ワンダーな未知との出会いの旅ガイド

  • 台北の老舗商店街とおすすめの名店

    空の旅約3時間、親日の異国へ

    コロナの渡航規制から約5年、待ちに待った我が家の海外旅行解禁はとても親日の国・台湾です
    主人は仕事柄10回以上台湾に行っていましたが、時間がもったいないと観光はせずにひたすら取引先回りや打合せをしていたらしく、観光地『九份』も初めてと、ある意味台湾初心者でとても楽しみにしています

    出発日は青天、富士山と芦ノ湖がお見送りしてくれました

    フライトは約3時間、半分まで来ると鹿児島の桜島上空、後半分で台湾の首都圏人口約700万、日本の大阪位の大都市、台北の街並みが見えてきました
    地図で見た台北は山に囲まれているように見えますが、実は水に囲まれた街、街には淡水河と基隆河という2本の大きな川が流れていて、都市の大部分がこの川に面しています
    昔から文明は大河周辺に興りましたが、台北もこの2本の川を中心に発展し、17世紀にはスペイン人による侵略、後に中国人が移住を始めると水路を使った物資の運搬に利用され、地域に繁栄をもたらしました

    今も河を中心に街が広がっています

    今日の台北は生憎の曇り空、この時期大陸の冷たい風が吹くと、沖縄より南の国ですが意外と寒く、レインコートを羽織って来て大正解でした
    午前のフライトでランチタイムの機内食を頂いていたので、空港からホテルへ直行、お部屋のアップグレードで、着くなりテンションが上がります
    ホテル『JR東日本大飯店台北』とレストラン・ラウンジの詳しい記事はこちら

    夕食まで早速街歩き、地下鉄に乗って台北で最も古い問屋街のひとつ迪化街(ティーホアチエ)へ、茶葉や乾物、布地などを扱う店が所狭しと並ぶスタルジックな街並みが人気
    最近では歴史的価値の高い商館や町屋をリノベした、スタイリッシュなカフェや雑貨店もオープンし街は活気づいています
    旅行者も多いですが、近隣の商店やまとめ買いの地元の人達が行き交い、また中華圏らしく何処の通りもカラフルにデコレーションされていて買い物をしなくても楽しい

    約100年前日本人が建て薬局だった建物を、雑貨やレトロカフェとして再生させた人気の商業ビル

    人気パワースポットは毎日がバレンタインデー

    街歩きの途中にあるのが道教寺院の『台北霞海城隍廟』、お祀りされているのは中国縁結びの神様『月下老人』、ここにご利益を求めて本当に多くの人が参拝しに来ます

    月下老人のエピソードは唐の時代の伝奇小説の中にある、次のようなお話だそうです

    一人の書生が月明かりの下、布袋を携えた老人に出会います、その老人が言うには、中の赤い縄で夫婦となる者の足を結べば、たとえ仇敵の家、貴賤の差、天涯の隔たりあっても、必ず婚姻が成就すると
    書生は気になって自分の将来の伴侶を聞いたところ、教えられた相手が貧しい少女だったので、その縁を嫌って避けようとしたが、14年後やはり運命の糸に手繰り寄せられ、その時の相手と結婚したというもの

    中国時代劇の結婚式のシーンで、新郎新婦の小指に赤い糸を結んでいるシーンをよく見かけますが、多分このエピソードから式の習慣になったようです
    これから運命の人に巡り合いたい人、結婚してお礼に来た人達でとても賑わっていました

    どの国の人も良縁は悲願のようです

    日本人の息吹を感じる珈琲カフェ

    迪化街は今も昔も多くの問屋でにぎわっていますが、その中で時折お洒落なカフェや雑貨店が点在するのも魅力の1つ
    昔のお店をリノベーションして、最近注目されている台湾コーヒーを楽しめるのが『森高砂珈琲館』、高砂(たかさご)という名前にとても日本的な親近感を覚えたら、1923年皇太子時代の昭和天皇が台湾を訪問した時、台湾原住民に『高砂』という名を提案し、台湾の別名として使われていたそうです、どうりで納得しました

    台湾コーヒーは日本統治時代、日本は工業、台湾は農業を担い、国策として国を繁栄させるという方針のもと、様々な農作物の栽培が奨励され、コーヒー豆もその1つ、日本の技術者が現地で活躍し台湾のコーヒー産業を発展させました
    一時は天皇にも献上された台湾コーヒーもその後衰退し、長らく栽培面積は縮小される一方でしたが、気候条件がコーヒー栽培に適している事もあり、近年その品質の良さが注目されています
    こちらのお店はスタイリッシュな珈琲店というだけではなく、台湾コーヒーを世界に通用する高水準なクオリティに押し上げる為に、農家への支援、技術の向上、地産地消のサプライチェーンを活かしたコーヒー文化の定着を目指し、日々努力を重ねているそうです
    日本の農業支援の芽が約100年の時を超えて、台湾の若者たちにバトンを引き継がれ、大きく花開く様子はとても頼もしく感じました
    能書きが長くなりましたが、このお店の特徴は同じコーヒーをアイスとホット両方で楽しめるメニューが多いという事、むしろこのスタイルがこのお店の主流、オーダーした森高砂ブレンドの味は果実味がありアイスはのどごしがスッキリ、ホットはコクのある珈琲でした

    リノベされたお店は入口あたりが豆の販売、奥がカフェになっています
    お洒落な店内
    試験管のような器にアイスコーヒーが入っていて、手前のガラスの器に入れて頂きます

    メニューがうまく撮れなかったので載せていませんが、森高砂ブレンドの他に南投県や雲林県(台湾コーヒーの産地の名前)等のブランド名コーヒーがあり、それぞれの特徴が日本語で説明されています
    面白いメニューに金木犀やローズのカフェラテ、シナモンりんごウィンナーコーヒ等バラエティーにコーヒーを楽しめるメニューと、軽食、デザートも豊富でした

    高級台湾茶をお手軽にしてくれる店

    こちらのカフェから10分ぐらい歩いた場所に、創業1883年、台北で最も歴史のあるお茶のお店があります、『林茂森茶行』という看板の新しい現代的な雰囲気のお茶屋さんが目的地かと思いきや、このお店に向かって路地を挟んで向かって右に20mぐらい歩くと、主人がいつも台湾茶を買ってくるお茶問屋の『林華泰茶行』がありました
    なぜ名前の似た2つのお店が?と思いますが、後で調べてみると『林華泰茶行』の創業家の次男、林茂森さんが独立して始めたのが新しいお店で、台湾茶に詳しい人のブログで同じお茶でもそれぞれのお店で味が少し違っているとの事でした

    誰でも入りやすい新店
    最初は詳しい人に勧められて来た本店、知らなければ入りづらい店構えです

    問屋ですが小売もしていて、販売しているお茶のリストには日本の業者さん向けなのか観光客向けなのか日本語での案内も書かれています

    日本語で読んでも知らないお茶が結構あります
    お店の人は製茶作業で忙しそう

    店舗の奥には製茶工場がありまさしく直売、高級品に感じる台湾茶ですが、ここに来ると新鮮で良質な茶葉がとてもお得な価格で手に入ります
    コーヒーも好きですがお茶も大好きな我が家で、数年前薦められて購入したこちらの台湾高山茶はティータイムの定番
    店内には銀色の茶筒がいくつも並びお客の注文に従って、実際このドラム缶のような大きさの茶筒を開けて、スコップのような道具で豪快に頼んだ茶葉を入れてくれます

