを選びます、私たちはAコースを選択

    アミューズは左から長期熟成の生ハム・パルミジャーノ・ペコリーノチーズのスライス・赤軸大根と赤キャベツのピクルス、イタリアンのオーソドックスな素材と調理法ですが、すべて良い塩梅(あんばい、昔の調味料は塩と梅の酸味が主な味付けだったので、そのバランスが絶妙という賛辞です)

    大根と自家製からすみをシンプルに頂きます、からすみが手作りなのでマイルドな塩味とサクッと食感の大根がマッチしています

    自家製カンパーニュも秀逸

    イタリアンにはあまり使わない野菜のオンパレード(大根・白菜・春菊・小松菜等)と地魚のスズキとヒラメのシンプルなサラダ、いつもその美味しさに感心して、一度ドレッシングの作り方を聞いて家で再現しようと試みましたが、やはり足元にも及ばない味だったので、こちらで頂くのを毎回楽しみにしています

    カブのポタージュはさらりとした食感ですが、少し泡立ててクリーミーさを+、緑の水玉はカブの葉っぱのオイルを散らしたもので、一緒に食べると風味が増します

    パスタは手打ちの細麺にシラスとブロッコリーと源助大根(加賀野菜の一つで水分が多く柔らかい)を煮込んだもの、シェフに聞くとこの大根は煮込むと美味しいのでパスタソースに加えたそうです、確かにシラスの味が大根に染みわたっていて、和洋折衷イタリアンの面目躍如の一皿

    メインディッシュのお魚は冬に珍しい鱧の素揚げにチーズ、お野菜は太葱のフリット、脂がのった鱧はそのままでも美味しい、付け合わせの葱はじっくり揚げて甘みが増し、衣の香ばしさと一緒に頂くと冬の恵みの有難さを噛みしめながら、今回もとても満足なディナータイムを過ごさせて頂きました

    デザートはサツマイモのプリン、穏やかな甘さです
    小菓子三種

    熱海の3日目の朝、ホテルのブログでオススメされていた魚市場へ競りの見学に行きました、豊洲のような大きな市場ではないので和気あいあいとした競りを見ながら、「スーパーの切り身や刺身しか見たことがない子供たちが、実物の魚に触れて興味を持つと、いつもは食べない魚も食べるようになってくれるんです」との事
    食育やフードロスに一役買っている取り組みの様で、静岡県出身力士として96年ぶりに三役になった熱海富士関の話題を出すと、案内役の方が関取のお母様と学校の同級生だそうで、先日もイベントに来てくれたと、地元思いの優しいエピソードを聞くことが出来ました
    関取は昔から体格が良かったそうで、海の幸・山の幸に恵まれた熱海の食育の良きお手本なのかも知れません、ちなみに好物は魚だそうです

    キンメダイの整列
    大漁旗の下に「熱海富士」
    二日前テール・エ・メールで頂いた、思っていたより大きい冬の鱧
    最後に振舞われる鮮度抜群のあら汁と鯵の刺身

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