    横綱級の茶筒

    いつも買うお茶は写真の300g、このお茶の特徴を今回の旅行で初めて使ってみたGoogle翻訳が訳してくれたのがこちらです、あまりにもおかしな翻訳は想像で文章を書き換えました

    このお茶は昼夜の寒暖差の大きい高地の原生林で収穫され、広大で霧に覆われて肥沃で汚染されていない豊かな土壌と、適度な降雨量のある優れた自然環境下で、手作業で摘み取った芽と2枚の葉から作られました、淹れたお茶は甘くまろやかな味わいで、繊細で上品な香りが漂い心地よい後味が残ります、その長く続く香りは最高級のお茶である所以です

    実際に買った高山茶、日本の緑茶とも一般的な烏龍茶とも違う味です

    このところ台湾茶に縁があり、先日熱海の専門店で飲茶を頂きましたが、そのお店のオーナーも『林華泰茶行』は素晴らしいと太鼓判を押してくれました、日本茶とはまた違ったお茶文化のある台湾、そのうちお茶器や飲茶の作り方も勉強してみたいと思いました
    熱海の台湾茶専門店の記事はこちらです

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  • 日本のおもてなしを再認識する台北ホテルと中華グルメ

    『ホテルメトロポリタン』といえばJR東日本グループが運営するホテルチェーンブランドのひとつですが、初の海外進出として台北に開業したのが『ホテルメトロポリタンプレミア台北』です
    現地表記はもうそのまま「JR東日本大飯店」、日本で大飯店というと高級中華店を思い起こしますが、台湾ではホテルの名称、日系ホテルの特徴で日本語対応が可能です
    ただ宿泊することでJREポイントが貯まるような、JR系列らしいメリットはありませんが、株主優待を利用すると割引になります
    最寄りはMRT松山新店線(Green Line)と文湖線(Brown Line)が交わる南京復興駅の1番もしくは2番出口を出てすぐ、駅直結ではないですが「エキチカで便利」というJR系共通のコンセプトを台北でも実現しています

    『JR東日本大飯店』という看板で日本人なら迷うことはありません
    最上階まで吹き抜けで、中に入ると開放感のある建物

    もとはウェスティンホテルの建物をリノベーションしたホテルなので、大きな空間でゲストを迎える外資系の雰囲気はその当時のまま
    やはり「JR東日本」の名前を冠した日系ホテルらしく、日本人のお客さんがとても多い印象、スタッフの方は華語、英語以外に話すことができる言語のバッジを胸に着けていて、全員では無いですが「日本語」を示す日の丸のバッジを着けている方も多く、もちろん日本から来ている日本人スタッフもいるので安心です

    スイートルームにアップグレード
    ホテル一押しの台湾菓子・パイナップルケーキ

    和と中が融合した高級レストラン『凱華楼』

    台北街歩きの後のディナーはホテル自慢の中華料理を頂きました、中国はとても広いので北京、上海、広東、四川と日本人に馴染みのある中華料理だけでもこれだけ思い浮かびます
    地域によって食材や味付けが違いますし、台湾の中華もそれなりに個性があり、人によって好き嫌いがあるようです
    こちらのJR東日本大飯店の『凱華楼』はそれぞれの地域の良さを取り入れながら、日本人にも食べやすい中華を工夫しているのだとか

    内装はシックで高級店の風格があります
    前菜は酸味・塩味が優しく食べやすい

    オススメメニューのからすみ入りの大根餅、台湾海峡で水揚げされるボラの卵を使ったからすみは台湾土産の定番、丁寧に何層にも重ねて作られた大根餅の穏やかな味に、からすみのコクが良いアクセントになっています

    いきなりメインな感じですが、ホテルのスタッフがこのホテルの北京ダックは絶品と太鼓判を押してくれていた、見ての通りのダックちゃんです
    台湾で長い時間をかけて育てられ、丁寧にローストされたチェリーダックは、黄金の衣をまとったようなつややかな様子から、『黄袍(皇帝の衣)北京ダック』と名付けられています
    パリッとした皮だけを頂いて身はどうなるのだろうと、いつも不思議に思っていましたが、普通はスープ等の煮込みに入れるのだとか
    とてももったいないような気がしていたのですが、こちらでは全て頂けるとの事、ますます楽しみになってきました

    照りが素晴らしい北京ダック
    定番の甘めのたれと
    辛子や薬味を添えて、歯ごたえがしっかりして美味です

    1羽丸ごとの威力で、流石に2人だと食べ切れ無い感じを察してくれて、残りはお部屋で夜食かおやつ代わりに(北京ダックがおやつなんて一生に一度あるかないかです)と包んで下さいました
    海老の中華炒めは大ぶりの海老団子がパンのような衣にしっかりと包まれサクッと揚げていて、辛めのソースで頂きます

    スープは秋田のいぶりがっことタラのつみれスープ、大根をいぶした秋田の特産がつみれの味の主役になっていて、秋田の郷土の味が広がり懐かしくも新鮮な一品、日本の食材を取り入れる事にも熱心なシェフの和洋ならぬ和中折衷の中華です

    私はお酒が飲めないので、桂花(キンモクセイ)烏龍茶をポットで頂きました、花の香りが豊かでお食事のペアリングにピッタリ、台湾茶は種類も沢山有るので滞在中にいろいろと味わいたいです

    今回はお邪魔しませんでしたが、こちらの日本料理『はや瀬』は、日本人料理長が腕を振るっているので、台湾グルメの合間に本格的な日本料理も楽しみたい人達にとても好評だそうです

    宿泊者のQOLを高めるエグゼクティブラウンジ

    2階にはエグゼクティブフロアやスイートルーム宿泊者専用のラウンジがあるので、ディナーの後はそちらのクラブラウンジでゆっくりしました
    こちらのエグゼクティブラウンジは利用者がいつでも楽しめるよう、時間帯によってプレゼンテーションが変化します

    1日5回のフードプレゼンテーションは以下のスケジュール
    ■受付時間     10:00~22:00
    朝食         6:30 〜 10:00(別途朝食はブッフェ会   場レストラン有り)  
    スナックタイム   10:00 ~ 14:00
    アフタヌーンティー 14:00 ~ 16:00
    ハッピーアワー   17:00 ~ 19:00
    ナイトスナック   19:00 ~ 22:00

    朝10時から夜10時までホテルメイドのパン、ヨーグルト、シリアル、フルーツなどの軽食と、各種お飲みもの、ソフトドリンク、ビールは終日楽しめます
    専用のラウンジなので混みあうことがなく、昼は明るい自然光に包まれ、屋外の緑を感じられる空間で快適、ミーティングルームもあり宿泊者は1日1時間、無料で利用できるのでビジネスにも最適です、ビジネス利用の人は仕事がはかどるとの口コミも
    そして台湾はカフェのドリンクやスイーツが、日本と比べて意外と高いので、ホテルのラウンジで何時でも軽食やドリンクをフリーで頂ける事が、滞在中の生活の質を高めてくれました
    今回は2日目に夜の観光プランを予定に入れていたので、ホテルに戻ってから外に出かけずに、お酒や軽食でゆっくり出来たのもラウンジのおかげ
    そう考えると少し高めのお値段でも、『メトロポリタンプレミア台北』のエグゼクティブラウンジアクセスのついた部屋はむしろお値打ちです!

    他のホテルに比べて席数が多く、空間に余裕が有ります
    ワインの赤・白とシャンパンも
    おつまみも豊富
    食事を軽く済ませたいタイミングが有れば、こちらの軽食で十分

    次の朝は午前中の台湾新幹線で台南に向かうので、オールデイダイニング『ブリリアント』で早めの朝食、6:30から開いているので朝早く旅立つ観光客や多忙なビジネスマンにも有難いです
    真ん中のロの字のキッチンを中心に和洋中のビッフェが並んでいて、席数も多くゆったり回れます

    三月でもスイカが有ります、さすが亜熱帯の国

    ホテルメトロポリタンを運営するJR東日本ホテルズは、伝統的に創業当時からミシュラン星付きで腕を磨いていたシェフをスカウトし、ホテルの滞在だけでなく美食も楽しんでもらいたいという企業文化があります
    『ホテルメトロポリタン エドモント』に、一度は閉店になった高級フレンチレストラン『フォーグレイン』を2026年1月に復活させ、次世代の若手シェフの学びの場として再オープンしました
    その時の記事はこちらです、是非立ち寄ってみてください

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  • 台湾の古都 台南の史跡をめぐる

    台南周辺には、西拉雅族などの台湾原住民が暮らしていましたが、1624年、オランダが現在の台南市内の安平にゼーランディア城(熱蘭遮城)を築き、台湾南部の拠点としました。台南はこの頃から国際貿易の港として発展します。1662年、明朝の遺臣で長崎平戸生まれの鄭成功がオランダを追放し、台湾を反清復明の拠点とし、台南が政治の中心となりました。近松門左衛門の「国姓爺合戦」は、これを題材にしたものです。

    「民族英雄」鄭成功の銅像

    その後、清により台湾府が設置されました。天津条約に基づいて1865年に安平が開港すると、英米独などの商社が進出し、商業都市として発展しました。
    日清戦争後の日本統治時代、次第に政治経済の中心は台北へ移りましたが、台南は戦後から現在に至るまで古都、台湾最古の都市として文化的存在感を保ちました。現在は歴史都市・グルメの街として人気があります。

    高鉄(新幹線)台南駅

    安平古堡(ゼーランディア城)
    17世紀にオランダ東インド会社が築いた要塞跡で、台湾最古の西洋式城跡。鄭成功の攻撃でオランダ勢力はここから退去しました。清代には荒れ果てましたが、日本統治時代に再建されました。

    安平樹屋
    1865年の安平開港によってイギリスの「徳記洋行」など外国商社が安平に進出しました。安平樹屋は、もともと「徳記洋行」の倉庫だったものが、日本統治時代に「大日本塩業」の倉庫になりました。現在は、建物や庭、水車などが保存されており、ガジュマルが繁っています。

    私たちは安平を歩いて喉が乾いたので、ここの敷地内にあるカフェに立ち寄り、美味しいジュースを飲んでリフレッシュしました。

    サトウキビのレモンジュースは甘さと酸味が絶妙のバランス
    果物の宝庫が生み出すパッションフルーツのグリーンティー

    赤崁樓
    プロヴィンティア城と呼ばれたこの城は1653年にオランダ人が築き、行政・商業の中心となりました。清朝時代に地震もあって倒壊しましたが、文昌閣と海神廟は、光緒帝の時代に再建されました。日本統治時代は陸軍衛戊医院とされ、その後も修築が重ねられました。

    台南孔子廟
    1665年建立、台湾最古の孔子廟(孔子を祀る学問・文化の寺院)。かつては教育・行政の中心として機能し、台湾の儒教文化の重要拠点でした。

    国立台湾文学館 (旧台南州庁)
    日本統治期の行政庁舎として建てられた建物で、現在は文学の博物館として使われています。東京駅丸の内駅舎などを設計した辰野金吾の弟子である森山松之助が、この建物を含め、台南の重要な近代建築を設計・監修しました。赤レンガに白い花崗岩の帯状模様を入れる設計は辰野式と呼ばれています。

    林百貨店
    1932年に山口県出身の林芳一により台南の銀座と呼ばれた場所に創立された百貨店。当時としては珍しいエレベーター付きの5階建てビルで、戦争で損傷した後、工場や事務所にも使われましたが、復元されて2013年に完成し、土産物や雑貨などのお洒落な店舗が並んでいます。屋上には神社があります。

    エレベーターは5人乗り、5階まで行って階段で屋上へ、それから1階ずつ階段でおります
    どの階もインスタ映えしそうな小物やスイーツで、観光客も地元の人もショッピングを楽しんでいます

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  • 台北の歴史と文化を楽しむスポットめぐり

    1895年、日清戦争の結果、下関条約により台湾は清から日本へ割譲され、台北に総督府が設置されて、台北は日本の台湾統治の中心都市となりました。そして道路・鉄道・上下水道など都市インフラが整備されて近代的な都市計画が進み、西洋風建築や公園が整えられました。教育・医療制度も整備され、台湾で日本語教育が実施されました。
    1945年、日本の敗戦により台湾は中華民国に「光復」されました。1949年、中国大陸での国共内戦に敗れた蔣介石率いる中華民国政府が台湾へ移転し、台北は中華民国の首都となりました。
    戒厳令下での政治的弾圧が行われる一方で、1960年代以降は「台湾経済の奇跡」と呼ばれる高度経済成長により、台北は政治・経済の中心都市として急速に拡大しました。
    1987年に戒厳令が解除されてからは、台湾で本格的な民主化が進みました。2004年には超高層ビル「台北101」が完成して台北の象徴になり、その後もIT産業の発展により、台北はハイテクの中心都市として国際的地位を高めています。

    台北駅は清朝時代の1891年に開業し、日本統治下での鉄道の発展を経て、現在の4代目駅舎は1989年に完成した

    中正紀念堂
    私たちが台北到着後、初めに訪れた中正紀念堂は、蔣介石総統を記念する、白い建物と青い屋根の大きなモニュメントで、台北市中心部にあるランドマークです。敷地は公園になっていて、建物内部には蔣介石総統の大きな像があり、その人生や台湾の近代史を伝える展示もあります。また、定期的に衛兵交代式が見られます。

    中正紀念堂の自由廣場門
    中正紀念堂は台北市中心部のモニュメント

    国立故宮博物院
    約70万点の所蔵品を有する、中国美術コレクションを誇る世界有数の博物館で、台湾での正式開館は1965年です。主に中国歴代王朝(宋・元・明・清など)の宮廷コレクションで、もともとは北京の紫禁城にあった清朝の皇帝コレクションでしたが、1940年代、蔣介石率いる中華民国政府が国共内戦で台湾へ移る際、重要な文物を台湾に運びました。

    「翠玉白菜」や「肉形石」は特に人気がありますが、他にも精巧な細工の美しい工芸品が数多く展示されています。

    龍山寺
    台湾で最も有名な300年近い歴史を持つ寺院です。色鮮やかな屋根飾りや彫刻など、南方中国風の伝統建築が、何度も地震や火災、戦争の被害を受けながら、その都度修復されてきました。仏教を中心に、道教や民間信仰の神々も祀る寺院で、観音菩薩・媽祖・月下老人などにお参りでき、願いごとを込めてお線香をあげたり、月下老人に縁結びを祈ったりとさまざまです。私たちが訪れた朝は、多くの人が歌うように祈っていました。

    龍山寺に近い剝皮寮では、レンガ作りを中心とした歴史的建造物による街並みの保存再生が進んでいます。

    孔子廟
    孔子を祀る廟です。台北の孔子廟は、清朝時代の1879年に建てられましたが、日本統治時代に旧孔子廟が取り壊されて再建され、1930年代に現在の孔子廟が完成しました。福建様式の伝統建築を採用した孔子廟で、門から中庭を経て最奥に大成殿がある軸線構成で、左右対称の配置です。大成殿は、孔子を祀る聖殿で、孔子の位牌や像、儒学者の牌位が安置されています。崇聖祠は孔子の祖先を祀る建物、明倫堂は儒学教育・講義・文化活動の場所です。

    大稻埕慈聖宮
    迪化街の近くにある歴史ある道教の寺院です。19世紀中頃に創建されたとされ、航海や商売の守護神「媽祖(まそ)」などが祀られています。周辺には屋台が立ち並び、台北に住む人々のグルメスポットになっています。

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  • 東日本大震災の伝承施設を訪ねる

    2011年3月に発生した東日本大震災の死者・行方不明者は計22,000人を超えますが、死者の9割以上が津波によるものです。

    なぜこれほど多くの人が命を落としてしまったのか、それを伝える施設が被災した各県にあり、震災の記憶を風化させないため、訪れた人に是非知ってもらいたいことを説明する語り部など、関係者が熱心な活動を続けています。すぐに逃げれば助かったはずなのに逃げなかった、逃げられなかったという悲痛な思いを、私たちはどう受け止めればよいのでしょうか?
    もちろん震災前、津波に関する記録や言い伝えがあり、沿岸部に住んでいる人の知識もありました。しかし実際にそれまでに大津波を経験してきたわけではありません。自分のところまで津波が来ないとの思い込みや津波についての誤解がたくさんあって、大きな災いを産んでしまったとも言えます。大きな津波が来るという情報が伝わらなかった事例もたくさんあります。地震直後に家族を探しに行って津波に遭ってしまった人も多くいます。津波による死は、自然災害であると同時に、判断と行動の問題でもあったということです。伝承施設で事実を知ることにより、後から考えれば合理的でない判断だとされる行動が極めて多くの命を奪ったことについて、深く考えるきっかけになります。
    ここでは、宮城県にある震災伝承施設を紹介します。

    南三陸311メモリアル〈道の駅さんさん南三陸 内〉
    宮城県本吉郡南三陸町志津川字五日町200番地1
    「防災減災について、自分ごととして考え続けるきっかけを提供する施設」がコンセプトで、町民たちの言葉や語りなどを震災伝承の柱にしながら、事実を知るだけではなく、「もし自分がそこにいたら、どう考え行動するか」を1分間の対話タイムで考えるラーニングプログラムなどを提供しています。また、行政の情報伝達の課題、防災無線の限界についても考えさせられます。

    南三陸311メモリアル
    館内の展示

    私は、メモリアル施設見学の後、南三陸さんさん商店街のフードコートで、新鮮な魚介の詰まった海鮮丼を頬張りました。

    南三陸さんさん商店街
    南三陸さんさん商店街の店舗
    フードコートにはこたつ席も
    海鮮丼と蟹だしの味噌汁

    石巻南浜津波復興祈念公園
    みやぎ東日本大震災津波伝承館
    宮城県石巻市南浜町2丁目1−56
    石巻市は約4,000人が亡くなった最大の被災市町村で、その中でも南浜地区は津波と火災に襲われ、500人以上が亡くなりました。この地区の集落の跡を整備した石巻南浜津波復興祈念公園は、亡くなられた方々を追悼し、記憶と教訓を伝承し、復興への強い意志を国内外に示す目的で作られました。

    石巻南浜津波復興祈念公園。震災前の街並みの写真も表示されている

    この公園の中に、みやぎ東日本大震災津波伝承館があります。この施設は、震災の記憶と教訓を永く後世に伝え継ぐとともに、宮城県内の震災伝承施設などへ誘うゲートウェイの役割を果たしています。リアルな津波の映像や被災者の証言等によって「逃げるしかない」ことを訴える映像や、震災伝承施設、語り部活動を行う団体、地域の取組みの紹介などにより、わかりやすく学ぶことができます。

    石巻市震災遺構門脇小学校
    宮城県石巻市門脇町4-3-15
    地震が起きた後、学校にいた児童や教職員たちは裏手にある日和山(ひよりやま)に避難しましたが、地震から約1時間後に巨大津波が襲来し、火災が起こりました。体育館や展示館では、津波で破壊された車両、再現された応急仮設住宅、震災の写真や映像、被災者の言葉や記憶表現(詩・絵)などが展示されていて、津波とそれがもたらす火災について知ることができます。

    日和山公園に逃げた人は無事だった

    東日本大震災慰霊碑(日和幼稚園被災園児慰霊碑)
    宮城県石巻市門脇町5-13-15
    日和幼稚園は山の中腹にあり、津波が来る場所ではありませんでした。地震発生時、園内にいた園児たちは全員無事でした。 しかし、揺れが収まった10~15分後、大津波警報が発信されているにもかかわらず、バスは園児を乗せ出発し、園児を保護者に引き渡そうと海沿いの街を走っていて津波に遭い、園児5人が犠牲になりました。

    宮城県石巻市震災遺構大川小学校
    宮城県石巻市釜谷字韮島94番地
    河口から約3.7㎞内陸に位置する大川小には、津波は到達しないと思われていました。地震発生後、児童たちは校庭に避難しましたが、避難先についての判断が定まらないまま時間が経過し、津波は川を遡上し、校舎の屋根(8.6m)までの高さとなって襲いました。児童74名、教職員10名が犠牲となりました。周囲には低い山もありましたが、そこへ直ちに避難する判断がなされなかったことが、後に大きな議論となりました。

    東松島市東日本大震災復興祈念公園
    東松島市震災復興伝承館
    宮城県東松島市野蒜字北余景56-36(旧JR野蒜駅)
    仙石線野蒜(のびる)駅で上りと下りの列車がほぼ同時に発車してすぐ、激しい地震が襲ってきました。非常停車した上り列車の乗務員は、直ちに梯子で乗客を降ろし、指定避難場所である野蒜小学校へ誘導しました。人のいなくなった駅舎も上り列車も、その後に襲った津波に飲み込まれ、大きく破壊されました。一方、下り列車の停車した場所は野蒜小学校まで距離があるため、そこまで歩いて行くのが危険であり、列車が止まったのがやや高い位置だったので、列車内に留まると判断しました。周囲は津波で水浸しになりましたが、幸いにも列車まで水が到達することはありませんでした。全員が列車内で一夜を過ごし、翌日、避難所に退避しました。
    震災後、野蒜駅を含めて仙石線の線路は高台に付け替えられ、旧駅舎が保存されて東松島市震災復興伝承館となり、また付近は東松島市東日本大震災復興祈念公園として整備されました。

    震災遺構仙台市立荒浜小学校
    宮城県仙台市若林区荒浜字新堀端32-1
    地域の指定避難場所だった小学校ですが、海岸から約700m離れた同校には、2階まで津波が押し寄せました。しかし、避難した児童や教職員、地域住民など320人全員が助かりました。校舎をそのまま遺構として保存・公開しています。どのような判断と行動が命を守ったのか、時系列で学ぶことができます。

    かつての荒浜を模型で展示

    名取市震災メモリアル公園
    津波復興祈念資料館 閖上の記憶

    宮城県名取市閖上東3-5-1
    かつて5,000人以上が暮らしていた閖上(ゆりあげ)地区は、津波で壊滅的被害を受けました。閖上中学校の14人の生徒を含む800人近くが津波の犠牲となりました。現在この場所は名取市震災メモリアル公園として整備されており、また日曜日には朝市が行われています。

    かつての閖上の航空写真
    閖上から望む蔵王連峰

    館内では、旧閖上中学校で実際に生徒たちが使っていたロッカーや、亡き生徒の遺品、痕跡から津波の高さが確認できるドアなど、震災の記憶をたどる展示物や映像資料を、館内常駐スタッフの案内で見ることができます。海と名取川河口に近い閖上地区に、どのように津波が押し寄せたのか、発災当日の時系列を、写真・映像・体験証言を通して具体的に知ることができます。館内の語り部ガイドのほか、出張語り部、オンライン語り部にも取り組んでいます。

    閖上では地震から津波到達まで約1時間あったにもかかわらず、なぜこれだけ多くの死者が出てしまったのか、名取市の東日本大震災第三者検証委員会が調査して報告書をまとめました。
    閖上を含む仙台平野では、三陸沿岸のような大津波の経験が少なく、住民の間に、津波はこの地域までは来ないという認識が広がっていました。地震直後に避難した人は2割程度で、多くの人は家族の安否確認、近所との情報交換、家の片付け、避難準備などをしており、避難の開始が遅れました。また、津波警報や避難情報が十分伝わりませんでした。地震で停電してテレビは見られず、防災行政無線が故障していたこともあって、市の避難呼びかけを聞いた人は2割程度でした。避難手段の約6割が自動車で、道路渋滞が避難の遅れにつながりました。また、避難場所の閖上公民館についての認識が「津波避難」ではなく「災害時の避難所」だったため、公民館のグラウンドで様子を見て建物の2階に上がらないという人も多くいました。さらに閖上中学校などへ移動する人は、移動中に津波に遭いました。多くの住民は、実際に津波、黒い水の壁を見て初めて危険を感じたと証言しています。

    山元町防災拠点・山下地域交流センター
    宮城県亘理郡山元町つばめの杜1-8
    防災情報コーナーではさまざまな媒体を通し、津波災害の伝承や防災教育への活用、防災意識を高めることを目指し、パネル展示などが行われています。また、震災関連書籍を多数所蔵しています。この施設は、内陸に付け替えられた常磐線の山下駅の隣にあります。

    現在の山下駅
    山下駅ホームから旧駅舎方面を望む

    伝承施設は各地に整備されていて、実際に災害を体験した方々の努力で、津波などへの被災の状況についてわかりやすく学ぶことができます。犠牲になった方々に祈りを捧げつつ、命を守る行動について考えるために、是非お出かけください。

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  • 熱海の海を見晴らす中国茶専門レストラン

    熱海の中心街を右手に見ながら、急峻な登り坂をしばらく上がっていくと、唐突に赤地に白文字の『営業中』というのぼり旗が目に飛び込んで来ます、一瞬こんな所に何のお店が・・・と思いますが、熱海には珍しい中国茶と飲茶の専門店『吉茶 松濤館』です
     一度訪れたらすっかりファンになってしまって、今回もランチにお邪魔しました(本当に友人の別荘に訪れたような空間なのです!)

    どこのお部屋からも素晴らしいオーシャンビュー

     約10年位仕事で台湾に行くことが多かった主人が、現地の老舗台湾専門店を勧められて、我が家でも台湾茶を飲む事が習慣になっていたのですが、こちらのお店はどれを選んでよいのか分からないほど、バラエティに富んだお茶のラインナップ
     オーナーに聞いてみるとお食事と一緒なら烏龍茶等の濃いめ、お茶だけなら清香と表示されているスッキリした軽めのお茶がオススメとのアドバイス
    お食事に合わせて『凍頂烏龍十五年老茶』、デザート替わりに食後にお願いしたお茶菓子とペアリングした『玉山高山烏龍茶』をオーダー

    台湾のデザートも充実

    台湾の玉山は標高3,952m、標高3,776mの富士山より高く、第二次大戦前まで日本統治の時代には「新しい日本の最高峰」として、明治天皇より「新高山」と名付けられたという歴史があります
    大きな寒暖差とミネラル豊富な伏流水の恵みで、肉厚でフルーティーな香りと長い余韻が楽しめる貴重な茶葉だとか

    食事が出るまで先ずは口当たりの良い『玉山高山烏龍茶』を楽しみました、急須も茶器も日本の標準の物の3分の1位の大きさ、熱湯を注いで少し待って、ピッチャーに移しそれぞれの小さな茶碗に注ぎます
    より香りを楽しむ為、オーナーがもう一つ背の高い茶器を出してくれました、まずはこちらでゆっくりお茶の香りだけを楽しみ、小さめのお猪口のような茶器に移し替えて、もう一度お茶がなくなった右の器の香りだけ楽しみます、日本の茶道の嗜みは無いのですが、中国茶にも様々なお茶を楽しむ作法が有るのは面白い発見でした

    どこかミニチュア感のある中国茶器

    お茶を味わっていると飲茶が届きます、まさしくお茶と頂く軽食中華なのでその名の通り飲茶なのですね、このタイミングで食事とのペアリング『凍頂烏龍十五年老茶』を頂きます
    凍頂烏龍茶は凍頂山という場所で収穫されるウーロン茶のブランド、その中でも良質なウーロン茶だけを長期熟成した茶葉が老茶と呼ばれ、定期的に乾燥させカビの増殖を防ぐなどとても手間がかかるために、中には親から子へと受け継がれる30年物もあるそうです
    凍頂烏龍茶は口当たりがよく飲みやすいので、ダイエット目的で水分補給代わりに飲む人がいますが、食事と一緒に摂らないと健康を損ないますと、オーナーから専門店ならではのご注意がありました

    飲茶はすべてオーナーの奥様の手作り、小籠包は包を割ると肉汁が溢れるジューシーな一皿、大きめに切られた素材の歯ごたえが味わえる焼売は手作りならでは美味しさ、スペアリブの豆豉(トウチ)蒸しは初めて食べました、豆豉とは大豆や黒豆を発酵させた調味料で、深い旨味と特徴的な香りが魅力、どのお料理もしっかりと香ばしい濃いめの烏龍茶にとても合いました

    湯気で焦点が合わない小籠包
    貝柱と海老の焼売
    スペアリブの豆豉蒸し 中華パン付き

    最後のお茶菓子で『玉山高山烏龍茶』に戻ります、小さな茶器で飲むのは煎を重ねるごとに、濃さ・香り・味が変化して行く事を楽しむためだそうです

    右上から時計回りで、梅寒天→チョコレート→月餅→きな粉餅

    オーナーは昔仕事で台湾を訪れて、同じ銘柄のお茶でもお店によって味が違う台湾茶の奥深さに魅了され、ご自身のご両親が建てたこちらの家でお店を始めたという事でした
    何度も来ないと全てのお茶を味わえないので、次は違うお茶を楽しみたいとまた1つ熱海に来る目的が出来ました

    熱海の海と台湾グルメを楽しみましたが、やはりコーヒー党の私達は最後のシメに美味しいコーヒーは欠かせません
    熱海の街中に最近オープンしたこちらは熱海で珍しいアフタヌーンティーも頂ける『熱海カフェ』、流石にもうお食事は入らないのでシンプルにコーヒーだけ注文
    こちらのコーヒーは東京から熱海に移住してきたご夫婦が、珈琲好きが高じて焙煎所を開いた『カモメ珈琲豆店』(こちらのお店は豆の販売とテイクアウトのみ)のコーヒーが頂けます

    時代の波の中で街は変容しながら、訪れる人々を温泉・グルメ・文化で癒してくれる、何度来てもまた訪れたくなる湯の街でした

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  • 熱海起雲閣の優雅なカフェとおすすめイタリアン

    神話の時代から令和まで、人を温める街・熱海

    毎年東京が寒さと乾燥に悩む頃、新幹線なら1時間弱で暖かさと湯けむりに癒される街・熱海、今年もその街の美食と温泉を楽しむために旅程を組みました
    熱海の歴史は古く、噴出するお湯を桶に入れて身を浸すと、諸病がことごとく治ったという神話時代の記述から、奈良時代に箱根神社を建立した万巻上人(まんがんしょうにん)が、海中から熱湯が噴き出たことで不漁が続き、大きな被害を受けている漁民を憐れみ、源泉を山里へ移したという伝説等が有ります
    戦国時代は大名の湯治場として特に徳川家康に愛され、江戸時代は多くの文化人の紀行文に登場し、明治時代になると政財界の重鎮、著名な文人墨客が熱海に別荘を建て賑わいます
    昭和39年、東海道新幹線が開通し熱海が停車駅になると、東京や大阪の大都市からのアクセスが飛躍的に向上し、1980年代後半バブル経済期、企業の保養所や大型リゾート施設の建設が相次ぎ、観光地として繁栄を極めましたが、バブル崩壊後の1990年代には観光客が減少し街は経済的な打撃を受けました
    しかし2000年代に入ると歴史的な建造物の保存や温泉街の景観整備、イベントの開催などを通じて観光地として再生を目指し、新たな観光資源の開発と魅力向上に努めた結果、近年観光地として再び脚光を浴びるようになってきています

    土日は沢山の人で賑わう熱海駅ビル・ラスカ

     熱海市街の中心地にある『起雲閣』は、明治大正時代を通して経済界と文化の時代の寵児を観続けた歴史的建造物で、大正8年当時『海運王』と言われた内田信也の別荘として建てられ、大正14年鉄道で財を成した根津嘉一郎が譲り受け、庭園や洋館を拡張整備しました
     昭和22年、桜井兵五郎が購入し旅館として開業、多くの文豪に愛され、平成12年熱海市が買い取り観光文化施設として一般公開されています

    旅館だった頃の雰囲気が偲ばれます
    起雲閣を愛した文豪達
    暖炉を備えた洋館
    和洋の文様が素敵です

     こちらのもう一つのオススメはティールー厶、建物の一部を改装しているので、大正モダンの空間を楽しみながら飲み物や熱海の名菓等が頂けます
     文豪達が散策したであろう庭園を眺めながら、日本の名作を手に取ってみたくなるような時間でした

    大きなステンドグラスの照明がおしゃれな店内
    根津嘉一郎が特に注力した庭園

    熱海の大地と海を頂くイタリアン

     熱海のなぎさ公園の端のあまり目立たない場所にあるイタリア料理の店『テール・エ・メール』、こちらも10年前から熱海に来れば必ず立ち寄るオススメのイタリアンです
     シェフは目白の老舗フレンチで修行を積んで、20代後半にはかつて熱海で名旅館と謳われた『蓬莱』の別館『ヴィラ・デル・ソル』のフレンチシェフとして腕を振るっていた経歴の方です
     熱海の自然と食材の豊かさに魅せられ、出来るだけ自宅近くの菜園で採れた野菜と地魚やジビエを使って仕上げるイタリアンは、この地域の恵みが一皿一皿に活かされています

    看板などが無いのでビーチ沿いのお店は sun port というビルが目印
    シンプルで居心地の良い店内
    ヴィラ・デル・ソルにあったステンドグラスのライト、開店のお祝いに頂いたそうです

     ディナーコースは3種類、Aコースはお魚メイン、Bコースはお魚お肉のフルコース、Sコースは季節のスペシャルコース、予約時にコースを選びます、私たちはAコースを選択

    アミューズは左から長期熟成の生ハム・パルミジャーノ・ペコリーノチーズのスライス・赤軸大根と赤キャベツのピクルス、イタリアンのオーソドックスな素材と調理法ですが、すべて良い塩梅(あんばい、昔の調味料は塩と梅の酸味が主な味付けだったので、そのバランスが絶妙という賛辞です)

    大根と自家製からすみをシンプルに頂きます、からすみが手作りなのでマイルドな塩味とサクッと食感の大根がマッチしています

    自家製カンパーニュも秀逸

    イタリアンにはあまり使わない野菜のオンパレード(大根・白菜・春菊・小松菜等)と地魚のスズキとヒラメのシンプルなサラダ、いつもその美味しさに感心して、一度ドレッシングの作り方を聞いて家で再現しようと試みましたが、やはり足元にも及ばない味だったので、こちらで頂くのを毎回楽しみにしています

    カブのポタージュはさらりとした食感ですが、少し泡立ててクリーミーさを+、緑の水玉はカブの葉っぱのオイルを散らしたもので、一緒に食べると風味が増します

    パスタは手打ちの細麺にシラスとブロッコリーと源助大根(加賀野菜の一つで水分が多く柔らかい)を煮込んだもの、シェフに聞くとこの大根は煮込むと美味しいのでパスタソースに加えたそうです、確かにシラスの味が大根に染みわたっていて、和洋折衷イタリアンの面目躍如の一皿

    メインディッシュのお魚は冬に珍しい鱧の素揚げにチーズ、お野菜は太葱のフリット、脂がのった鱧はそのままでも美味しい、付け合わせの葱はじっくり揚げて甘みが増し、衣の香ばしさと一緒に頂くと冬の恵みの有難さを噛みしめながら、今回もとても満足なディナータイムを過ごさせて頂きました

    デザートはサツマイモのプリン、穏やかな甘さです
    小菓子三種

    熱海の3日目の朝、ホテルのブログでオススメされていた魚市場へ競りの見学に行きました、豊洲のような大きな市場ではないので和気あいあいとした競りを見ながら、「スーパーの切り身や刺身しか見たことがない子供たちが、実物の魚に触れて興味を持つと、いつもは食べない魚も食べるようになってくれるんです」との事
    食育やフードロスに一役買っている取り組みの様で、静岡県出身力士として96年ぶりに三役になった熱海富士関の話題を出すと、案内役の方が関取のお母様と学校の同級生だそうで、先日もイベントに来てくれたと、地元思いの優しいエピソードを聞くことが出来ました
    関取は昔から体格が良かったそうで、海の幸・山の幸に恵まれた熱海の食育の良きお手本なのかも知れません、ちなみに好物は魚だそうです

    キンメダイの整列
    大漁旗の下に「熱海富士」
    二日前テール・エ・メールで頂いた、思っていたより大きい冬の鱧
    最後に振舞われる鮮度抜群のあら汁と鯵の刺身

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  • 東京大神宮参拝の後は飯田橋のフレンチの名店へ

    東京飯田橋にある東京大神宮は、1880年に東京で伊勢神宮にお参りできるように建てられた日比谷大神宮が関東大震災後に移転した神宮で、伊勢神宮内宮の天照皇大神と外宮の豊受大神が祭られています
    初めて神前結婚式を行ったこともあって、現在でも縁結びの神様として人気があります

    そのほど近くにあるホテルメトロポリタンエドモントには、かつて、日本人で初めてミシュランの星を獲得したフランス料理の巨匠中村勝宏シェフが育てた名店「フォーグレイン」がありました
    多くのファンに惜しまれながら2012年に閉店しましたが、ファンの熱い思いが叶って、2026年1月に、同じホテルメトロポリタンエドモント内にあらためて「フォーグレイン」が改装オープンしました

    新しいレストランの料理長となった池内英治氏は、中村勝宏シェフ、岩崎均シェフ(現ホテルメトロポリタンエドモント総料理長)のもとで修行し、「Dining & Bar TENQOO」料理長、「TRAIN SUITE 四季島」総料理長を歴任した実力シェフです
    私達も友人夫妻を誘って、早速ディナーに出かけました。池内シェフのお任せメニューは豪華ですが、若い頃と違ってあまりたくさん食べられないので、スモールポーションをお願いしました

    アミューズで期待が膨らんだ後、一瞬デザートと見間違えるほど美しい一皿、コーヒーで味付けされたフォアグラにまず舌鼓
    少し甘みと苦みのコーヒーにコーティングされて、濃厚なフォアグラがこれからのお料理の序曲にふさわしい味わいに

    アミューズは池内シェフのスペシャリテ
    フォアグラ コーヒー

    冷前菜・アントレは蝦夷鮑とふぐ、一見するとサラダ風に見えますが、下にバーニャカウダソースが隠れていて、そのままでさっぱりと、次はソースにからめたりと、自分で味を様々変化させる面白さがありました
    もちろん冬の美食の王様、アワビとふぐのコラボも秀逸です。
    続く温前菜・アントレは茨木県産穴子と佐土原なす、どちらもオイルでしっかり焼いているので、冬にはうれしいハイカロリーな一品でありながら、素材そのものがあっさりしているのでとても良いバランス
    ここまで魚介系のお料理にペアリングしたのが、ほのかな柑橘系の香りが心地よいニュージーランド産ソーヴィニオンブランのヴィラ・マリア、抜群の相性です

    蝦夷鮑 ふぐ
    穴子 佐土原なす

    スープの後はいよいよメインの魚料理、甘鯛と白菜と舞茸、魚のうろこを残したまま皮目から高温の油をかけて焼き上げる、日本料理の技法笠松焼の技法を取り入れた一品
    うろこが松ぼっくり(笠松)のように見えて、パリッとした食感になることからこの名が付きました
    付け合わせの野菜はこごみ、うるい等日本の早春を思わせる鮮やかな緑で、見た目も楽しませてくれました

    メインの前のスープ
    甘鯛 白菜 舞茸

    そしてペアリングはメゾン・ブエが提供するボルドーの赤に切り替えて、メインのお肉料理は黒毛和牛のフィレ肉、焼き方は自由に選べます
    ミディアムレア派と固くならないギリギリまでよく焼いてもらう派、四人の食事で焼き加減の好みは2対2
    蓮根と木くらげ、菊芋が添えられた伝統的で正統派な一皿

    黒毛和牛フィレ 蓮根 木耳

    その後はデザート1、スプーンに乗っているのは『へべす』という柑橘系のアイスクリームとジュレ、初めて食べた食材ですが、宮崎県の平兵衛(へいべい)さんが山で香りのよい木酢を見つけて栽培したという経緯から、『平兵衛酢(へべす)』と名付けられたとか
    ビタミンCと必須アミノ酸が豊富で日向地方では嫁入り道具として、苗木を持っていく風習があるそうで食後がとてもスッキリします

    へべす

    デザート2、レアチーズと会津のはちみつ
    六角形のハニカム構造のシュガーの下は優しい甘さのレアチーズケーキ、私達も以前会津の養蜂家さんの蜂蜜が気に入って取り寄せていたので名前を聞きましたが、違う養蜂場でした
    でも同じ志で国産蜂蜜を守り続けているようです

    レアチーズ 会津のはちみつ
    最後はエスプレッソ

    友人夫妻の豊かで興味深い話に耳を傾けながら、本格的なフランス料理でありながら斬新さも備えた、池内シェフの意欲が見事に現れたコースを心ゆくまで堪能したひとときでした

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  • 東京湾の絶景とグルメの街・館山

    今日は勝浦を出発し日蓮聖人生誕地の安房小湊から、シーワールドのある鴨川を通り過ぎて、外海の海岸線をひたすら走り、東京湾の表玄関である館山に向かいます
     館山は約30年ぶりですが、東京から神奈川・千葉にも広範囲に残る関東大震災の取材が今回の訪問の目的の1つです
    その大きな地殻変動や災害の遺跡がここ館山に残っているとの事、館山を含む震災の記事はこちらです
     震災の取材と並行して訪れたのが、『南総里見八犬伝』でその名を知られた房総里見氏の歴史遺産
    房総里見氏は室町時代に鎌倉公方の要請で千葉に移り、勢力を拡大しながら上杉家や小田原の北条家としのぎを削った戦国大名でした
    徳川幕府の時代になると将軍のお膝元・江戸の至近距離に、館山を本拠地に東京湾を牛耳る水軍を持つ外様大名の里見氏は、あまり好ましくない存在と思われていたようです
     1614年、謀反の罪を告発され鳥取へ国替えを命じられ、1622年お家再興の夢も空しく、最後の君主里見忠義は29歳の若さで病死しました
    房総里見氏は断絶となり、8人の家臣が主君の死とともに切腹したといわれています、江戸の戯作者・滝沢馬琴はこのエピソードの忠義心に感銘を受け、それがきっかけであの『南総里見八犬伝』の創作へと開花していきます

    復元された館山城
    今は東京を遠望できる天守閣からの眺め

    今夜は旅館で和食なのでお昼は地元イタリアンで軽くランチです、海岸線ギリギリの場所にある『オステリア ベッカフィーコ』
    店内はJAZZが流れていて、夜はイタリアンとお酒を楽しめるお店です

    パスタ・リゾット・ピザと定番メニューも豊富
    ミックスサラダとフォカッチャ
    地魚のパスタ オイルベース
    イカスミのスパゲッティ

    パスタはどちらもしっかりしたアルデンテの麺に、スパゲッティソースがしっかりとからんでいて海辺のシーフードを味わえます

    今日の宿はホテル洲の崎『風の抄』、房総半島の突端にある洲埼灯台から歩いて行ける場所に有ります、全て畳敷きでスリッパを履かなくても歩ける配慮が嬉しいです

    チェックインの手続きは海が見えるロビーで
    お部屋は『梅東風』・ダイニングも広々
    リビング・寝室共に床暖房が、寒い季節は有り難いです

    近年増えている和室にツインベッドは、どんなライフスタイルでも居心地良い空間なので、旅の宿を探す時なるべくその条件で検索したらこちらにたどり着きました
     ほとんどのスペースがバリアフリーなのも高評価過です

    夕日の絶景スポット、徒歩10分の洲埼灯台へ
    夜の灯台ライトアップ・季節柄クリスマスキャンドルの様です

    お待ちかね、ディナータイムはお部屋で頂きます
    前菜はブリのグリル・フォアグラのパイ・帆立と春菊のお浸し

    温前菜はカブのリゾット・ 海老茶碗蒸し

    地魚の舟盛り、伊勢海老を中心に左からイサキ・金目鯛・アオリイカ・平目・カンパチ、全て活きが良いです

    帆立と肝ソースの陶板焼き、グラタンの様な味わいの中に、しっかりと帆立の出汁が効いています

    柚子釜・蟹真薯 湯葉とフカヒレ

    チョイスメニューは伊勢海老と国産牛と蒸し鮑の三択から選べます

    蒸し鮑をチョイス

    鰆と季節野菜の南蛮漬け

    釜炊きの鯛めしと漁師汁、どちらも海の恵みを感じる美味しさ

    デザートが柚子のチーズケーキとピーナッツのお汁粉

     フカヒレ等も館山産なので、ほぼ海のものは近海で水揚げされたと思われます、最近のトレンドなのでしょうか、会席料理の中に時々フレンチやイタリアンのレシピが織り込まれるスタイルで、意外性が楽しいです
     最後の千葉県特産のピーナッツをお汁粉で頂くのも面白い趣向でした

     朝は海辺の旅館らしい和食、急ぎの旅ではないのでゆっくりと朝食を頂いて、ギリギリ迄部屋で寛ぎました

    みそ汁の中に昨夜の伊勢海老がダイブイン
    目の前は小さな漁港、新鮮なお魚を届けてくれます

     東京へ帰る前に『洲崎神社』へ、神武天皇の御代に勅命により房総半島の開拓の拠点となり、石橋山の合戦に敗れた源頼朝が再起を祈願し、里見氏からも寄進を受けた由緒ある場所

    帰り道に立ち寄った海ほたるは、東京湾を隔てて左右対岸の風景があまりにも違う分岐点です
    東京・横浜の湾岸エリア方面は、無数の建物と羽田にせわしなく離発着するカモメのようなジェット機を見上げ、その後ろの展望デッキに行くとほとんど手つかずの海と山が広がる千葉を望めます
    アクアラインを走ればたった30分、東京・神奈川とは違う何処か懐かしい、昔の日本へタイムスリップしたような場所に辿り着けます、これからもっと千葉の魅力を知りたいと思った旅でした

    海ほたるから東京・神奈川のベイエリアを望む

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  • 勝浦朝市と房総の幸を味わうおすすめフレンチグルメ

    勝浦は2010年代、『勝浦タンタンメン』でB-1グランプリの常連、2015年には全国大会でゴールドグランプリを受賞、400年以上の長い歴史のある朝市や、壮観なひな壇と合わせて街興しの名物になっています

    数年前来た時のひな壇

    私達は朝市での食べ歩きが楽しみなので、ホテルを素泊まりにして朝から街へ繰り出します

    夕日のように見える朝日の中、ちらほら人が集まってきています
    海産物や地元の野菜に混じってケーキ屋さんも
    絵本屋さんまで
    やはり有ります、タンタンメン

     こちらの「いしい」は何でも美味しいのですが、朝から辛いものが食べられない人は、普通のラーメンもオススメです
     今日は漁港近くの『魚水』でモーニング!?です、普通の魚屋さんに見える店舗の奥は、そこそこ席数のある食堂になっていて入口で注文して席に着きます
    朝早く食事に来ているのは観光客だけでは無く、地元の漁港や朝市で働いている人が多いような印象でした

    インテリアが大漁旗なのが港町らしい

    それぞれマグロとブリの漬け丼を頼みました、ライスの量は多めさすが魚の鮮度は抜群です

    店先で豪快にお魚を捌いています

    朝食の後はやはり朝市の中のコーヒーショップへ、とても丁寧に淹れてくれるので、時間はかかりますが待つ価値のある一杯です
    コーヒーの出店前で近代的な七輪で焼かれている干物を、朝市のお仲間でつまみながら談笑している風景も、都会では見られない味わいが有りました

     午後のランチはこちらも数年前に出会った勝浦の名店『シェ・コデラ』へ、とても分かりにくい場所ですが電車の狭い高架下をくぐり抜けて、坂道を登ると房総の海を眼下に望む高台にお店が有ります

     小寺シェフは岡山の有名フレンチで腕を振るっていて、奥様の希望で那須高原へ移住、寒さがこたえて来たので暖かく海が見える場所を探して勝浦に辿り着いたボヘミアンシェフ
     予約があったらお店を開ける半リタイアのような状態でしたが、最近2階のお部屋を改装して、1日一組のオーベルジュも始めたらしいです

    和室にテーブルの宿泊ルーム
    クリスマスモードの店内

    前菜は茄子のプロヴァンス風、ソテーした茄子に勝浦のアサリや野菜のソースがたっぷり注がれて、海の青さを眺めながら頂くと気分は南フランスです

    テラスから望む勝浦の海

    スープはゴボウのポタージュ、サラッとしたスープをスプーンで口に入れると、まろやかなミルクの中に尖ったゴボウの風味が後から感じますが、この意外な組み合わせもなかなかの味わい

    メインは予約時にお魚 or お肉と聞かれますが、やはり土地柄で海の幸がオススメです、出されたのはアイナメのムース仕立て、付け合わせの野菜はマッシュポテト・椎茸のピザ・ブロッコリーのオイルサーディンペースト・人参のラペ

    デザートはサバイヨンソースのクレープとバニラアイス、日頃糖質制限でデザートを果物に変更するのですが、シェフ一押しのサバイヨンソース、今日は遠慮なく頂く事に
    卵黄とお酒・砂糖・レモンで作る甘くクリーミーなソースをかけると、クレープがしっとりとして何枚でも食べられそうです

    最後の飲み物は、コーヒーや紅茶では無くやはりシェフオススメのミントティー、一時フランス領だったモロッコ等の北アフリカの国民飲料で、多めの砂糖を入れて食事の度に何杯も飲むのだとか
     サハラ砂漠に隣接した暑い地域のなので、清涼感と甘さで水分補給をする生活の知恵のようです

    最後のミントティーはそれぞれの地域や家庭で淹れ方も様々で、日本の茶道の様に作法も有る生活文化、1日3度蒸らす時間を変えて異なる味わいを楽しみながら飲むことが多く、下記の格言が良く知られているそうです

    Le premier verre est aussi amer que la vie,
    le deuxième est aussi fort que l’amour,
    le troisième est aussi doux que la mort.

    一番煎じは苦いこと人生の如く
    二番煎じは強いこと愛の如し
    三番煎じは死の如く穏やかである

    葛藤の多い青春時代から青年期
    仕事や家族の為に全身全霊で生きる壮年期
    穏やかに人生を振り返る老年期
    のような人生訓を格言から読み取ってみましたが、皆様如何でしょう

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